第2章(8)
週末の札幌駅はやはり混雑していた。スーツケースを持ったサラリーマンや、手に一杯の紙袋を持った外国人の観光客。「時計台噂通り残念だったねー」と話している若い女性の集団もいれば、「え、札幌から知床ってバスで七時間もかかるの」なんて言っている人もいる。最後のに関してはきっと北海道の広さを見誤ったんだな。お疲れさまです。
約束の十五分前から僕は駅の改札の近くにあるオブジェで北上さんを待った。ドーナツのような形をした白色のオブジェは、きっと東京だと渋谷のハチ公像ばりに札幌市民からしたらメジャーな待ち合わせスポットで、僕以外にも誰かを待っているのであろう人が何人かいた。
あの人たち、みんなデートなのかな……。
なんて思うほど、僕の格好が浮いているように見えた。だって、オシャレな人しかいないんだよ……。
東京にはなんか原宿とか渋谷とかオシャレな街や、新宿や丸の内といったビジネス街とかそういった街のジャンルがあるらしいけど(東京出身の人もとい、北上さんの話を聞く限り)、札幌には札幌駅しかないんだ。ビジネス街もおしゃれな街も札幌駅とその周辺しかないんだ。暴論かもしれないけど。
要は、肩身が狭いです。早く北上さん来てくれないかな。
「ごめん、待った?」「いや、そんなことないよ、さ、行こうっか」
嘘つけ、僕より前にそこのオブジェで待っていただろ、なんてツッコミを内心入れつつ何組かの男女を見送ったのち、さっき大学で見た格好をした北上さんが大きく手を振りながら僕のもとにやってきた。
「やっほーごめん、結構待った?」
軽くて語尾に音符がついていそうな明るい声で、彼女は僕の前に現れた。
「いや、ついさっき来たばかりだよ」
あ、僕も同じこと言っちゃったよ。……ま、いいか。
「なんか、テンプレみたいな会話だね」
ふふと小さく笑みを零しつつ僕の手を取ろうとしてくる。
「えっ?」
いきなりのことだったから、僕はそんな間抜けな声しか出せなかった。
「駄目だった? 人多いし、はぐれても嫌だしね」
「いや……ここから映画館行くだけでしょ?」
オブジェと映画館は近い。駅と隣接しているビルに入ってエレベーターで昇るだけ。
別にはぐれる要素はないんだけどな……。
左手に彼女の手の温もりを感じる。あれ、手袋していないの、と思ったけど、そんなこと頭から吹き飛ぶくらい彼女に手を握られたことが衝撃だった。
「まあまあ。こうするとなんかデートっぽいでしょ?」
「……デートなの? これ」
「うーん、まあ男女が二人で出かけていれば一般的にはデートって言うんじゃないかな。少なからず、周りからはそう見えると思うよ?」
何の屈託もなく言う彼女はまっすぐ映画館のあるビルに入り、エレベーターの待ち列に並ぶ。しばらくすると、銀色の扉がゆっくりと開き、多くの人を中に吸い込んでいった。
満員のエレベーターは、肩と肩が触れ合う距離までぎゅうぎゅうに詰めて上のフロアへと上がっていく。
そんな状況だと僕と北上さんの距離もかなり近くなるわけで、四角い密室の中、意識すると彼女の着ている服の柔軟剤の香りが鼻腔をくすぐったりとか彼女の丸い瞳がじっと僕の目を捉えているのを見たりして、胸がドキッとする。
「……近いね、峻哉君」
彼女の少し跳ねるような声が、抑えられた大きさで僕の耳に届く。
囁くように言われたそれは、吐息とともに僕の感覚をくすぐらせて、落ち着かない気持ちになる。
「ふふっ、何照れてるの?」
からかうように微笑みながら、北上さんは続けた。
「べっ、別に照れている訳じゃ……」
「あ、ほら、着いたみたいだよっ」
やはりペースをつかめない会話は、エレベーターが映画館に着いたところで一旦区切られ、僕と北上さんは、ポップコーンの匂いが少し広がる映画館に足を進めた。
自動券売機で、目的の映画のチケットを買う。
「えっと、七時半からの回で……あっ、もう結構、席埋まっているんだね、危ない危ない」
彼女はタッチパネルのついた券売機を操作していく。
「どの辺で見たい? 二つ並びの席、あとちょっとしかないけど……」
「そうだね……前よりは後ろの方が見やすいと思うから、後ろかな」
「オッケ―、じゃあそうしよっ」
座席を二つ指定して、チケットの購入を済ませる。少し時間ができたので、コンセッションで飲み物とポップコーンを買うことにした。
「峻哉君は何にする? 何か食べたいのある?」
メニューを指さしながら北上さんは僕に尋ねる。
「うーん、僕は特に……」
「じゃあさ、一緒にあれ食べない?」
彼女が指さしたのは、ポップコーンのペアセットだった。
「え、ま、まあ……いいけど」
「味は何がいい? キャラメル? 塩? それとも……わ」
「そこでなんでわたしってなるの、僕は北上さんの好きな方でいいよ」
「ちぇっ……そう? じゃあ欲張って塩&キャラメルにしちゃおっか」
いや、ちぇって何、ちぇって。……いやまあ別に……。
「うん、いいよ」
そうこう話しているうちに並んでいた列は僕等の番になる。飲み物はコーヒーとミルクティーをそれぞれ頼んだ。
僕は両手にポップコーンと飲み物が乗ったトレーを、北上さんは二人分のチケットを持ってシアターに入る。やはり恋愛映画だからか、男女二人組や、若い女性の集団が多く、そのことがまた僕をドギマギさせた。
「楽しみだねっ」
僕の左隣に座る彼女がそう笑いかける。上映前の薄暗い劇場内にも、はっきり見える笑顔は、僕の瞳に焼き付けられて、一瞬目を奪われかけた。
「……じ、上映中変なことしないでよ」
僕はそのことをごまかすために、少し強がる。
「しないよー上映中は」
あ、普段はするんですね、はい。
「もうー私を何だと思ってるのー峻哉君」
からかい上手の方だと思っています。
「あ、ポップコーンくれない?」
「ああ、ごめんごめん、はい」
僕は二人の座席の手すりにまたがるようにトレーを置く。北上さんはひとつかみポップコーンを美味しそうに頬張る。
その一つ一つの挙動が愛おしく見えてしまう。
……これって。
僕、北上さんのこと……好きってことなのかな……。
塩味のポップコーンを僕も口にくわえる。
簡単に口の中で砕けたポップコーンは、程よい塩気を感じさせながら消えていく。
久しぶりに食べたその味は、どこか懐かしい昔の記憶を、まだ家族でいられたあの時期の僅かな思い出を、脳内でリピートさせようとする。
……でも。
僕はそれを停止させる。よみがえらせなんかさせない。
……もうあんな父親のことは思い出さないと決めたから。
僕は予告編の始まったスクリーンに意識を集め、今しがた過ったこの思いをそっと胸にしまいこんだ。
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