第16話【そして彼は、亡き妻に誓う】

「――おい、キクガ。ボケッとしてんじゃねえやィ」


 すぐ横から声をかけられて、キクガは我に返った。

 ボロボロの外套を羽織り、白金色の髪を隠すように布をすっぽりと被っている。健康的な褐色肌に薄氷色の瞳、顔立ちは端正なものだ。鍛えているのか、外套に覆われた肉体は意外とがっしりしている。

 アルベルド・ソニックバーンズ――この長い旅路の果てに、対等とも呼べるようになった存在。言わば、キクガの相棒だ。


「オメェが言ったんだろィ。【閉ざされた理想郷クローディア】に用事があるって」

「……ああ、そうだったな。すまない、少し旅の疲れが出たというか」

「無理はすんなよィ」


 呆れたように言うアルベルドは、どこかキクガを心配しているようにも見えた。意外と面倒見がいいのだ、この男は。

 まあ、ガサツで大雑把でどうしようもない男だとは思うだろうが、これでも赤子からあの最強の天魔憑てんまつきを育てた実績がある。家事能力はキクガとは桁違いで、旅の途中の食事の用意も彼が主体となっていた。というか、キクガには調理器具すら触らせてもらえなかった。


「それにしても、随分と深くに【閉ざされた理想郷】は築かれたものだな」

「天魔の奴らに見つかったら元も子もねえからなァ」


 キクガとアルベルドは、人類が築いた地下都市――【閉ざされた理想郷】に向かう為の昇降機エレベーターに乗っている。

 大人が五人も乗ればいっぱいになってしまうほどの縦に長い小さな箱のようなものが、なにやら小さな音を立てながらゆっくりと下降していく。経験したことがない乗り物なので、いつ止まってしまうか分かったものではない。

 すると、ガコンという音がして昇降機が動きを止めた。故障したのかと警戒するキクガをよそに、アルベルドは目の前の閉ざされた箱の扉を押し開ける。


「――ここが【閉ざされた理想郷】か」


 ギィと蝶番が軋む音すら掻き消す勢いの、賑やかな街の雰囲気がキクガを出迎える。

 空が塞がれた地下都市は、人類を収めるのに建物を上に積み重ねる必要があったようだ。集合住宅が建ち並び、一階部分は店舗であることが多い。

 狭い道には地下都市で暮らす人で犇めき、買い物をしていたり、配達の仕事をしていたり、ただ駄弁りながら歩いていたりなど、思い思いの時間を過ごしている。地上を奪われてもなお、人類はしぶとく生きている。

 人類最後の砦――【閉ざされた理想郷】を前に、キクガは感心した。ここまで巨大な街を作るとは、さすがである。


「奪還軍の本部は大衆食堂と一緒になってんでィ。こっちだ」

「ああ」


 アルベルドが人混みを掻き分けて進み、キクガも彼の背中を追いかける。

 今回の【閉ざされた理想郷】の訪問は、キクガたっての願いだった。アルベルドは心底面倒そうにしていたが、なんとか了承してもらえた。

 久しぶりに息子に会いたくなったというのもあるが、一番の理由は彼女に用事があった。


「ほれ、ここでィ」

「すまないな、アル。ここまで付き合わせて」

「いいってこたァな。オメェは他人に遠慮しすぎでィ」


 アルベルドに連れてこられた場所は、賑わいを見せる大衆食堂の前だった。

 他の客も利用できるような大衆食堂なのだろうかと思いきや、看板に掲げられているものは『アルカディア奪還軍本部』の文字。どうやら奪還軍に所属する天魔憑き以外の利用は許されていないようだ。

 アルベルドがスイングドアを押して中に入り、キクガも彼の背中を慌てて追いかける。


「ゥオイ、馬鹿弟子ィ!! 怠けてんじゃねえだろうなァ!?」

「げ、馬鹿師匠!? いきなり突撃してくるとかやっぱり馬鹿なのか!?」


 アルベルドが真っ先に喧嘩を吹っかけたのは、奪還軍最強とも名高い天魔憑きの女性だった。

 透き通るような銀髪に色鮮やかな青い瞳、顔立ちは高級人形を思わせるほど美しい。そんな彼女は自分を着飾らず、着古したシャツと厚手の軍用ズボン、その上から黒い外套を羽織っている。長大な刀を側に置く彼女は、どうやら仲間内とカードゲームをして遊んでいるようだった。

 急に本部を訪れた師匠の存在に顔をしかめる彼女――ユフィーリア・エイクトベルは、


「なにしにきたんだよ、師匠。また鍛錬だったら俺は逃げるからな」

「今日はキクガの奴が【閉ざされた理想郷】に行きたいって言ったからきたんだよィ」


 アルベルドが、背後に佇むキクガを親指でわざわざ示してくる。

 人に指を向けるとは何事だ、とキクガは思ったが、ここで血の気の多さを見せてはいけない。この場には息子のショウもいるのだ。


「父さん」

「ああ、ショウ。息災な様子でなによりだ」

「父さんも元気そうでよかった、まだ尻は無事か?」

「尻? 何故?」


 父親の存在に気づいた息子が、椅子から立ち上がる。

 艶のある黒髪を鈴のついた赤い髪紐で高く結び、炯々と輝く赤い瞳はキクガも有する色だ。少女めいた儚げな顔立ちを隠すように黒い布で口元を覆い、全身真っ黒な衣装の上から体格を強調するようにベルトをぐるぐる巻いている。

 最愛の息子――ショウ・アズマからの意味不明な質問に首を傾げるキクガだが、ショウが「なにも知らないなら問題ない、気にしないでくれ」と言ったので忘れることにした。


「おい、キクガ。さっさと用事を済ましちまえ」

「ああ、そうしよう」


 アルベルドに言われて、キクガは息子のショウからその隣にいる銀髪碧眼の女性に視線を移す。


「ユフィーリア君、少し話ができないだろうか?」

「え、俺っすか」


 相棒の父親に呼び出しを受けるという事態に驚くユフィーリアは、特になにも疑問を持つことなく椅子から立つ。ショウと他の仲間に「悪い、ちょっと外すわ」と告げて、側に置いていた大太刀を手に取った。


「裏庭に行きましょ。他人に聞かれちゃまずい話だと嫌っすよね」

「察しがいいな、助かる」


 アルベルドに似て他人の機微に聡い彼女は「じゃあこっちです」と店の奥に進んでいく。

 心配そうな視線を寄越してくるショウにキクガは微笑み、


「大丈夫、少し話をするだけだ」


 そう、少し話をするだけなのだ。


 ☆


 店の裏庭は、四方を建物に囲まれた殺風景なものだった。

 鉄製のベンチがもの寂しげに設置され、さらに申し訳程度に置かれた水道の二つ以外になにもない。浮世離れした美しさを持つユフィーリアはどこにいても絵になり、大太刀を帯刀ベルトに吊り下げているところだった。

 青い瞳をキクガに向けて、彼女は不思議そうに笑いながら問いかける。


「で、話ってのは?」

「君はショウのことが好きなのかね?」

「ぶッ」


 単刀直入に聞いてみたら、何故か相手が噴き出した。

 唾が気管支にでも入ってしまったのか、ユフィーリアは咳き込みながらもキクガに質問の意味を問い質してくる。


「な、なんで、そんな」

「君とショウは相棒と呼ばれる関係性なのだろう? 男女でそのような関係だと、いつしか恋仲に発展とか」

「ないから!! ないから安心してください!!」


 ユフィーリアは否定するが、キクガは「何故?」と逆に聞いてしまう。


「君がショウの恋人になろうが、私は承認するつもりでいるが」

「いやいやいやいや!? よく考えてくださいよキクガさん、俺は元々男ですよ!? 天魔の契約で女になっただけで、中身はまんま男だぞ!?」

「関係ないではないか」


 キクガはユフィーリアを真っ直ぐに見つめ、


「君は、ショウをどう思っている?」

「どう……?」

「大切だと思ってくれているか? 守るべき存在だと、思ってくれているか?」


 彼女が大切な息子のことを雑に扱うとは思いたくないが、確認するべきだとキクガは思っていた。

 キクガが【閉ざされた理想郷】を訪れたいとアルベルドに願ったのは、ユフィーリア・エイクトベルのショウに対する思いを知りたいと考えたからだ。この飄々とした彼女に、ショウをどう思っているのか聞きたかったのだ。

 ユフィーリアは青い瞳を瞬かせ、少しだけ考える素振りを見せてから答えた。


「最初は、嫌いでしたね。自分の意思がない人形みたいな奴で苦手でした」

「…………そうか」


 その状態は、ショウを一人にしてしまった影響だった。

 サイオンジ家から調教されて感情や自分の意思を抑制され、命令に忠実な人形にされてしまった。その状態を改善に導いたのは、紛れもなくユフィーリアの存在である。

 彼女はほんの少しだけ微笑むと、


「でも今は、あいつが相棒でよかったと思ってます。あいつがいなければ、俺は死んでたと思うんで」

「…………そうか。あの子は、本当に立派に成長したな」


 彼の成長を間近で見ることは叶わなかったが、確かに彼が成長したことをキクガは実感していた。

 母親を亡くし、父親は身勝手な行動で故郷から追い出され、たった一人でアズマ家当主として生きてきた。本当に立派な息子だ。


「ところで」

「あん?」

「天魔との戦争を終えれば、君はショウと婚姻するのかね? 様式は【閉ざされた理想郷】にならうのか?」

「なんでその話に戻っちゃうかねぇお父様!? しねえよ結婚!! つーか気が早いだろうが、まだショウ坊は一五歳だぞ!?」


 意外ときちんとした倫理観を持っている彼女に、キクガは「はははは」と冗談とも本気とも取れる笑みで返した。



 サユリ、私たちの息子は確かに成長した。

 君が願った通りとはいかないだろうが、誠実で心優しい立派な当主として育ってくれた。


 君のところに行けない私を、どうか許してほしい。

 まだもう少しだけ、彼のことを見守っていきたいんだ。


 いつか彼が本当に大切だと思える女性に出会えるその時まで、私は彼らを見守ろうと思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る