第11話【鬼神暴走】

「よ、ようやく逃げられた……なに、なんなの!? あの人たち、いきなりやってきて――いや、なに!? やめてこないでやだ、ぁ、ぎッ」


 ――めきッ。


「はあ、はあ、ここまでくれば――嘘、どうしてこんなところに、やだ、やめて死にたくない!! 死にたくな、ぁが、あッ」


 ――ゴキッ。


「いや、やめてやめてお願いだからなんでもするからお願い殺さないで殺さないでぇ!! いや、ああ、ああああ……!!」


 ――ゴリンッ。



「馬鹿弟子、オメェ」

「話しかけんな殺されてえのか」


 ユフィーリアは苛立っていた。

 廊下を土足で突き進む彼女は、その苛立ちを足音で再現する。どすどすと一歩一歩がまるで地面に対する攻撃であるかのように、激しい足取りとなっていた。

 その後ろを追いかける師匠――アルベルドが、なにやら引き気味に話しかけてくるが、心底苛立っているユフィーリアは彼との会話を突っぱねる。普段であれば「ンだと、この馬鹿弟子ィ!!」と突っかかるところだが、アルベルドは不思議と大人しくしていた。

 花魁姿の少女たちが逃げてくる方向に進んでいくと、徐々に人の声が聞こえるようになっていった。騒音の中に聞き慣れた青年の声が二つと、ジジイ言葉が一つ。


「ショウ君の部屋はどこ!?」

「教える訳がないだろう!!」

「教えねーと記憶を辿るしかねーんスけど」

「ならば殺せ!!」

「カカカカ、廃人にされたくなければ大人しく教えた方がいいぞい」

「どうせ殺せないのだろう、貴様らの能力は分かっているぞ!!」


 薙刀なぎなたを持ち、着物に襷掛たすきがけをした花魁姿の美女たちと対峙しているのは、グローリア、スカイ、八雲神の三人だった。彼らは相手を殺すような手段を持たないので、叩きつけられる薙刀を透明な結界で防ぐだけだった。

 懐中時計が埋め込まれた大鎌を結界の内側から突き出して牽制するグローリアだが、その成果も芳しくない。こんな室内で取れる戦術など、たかが知れている。


「総員で押せ、そうすれば――――ひッ」


 花魁集団の先頭に立っていた青い着物の美女が、引き攣った声を上げた。おそらく、三人の向こう側に立つユフィーリアの姿を見たのだろう。まるで化け物でも見るかのように、グローリアたちの肩越しからこちらを見ている。

 背後の存在に気づいたらしいグローリアたちが、ユフィーリアへと振り返ってくる。彼らは揃ってその瞳を希望に輝かせたが、次の瞬間、彼女の格好を見て驚愕したように目を丸くする。


「よう、随分と派手に喧嘩をしてるじゃねえか」


 ユフィーリアはその手に持っている肉塊を足元に落とすと、


「俺も混ぜろよ」


 平坦な声で、そう告げる。

 花魁たちが回れ右をしようとしたが、ユフィーリアがそれを許す訳がない。グッと腰を落とした彼女はさながら風の如く廊下を駆け出し、壁を踏み台にしてグローリアたちを飛び越えて、


「ぎゃあああ!!」

「まずはひとーり」


 血に濡れた大太刀を、先頭に立っていた青い着物の姿の花魁の喉に突き刺す。刃引きをされていても先端が尖っているので、ぶつりと柔らかな肉を抉って美女の喉を突き破った。

 口から血を吐き出しながら倒れた女の喉から乱暴に大太刀を抜くと、逃げようとしていた年端もいかない少女の頭に血濡れた刀身を叩きつける。【銀月鬼ギンゲツキ】の剛腕から繰り出される本気の振り下ろしには、さすがの少女も耐えられなかったのだろう。その頭蓋骨は凹み、眼窩がんかから眼球が飛び出してしまっている。

 一〇秒にも満たない短時間で二人の花魁を死体にしたユフィーリアの戦力に恐れをなし、花魁たちは足を縺れさせながら逃げようとする。それを許すほど、ユフィーリアは寛大ではない。


「おり空――」


 血濡れた大太刀を黒鞘に納め、ユフィーリアは廊下を蹴飛ばす。

 時間を置き去りにし、ひしめく花魁たちの間をすり抜け、その隙に切断術を発動。三人、四人、五人とその首を掻き切っていく。


「――絶刀空閃ぜっとうくうせん


 花魁たちの間をすり抜け終えたユフィーリアに、ようやく時間の流れが追いついた。

 艶やかな花魁たちは逃げる為の一歩を踏み出した瞬間、膝から崩れ落ちる。ボロボロと熟れた果実の如く廊下に転がる少女たちの首は、どれもこれも恐ろしい形相を浮かべていた。

 ユフィーリアは彼女たちの死体に一瞥もくれることなく、先を急ごうとする。だが、背後からグローリアの「待って」と呼び止める声に足を止めた。


「ユフィーリア、大丈夫なの? 初手から切り札なんて使っちゃって」

「先に行くぞ」


 雑談なんかしている暇はない。

 ショウを見つけてサイオンジ家の当主を殺してやらないと気が済まない。

 ユフィーリアは冷たい口調で言い放つと、先に急ごうと踵を返す。


「僕の術式で花魁の子たちから記憶を読み取ろうと思うんだけど、その方が闇雲にこの屋敷内を探し回るよりも手っ取り早いんじゃないのかな?」


 グローリアの言葉に、ユフィーリアの歩みが止まる。

 確かにその方が確実だ。闇雲に屋敷の中を探し回っていたって、時間の無駄である。ここは早く確実な手段を取るのが最適だろう。

 舌打ちをしたユフィーリアは「早くしろ」とグローリアに言う。相手が上官であってもお構いなしだ。


「おい、馬鹿弟子。ンな態度は」

「手が滑った」


 大太刀を黒鞘に納め、ユフィーリアは神速の居合を師匠に向けて放つ。

 注意をしたアルベルドは「どわァ!?」と叫んで、ユフィーリアの視界から外れるように回避する。視線の先にあった襤褸ボロが切断されて、布の破片が血の海と化す廊下に落ちた。


「お、お、オメェ!! なにしやがんでィ!!」

「手が滑ったって言ったろ」

「明らかに意図的だったろィ!! おい、こっち見やがれ馬鹿弟子ィ!!」

「視線を合わせたら次は絶刀空閃を叩き込んでやる」


 苛立っているので、ユフィーリアの周りに対する扱いも雑な様子になっている。

 師匠と弟子の舌戦の側で、グローリアは懐中時計が埋め込まれた死神の鎌を近くに転がっている花魁の死体に突きつける。


「適用『永久暦カレンダー』」


 埋め込まれた懐中時計の秒針が、ぐるぐると逆に回り始める。


「――記憶再生リプレイ


すると、鎌を突きつけられた花魁の死体から半透明の人影がずるりと這い出てきた。

 さながら幽体離脱した際の魂のような様相のそれは、後ろ向きで廊下を戻っていく。逆再生をしているようだ。

 滑らかな足取りで歩いていく人影は、やがて一つの部屋に入る。六畳ほどの客間だ。そこで誰かと話しているような素振りを見せてから、再び後ろ向きで部屋を出ていく。


「どこ行くんスかね」

「追いかけよう」


 グローリアとスカイのやり取りを背後で聞きながら、ユフィーリアは人影のあとを追いかけた。

 今すぐにでも駆け出したい衝動に駆られるが、理性でそれを堪える。目の前を歩く半透明の人影の先に、ショウが待っているかもしれないのだ。

 狭い廊下を右へ左へと後ろ向きで歩く人影を追いかけていくうちに、ユフィーリアはなにやら甘い香りがすることに気がついた。ほんの僅かであるが、花とも砂糖菓子ともつかない香りがどこからともなく漂ってくる。


「なんスか、この匂い。うげぇ」


 スカイもユフィーリアと同様の香りに気づいたようで、盛大に顔を顰めていた。どうやらこの甘い香りが気に食わなかったのだろう。

 人影はやがて、水牢御殿すいろうごてんの最奥に鎮座する襖の前で姿を消した。ここが終着点のようだった。

 桜に紅葉、向日葵ひまわりなどの季節ごとの花によって彩られる煌びやかな襖の間から、あの甘い香りが濃密に凝縮された状態で漏れ出てくる。あまりの匂いの強烈さに、ユフィーリアは外套の袖で口元を覆った。


「最高総司令官と補佐官の坊主はあんまし前に出んじゃねェ、この匂いを吸い続けてたら頭が馬鹿にならァな」

「この香りの検討がついてるんですか……?」


 グローリアを押し除けて前に進み出てきたアルベルドが、短く「おうよ」と頷く。


「毒の類じゃねェが、葬儀屋一族アンダーテイカーの――特にサイオンジ家の十八番よィ。奴ら、香炉こうろを調合すんのが得意なんでィ」

「それは一体、どんな効果があるんです?」

「簡単に言うと酒と同じでィ。吸い続ければ酔っ払い、最終的には気を失う。気がついたところで体なんかまともに動かせるはずがねえだろィ」


 師匠の説明を聞きながら、ユフィーリアはスンと鼻を鳴らす。

 甘い香りは確かにユフィーリアの精神を蝕んでこようとしているが、そんな毒牙など気にもならないぐらい彼女は苛立っていた。むしろ、この甘い香りのせいで余計に苛立ちが増した。


「まずは作戦を立てなきゃいけねェな、最高総司令官の坊主はなんかいい案が」

「はい、お邪魔しまっす!!」

「おいいい、馬鹿弟子ィ!?」


 アルベルドの制止など振り切って、ユフィーリアは襖を思い切り蹴飛ばした。

 枠組みから外れて部屋の内側に吹き飛ばされた襖は、その向こうにある屏風びょうぶごと巻き込んで壁に突き刺さる。何畳あるのか分からないぐらい広々とした和室は無人で、伽藍とした雰囲気が漂っている。

 いの一番に部屋へ足を踏み入れたユフィーリアは、ぐるりと広い和室を見渡す。部屋の残り香からして誰かがこの部屋を使用していたのは間違いないが、果たして部屋の主人はどこへ消えたのか。


「――――――――」


 ユフィーリアはどこかで微かな物音を聞いた。

 それは衣擦れの音――誰かの衣服が肌を擦るような、そんな音で。


「ちょっとぉ、なに? 部外者は立ち入り禁止って言ったじゃない……」


 気怠げな印象のある艶かしい女の声が、広い部屋の壁に沿って並べられた襖の向こうから聞こえてくる。

 少し遅れて、スッと音もなく襖が横に移動した。

 暗い部屋から顔を出したのは、これまで見てきた中で一番見事な花魁の女である。艶やかな黒髪を豪奢な髪飾りで彩り、青い口紅を引いた口元は妖しさを醸す。豊満な肢体がかろうじて引っ掛けているのは、絢爛豪華で煌びやかな着物だ。

 しかし、彼女の目元は黒い布によって覆われていた。いわば目隠しされた状態にあったのだ。


「え、嘘……なんでこんなところに!?」


 花魁の女はユフィーリアの姿を認めると驚愕した様子を見せるが、ユフィーリアは構わず女を押し除けて襖の向こうにある部屋に飛び込む。


「あ、ちょっと!!」


 花魁の制止など無視して、ユフィーリアは暗い部屋に視線を走らせる。

 隣の部屋に比べれば、随分と狭い和室である。六畳ほどの部屋には布団が敷かれ、部屋の隅で煌々と明かりを落とす行燈が室内の妖しさを増す。

 そして、その布団の上で寝かされていたのは、黒髪の少年である。

 喪服を想起させる黒い着物に、赤い絣模様が入った羽織。生真面目な彼はきっちりと着崩すことなく着こなしていたはずだが、布団の上で眠りこける今の彼の状態は乱されていた。襟元は大きく開かれ、薄い胸板が露出し、裾から伸びる華奢な足は大胆に晒され、口元を覆い隠す黒い布は剥ぎ取られている。

 不埒、一歩手前。

 完全にアウトである。


「――――テメェうちの相棒になにしてくれとんじゃアバズレがぁぁぁあああああああああああああ!!!!」


 ユフィーリアの渾身の絶叫がねやに轟き、彼女は迷わず花魁の女を渾身の力で蹴り飛ばした。

 いくら海より広い心を持っていたって、限度がある。

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