第2章(1)
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何もない景色に、叩きつけるような吹雪が舞っている。光など見えるはずもなく、ただただ白の粒がキャンパスを埋め尽くすかのように降りつけている。
暖房が効いているはずの車内も、身震いするくらいに冷え込んでいて、何も意識しないと両腕で体を抱きしめてしまうほどだ。
ゆっくりと列車は停車する。ふと、白のキャンパスの向こうに、黒い影が映りこむ。ちょうど、家一軒分くらいの。
「降りていいんだよ」
僕は、誰も乗っていない車内に、そう語り掛ける。
沈黙が当然のように僕に返って来る。聞こえるのは、列車と風がぶつかる音だけ。
「……少しだけ、そうだな、今日くらいは――あそこに家が見えるだろう――そこで休むといい」
今度は、車内の蛍光灯がチカチカと点滅する音が応対する。もう、替えどきだったのかもしれない。
「僕が代わりになるから」
「……こんな傷だらけになる所に、いるべきではない」
続けて言う。やはり返事は風と蛍光灯だけだ。
ドアがゆっくりと開く。それと同時に車内に外から吹いてきた雪と寒さが飛び込んでくる。もともと冷えていた車内はさらにその温度を下げていく。
「さあ、行くんだ」
僕の思いが通じたのか、明かりさえない白の景色に、パッと人工の光が映りこむ。キャンパスの向こうから見えた黒い影からのものだろう。再び列車はドアを閉め、吹雪の中動き出す。
この猛吹雪のせいか、それとももともと線路が荒れているのかは知らないが、少しずつ列車の揺れは大きくなってきた。約七日に一回、訪れる日常だ。
はじめはつり革や手すりにつかまっていれば何とかなるレベルだった。しかし、時間を追うにつれ、その揺れは激しくなり、何とかなるレベルではなく、つかまらないとどうにかなるレベルにまで達する。しまいには、これはジェットコースターなのではないかと思うくらいの揺れになる。ひとつ本物と違うことと言えば、こちらのは人を傷つけるための揺れだということか。鉛の味が口元から感じられる。今回も、血が出たようだ。
それでいい。
こんな思いをするのは、これからは僕だけでいい。
――きっと今頃、あの家で穏やかなときを送っているのだろうか――そうであって欲しい。切に願う。
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目が覚めると、見慣れない天井が入り込んだ。
「ここは……?」
「……目、覚めた?」
すると、隣から最近幾度となく聞いた声がする。
「え、僕……なんで」
起き上がるとともに、まだそれほど使いこまれていない布団がめくれる。
後ろを顧みると、明らかに自宅にある枕とは違うサイズの枕が置かれていた。
「……えっと、私を送ってくれた後、そのまま倒れるように眠っちゃって。土曜日を通り過ぎて日曜日まで来ちゃったって感じ」
……え? どういう……こと?
「ごめんね、金曜日、酔って変な絡み方したよね? 私、酔うと記憶がなくなるタイプで」
頬を小さく掻きながら、照れくさそうに尋ねてきた。
「ま、まあ……名前で読んだり呼ばせさせたり、抱き着いてきたり……僕の貞操が怪しくなったり」
最後の一言で顔に火が点いたのか、
「そ、それは忘れて欲しい……かな?」
恥ずかしそうに鈴が鳴るような声で言った。
ふと視線を左右に揺らす。白を基調とするナチュラルな部屋づくりになっていて、楕円のテーブルにはカバーに入れられたボックスティッシュや可愛らしい小物が置かれているし、あちらこちらに女の子らしさが感じられる部屋になっていた。
とりあえず落ち着いた。状況はわかった。でも、
「僕、一日中寝てたの?」
それが気になる。今までそんなことなかったし、人の家でこんなに寝られるほど図太い性格でもないとは思うから。
「あ、う、うん。多分バイトで疲れていたんだと思うよ」
「起こしてくれれば帰ったのに、邪魔だったでしょ? いや、まあ寝ていた人間が言う台詞でもないけど」
「いや、そんなことないよ。うん」
「そ、そう? っていうか今何時……?」
「今? 朝の十時だよ」
「家に電話しないと……!」
さすがに丸一日帰らなかったとなると母親に心配を掛けているはず。
僕はポケットからスマホをまさぐる。が。
「あ……昨日、寝ている間に電話掛かってきたから私出ちゃった……事情は説明しておいたから大丈夫だと思うよ」
北上さんは、そう言いながら僕のスマホを目の前で揺らせる。
「あ……そ、そうなんだ」
あれ? っていうことは。
「もしかして……お母さんと話した?」
聞くと同時に、彼女は少し苦笑いを浮かべつつ首を縦に振る。
「うん。優しそうな……いいお母さんだね」
お、おう……マジか。
「私が土曜の朝、電話に出たら、凄いビックリされていたよ」
ああ……これ帰ったら絶対聞かれる奴だ……。「彼女なの? 彼女なの?」って聞かれる事案だよ……。
「そ、そうだろうね……今まで浮いた話僕になかったから」
少し重たい先行きに、肩が重くなる。まあ、のらりくらりとかわしていれば、そのうち終わるだろうけど。
一通りの確認が済んで安心したからだろうか、僕のお腹がキュウと音を鳴らした。
「あっ」
僕と北上さんは視線を合わせて、少しおかしそうに笑いあう。
「一日中何も食べていないもんね、何か作るよ、食べていって」
そう言い、彼女は僕の隣から立ち上がり、キッチンへと向かおうとした。
「え、いいよ悪いし、帰って自分で食べるから」
「……大丈夫、もとは酔った私が雫石君の名前を出して迎えに来てもらったのが原因だから。気にしないで」
僕の声に一瞬足を止めた北上さんだったけど、すぐにまたキッチンに身体を向かわせた。
冷蔵庫の開く音が聞こえたのは、それからすぐのことだった。
キッチンから、少し音の外れた鼻歌が聞こえてくる。
その鼻歌を僕はただただ聞きながら時間をやり過ごしていた。
胸のドキドキは収まることがない。僕の記憶が正しければ、金曜日の夜もこんな感じだったはず。
一人暮らしをしている女の子の家で、その子に手料理を作ってもらうってどんな小説ですか……? その子の家で、夜を明かすってどんな展開ですか……?
部屋から北上さんの後ろ姿が目に入る。どうやらエプロンを着けているようで、それがまた少し僕の心のどこかをくすぐってしまう。
段々と卵のいい匂いがしてきた。
それとあわせてケチャップライスの香りも漂ってきたから、きっと彼女が作ってくれたのはオムライスなんだろうなあと、はらぺこになった僕は思っていた。
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