嵐の孤島

3-1.

 暑さ寒さも彼岸までという言葉があるが、本当に涼しくなるのかと疑いたくなるような、十月になったというのに真夏日を記録した日のことだった。


 「歌ヶ江さん、電話鳴ってますよ」

何故か朝から俺の部屋の掃除をしている春日原が、頑なにベッドに転がっている俺に、小さめの声で言った。

「……どうせ味坂あじさかだから、出ない……」

エアコンを効かせた部屋で羽毛の肌布団に包まり直しながら、俺は呻いた。春日原と同じ柳川お悩み相談所に勤めている悪友こと、味坂悠平。俺の本業に関係ない厄介な仕事しか持ってこないので、着信音を変えて画面を見ずとも敵襲がわかるようにしている。

「味坂さん? 僕が出てもいいですか?」

「……いいよ……」

春日原自身、奴から我が家の住所を聞いてここにいる。懇意にしていることも知っているだろう。間違い電話と勘違いして切ってくれればなお良い。

「もしもし、春日原です」

スピーカーモードで一応俺にも会話が聞こえるようにしながら、春日原は本当に電話に出た。

『あれ? なんで歌ヶ江のケータイに六助が出る』

俺の淡い期待は脆くも崩れ去った。

「出ていいと言われたので」

『なんだいそりゃあ。じゃあ近くに歌ヶ江もいるんだな? おい歌ヶ江、このまま話すからなー』

音の反響具合でスピーカーモードであることに気付いたのか、味坂は俺に呼びかけた。

『この前言ってた仕事、考え直してくれんかなあ。依頼人が絶対お前がいいって聞かないんだ』

「絶っ対嫌だ……。俺は便利屋の従業員じゃない……」

「どんなお仕事です?」

『写真のモデル』

「あー……」

春日原が半笑いでこちらを見た。なんだその哀れむような目は。

「……勝手に他人に紹介するな」

『雑談で学生の頃の話になってよお。いつかの旅行の写真を見せたら、一緒に写ってた歌ヶ江に予想以上に食いついてきたんだ。不可抗力って奴よ』

「……写真苦手なの、知ってるくせに……」

布団に包まったまま起き上がり、俺はベッドの上にあぐらをかいた。

「苦手なんですか。苦手そうですけど」

『江戸っ子じゃあるまいに、魂抜かれるわけじゃないんだからちったあ慣れろよ』

どんな例えだ。味坂は時々妙に古めかしい言い方をする。

『顔出せばお前、もっと稼げるのになあ』

「何それ……。……生活に困らないくらいもらえれば、それでいい……」

しがないフリーライターが顔を出して何の得があるというのだ。余計に外を歩きづらくなるだけではないか。

『もし仕事を受けてくれるなら、前金で半額払うと先方が言ってる』

「受けないってば……」

『まあ金額だけでも聞け。なんと報酬五十万だ』

「五十万。随分高額ですね。ちなみに、内容と拘束時間は?」

春日原が先に驚き、俺の代わりに訊ねた。

『依頼人が持ってる別荘に一泊二日。休憩なんかはある程度わがままを聞くと言ってる。もちろん交通費と滞在費も向こう持ちだ。いかがわしい案件でないことは、重々確認してる』

条件が良すぎやしないだろうか。何かの儀式の生け贄にでもされるのではないか。

『怪しむなって。有名な大企業のご令嬢だよ。写真は趣味なんだと』

「逆に怪しいよ……」

そんな大金を出してまで、趣味の写真のモデルを雇うのか。いや、趣味だからこそ採算を無視して湯水のように金を使うのか。

『とにかく、身元は保証できるから安心しろ。他に聞きたいことは?』

「……半分は、ピンハネしすぎじゃない……?」

紹介料として報酬の何割かを味坂が持っていくのはいつものことだし、こちらも奴の人脈を利用しているので、ある程度は仕方がないことだと思っている。が、その分け前には、時々疑問が残ることがあった。

「つまり……。依頼者から提示された元の金額は、百万、ですか?」

『バレたか』

鎌を掛けただけだったが、味坂は早々に悪事を認めた。本気で受けてほしいらしい。

『じゃあ、四対六でどうだ。今なら六助も付ける』

本人の予定も聞かずに、人をテレビショッピングのおまけみたいに言うんじゃない。

「面白そうですね。味坂さんが僕のスケジュールを調整してくれるのでしたら、構いませんよ」

春日原も、安請け合いをするな。

「……三・七」

『生活に困らないくらいもらえればいいんじゃなかったのかよ』

「……もらえる時にもらっておけば、来月も困らないから」

契約外の仕事な上、大嫌いな写真仕事を請け負うのだ。その後しばらく廃人のようになったって暮らしていけるくらいの保証がなければ、やりたくない。

『わかったよ。三対七、前金三十五万の六助付きだ』


*****


 お互い妥協に妥協を重ねた後、味坂は依頼人に連絡をすると言って、慌てて電話を切った。いつ話しても騒がしい男だ。前世はマグロか何かだったに違いない。

 寝直すことを諦めてベッドから下り、着替えを漁っている横で、春日原がホーム画面に戻るスマートフォンをじっと見つめていた。

「……? どうしたの……」

「いえ、味坂さんに、少し嫉妬してるだけです」

「嫉妬……?」

あんな男のどこに嫉妬する要素があるというのだろう。春日原も、アルバイトではなく正社員の営業になりたいのだろうか。

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