唯一無二には程遠く 08

「ハーツは前にその時が来たら足掻かないなんて言ってたけど、俺の方が全然納得できてなくて……恥ずかしながら、俺は親の力を借りて今ここにいます」

 額を床に擦り付けたまま、リブは声を絞り出す。ブラッドの前に戦車から出してきた迷彩柄の鞄を差し出した。

「図々しいお願いなのは重々承知した上でお願いします――ハーツを取り返して欲しいんです――――俺は、俺がハーツにつけた値段を、半値にしやがったあの野郎が許せねえ」

 鞄の中には、大量の薬と弾丸、それからくしゃくしゃに皺の寄った小切手が入っていた。とりあえず鎮静剤を首筋に射ち込み、ジェルパッドで出血している傷口を片っ端から塞ぐ。銃弾の中にはさっき弾切れしたマシンガンのマガジンもあった。

「前にハーツが言ってたんだ。その型式なら汎用のでいけると思って」

 流石戦争商家の息子と言ったところか。ブラッドは口の中の粘つく血を消毒薬ですすぎ、立ち上がる。痛みは引いた。自分の脳を薬で騙すのは案外容易い。

「俺は、ここで敵を引きつけます」

 リブが再び戦車の操縦席に乗り込んだ。蓋を閉める寸前で、階段に向かうブラッドの背中に声をかける。

「全部終わったら、俺の事殺しますか?」

「……やだよ。お前の親父見るからに面倒臭そうだからな」

「やべえな、親父にまた感謝しなきゃ」

 再び低い重低音を立てて戦車が動き出した。ブラッドはマシンガンを抱えて階段を駆け上がる。機械式の心臓が鼓動を打つたびに軋んだ音を立てる。さっきの無茶苦茶な戦いで壊れかけているのかも知れない。昏倒する黒服をパンのかけらのように追いかけて、すぐに戸が開け放たれたままの講堂に辿り着く。

 青い光に照らされて、ハーツが部屋の真ん中に倒れている。罠だとわかっていても、ブラッドはその小さな体に駆け寄っていた。身体を揺らすと微かな呻り声をあげる。更に揺らすと薄く瞳が開かれた。生きている。どこも取られていない。

「…………め」

 ブラッドが抱き上げようとすると、微かにハーツが抵抗した。

「逃げるぞ」

 抵抗を無視して持ち上げようとハーツの背中に手を回すと、固い何かに指が触れた。気付いた時には、身体を電流が駆け巡っていた。声すら出せずに身体を痙攣させるブラッド。機械式の心臓が異常に揺れ動き身体を内側から叩く。ハーツも苦しげに身体を震わせて、数秒後に二人とも床に崩れ落ちる。ハーツの背中には固定されたスタンガンがトラップとして仕掛けられていた。持ち上げると紐が引かれ、スイッチが入ってデコイごと感電させる。ディスコリアでよく見た、初歩的なトラップだった。

女の艶のある含み笑いが木霊した。悪戯が成功して嬉しくてしょうがないというように。

「いやさあ、なーんでさっきから俺までこんなメロドラマみたいなの見てなきゃいけねえの?ほんとやだ。こういうのキライ」

 無遠慮な声に、艶のある女の声が被さった。

「我慢なさって。私はこういう展開が大好きなんですもの」

 ブラッドは壇上に立つ車椅子の男を見て、驚きに目を見開いた。

「お、大人のハーちゃん……!?」

「阿呆の戦争狂いよはじめまして。俺はスパイナル家嫡男、ブレイン=スパイナル。ラクリマの兄貴だよ」

「ラクリマ?ハーちゃんの事か……?」

「本当に感謝しているよ。こいつを生かしてくれていて」

 ハーツはまだ動けずに、地に伏したまま口を開いた。

「――ブラッド、あれは僕の兄だ。顔を見て、思い出した。鏡を見るように、僕は兄の顔を毎日見ていたんだ」

「そうだ。俺は母さんに言われてお前につきっきりだったんだぜ」

 ハーツの瞳は揺れていた。

「あれが、僕を腑分けして売っていった。僕の兄さんだ」

「そうだ。お前の金で国を支えた。乞われればどこにでも、お前の身体を売った」

 そこにあるのは憎しみではなく、圧倒的な恐怖だった。

「僕を丸ごと売るよりも、僕をバラバラにしてそれぞれ値を吊り上げた方が良いっていって、僕を少しずつ切り刻んだ」

「そうだ。お前に代わりの人工臓器を付ける値段まで上乗せしても、飛ぶようにお前の身体は売れていった」

「手術が終わるたびに、お前は人を助けたんだ、まるで幸せの王子みたいだなって言って、優しく頭を撫でて褒めてくれた」

「そうだ。お前に何度も絵本を読んでやった。馬鹿な王子と愚かな燕と、欺瞞に満ちた神の話だ。眠たくなってしょうがなかったよ」

 ハーツはゆっくりと腕をブレインに伸ばした。面白そうに首を傾げる自分と同じ顔に向かって、ハーツは問いかける。

「次は、何を奪うの?」

 ブレインは両手を広げる。まるで天の恵みに感謝するように。

「察しがいいな。だけど喜べ、これで最後だ――今度はお前のすべてを、俺が貰う」

 カラカラと車椅子を動かしてブレインは洗浄中の肺の前で止まる。愛おしそうに水槽を撫で、周囲のガラスケースを見回した。

「苦労したんだぜ。一回売ったお前のネクター臓器をここまで集め直すのは。でもさ、やっぱり自分が入る身体のことは、こだわりたいじゃん?」

「まさか……」

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