貴方を満たす五臓六腑 10

 薔薇の種類をいくつ知っているか?という質問に対してブラッドならこう答えるだろう。色が違うのは数にカウントしていいのか?と。

 そんな植物への造詣のない人間にすれば、この場所はまるで異世界のようだった。薔薇だけでも棘の有無や花弁の襞や形が細かく違うものが何十種類も並び、それ以外にも百合や極楽鳥花、ガーベラ、鈴蘭、秋桜、竜舌蘭と、本来一堂に会するべきではない花々が、人工的に管理された温室の中で、外の寒さも知らずのびのびと咲き誇っている。

 二回目のお茶会にしてボディガードとしての振る舞い方を概ね心得たブラッドは、他の護衛と共に人工の小川の向こうで楽しそうに談笑するティーンエイジャーの姿を見守っていた。天井からいくつもの花篭が吊り下げられ、そこからも手鞠草や紫陽花、ラベンダーの寄せ植えが垂れ下がっている。まるで楽園のような光景で、ホストであるラングス姉妹はそこに住まう妖精のようだった。蜉蝣の羽根を模したレースを胸の下で結び長く背に流し、首から足先までぴったりと真っ白な光沢のある生地のドレスに覆われている。

「それにしてもすごい植物園だな。観賞用の花なんて久々に見るぜ」

 感心しながらハイビスカスの花の中を覗き込むブラッドに、左隣にいた赤毛を後ろに撫でつけた同い年くらいのボディガードが肩を竦めた。

「綺麗は綺麗だが――ラングス家のお茶会はスーツには蒸し暑くて敵わない――前回のリブ坊ちゃんの失態でついにお茶会から外されるかと思ったんだがなぁ、残念だよ」

 手で風を作り、ネクタイをこっそりと緩めながら赤毛のボディガードが隣にいた女ボディガードに視線をやる。

「ラングスは薬局からはじまって戦時下で製薬会社としてのし上がった一族。祖先が薬草の改良の為に育種の研究も行っていたから、植物への愛着が人一倍強いらしいわ」

 コンパクトに編み込まれた髪を撫でつけながら、女は対岸の生徒達から視線を離すことなく唇を開いた。健康的な頬の赤味と長い睫毛に縁どられた切れ長の目が美しい。ぜひお近づきになりたかったが、ジャケットの袖口に隠されたコンバットナイフがちらりと見えてブラッドはその欲望をすぐに引っ込めた。

「なるほど」

 戦時下に有用性のない花々など一掃されたと思っていたが、残っている所には残っているという事か。

「……それにしても、君は良くこんな蒸し暑い場所でコートを着て涼しい顔をしてられるな。もしかして、ディスコリア帰還者か?」

 ブラッドの右隣にいた体格のいい男のボディガードが、ブラッドに興味を持ったらしく話しかけてきた。

「さあどうだかな?ってかここに並んでる奴等なんて皆大戦帰還者じゃねえか」

 赤毛の男も、髪を編み上げた女も、高級ブランドのスーツを着て取り繕ってはいてもどこか粗野で、甘い匂いを放つ花々に囲まれて尚不穏な空気を纏っている。本当は武骨な戦闘服に硝煙と血飛沫の方が良く似合う、そんな者たちが平和になった国に帰って行き着く先が此処なのだ。

「それでもディスコリア帰りはモノが違う。極限環境下でのゲリラ戦。眠ることなく泥の中で敵を待ち伏せ、スコールの叩きつける樹上で何日間も待機して油断した敵を奇襲し殺す。武装させた現地人を民兵に仕立てて戦わせたのもあそこだけだ」

「くわしいねえ……」

 ブラッドは口の端をあげてそれ以上何も言わなかった。

 ディスコリア帰りとは、この国から出兵した軍隊の中で最も過酷な地から帰ってきた者に対する呼び名だ。密林に入ることも無い上司によって決められた地図上の最終防衛ラインを守るために未開拓の地に投入された兵士は、土地勘のない中でことごとく血祭りにあげられ、時間稼ぎのための使い捨ての駒として消費された。しかもその最悪の戦場は、戦略上の理由から終戦ぎりぎりまで放棄されなかったのだ。

「ディスコリア帰りなんて本当にいるのかしら?いたとしてもまともに動ける状態で帰還した兵士なんて殆どいないんじゃない?」

 女のボディガードは懐疑的な視線を、屈強なボディガードは鼻で笑った。

「……確かにな」

 重くなった空気を察して、赤毛のボディガードが両手を叩いた。

「あーあー止め止め!!戦争の話なんて!ほっといても次の戦争はすぐにやってくる!それまでせめて短い春を謳歌しようぜ!」

「そうだな、戦場に花は咲かない」

 ブラッドが壁に背をもたれかけさせ、小さな主人を目で探した。ハーツはなぜか女子達のグループに混ざり、ラングス姉妹自慢の花々の説明を、カップ片手に熱心に聞いている。

「ミリィ、あなたの褐色の肌には、ピンクのアザレアが良く似合うわ」

「バンシーはミモザね、そのフィッシュボーンに絡めるとまるでお姫様みたい!」

 無邪気な残酷さで可憐に咲く花を次々と摘み取り、ラングス姉妹は少女一人ずつの髪に飾っていく。その遊びにはもちろんハーツも巻き込まれた。

「ハーツくんは――うーん、難しいわ」

「濃紺の髪に金の瞳、これかしら?」

「向日葵なんて似合わないわ!ハーツくんの瞳の金のほうが美しーんだから!」

 ラングス姉妹がああでもないこうでもないと花をちぎってはハーツの髪に飾っていく。

「お嬢様、お友達が花で埋もれてしまいますぞ」

 壮年の執事に窘められるころには、ハーツの膝や肩に色とりどりの花が積もっていた。偶然が成したその姿は絵画の中の住人のように完成していて、思わず隣のテーブルの男子達も息を呑む。

「これはこれできれー」

「ふつくしー」

「はは……ありがと」

 苦笑するハーツの身体から二人が花を取り払っていく。少女の手が触れるたびにハーツが真っ赤になるのを見て「あらかわいい」と女ボディガードが笑う。

「だろ、箱入り息子なんだよ」

「あんたのとこのあの子は、どこの家の跡取りなんだ?」

 探りを入れてくるボディガード達に「王子なんだ。そりゃあもう幸福で幸福な王子さまでさ」と適当な返しをしながらブラッドはお開きの空気が漂い始めたテーブルに歩み寄る。

「あーあー遊ばれちゃって」

 髪に絡まる花弁を払ってやると、まるで孵化したての雛のようにハーツが目を瞬かせた。

「申し訳ございません。折角のお召し物が汚れてしまいましたね」

 壮年の執事がハーツとブラッドに話しかけてきた。今日のハーツは黒のハーフパンツにグレーのシャツ、黒のベストという正装だったので、振りかけられた花の花粉で服の所々が確かに黄色く汚れ目立っている。

「いや、安物なんでお気になさらず」

「そうはいきません。そのお姿でお帰りいただくなど――アルト様もソプラノ様も悪戯が大好きで、こればっかりは困ったものです。せめてベストだけでもブラシで掃除させていただけませんか」

 むんずと顔を寄せてくる執事の圧力に負け、ハーツはおずおずとベストを渡すと、こちらでお待ちくださいと屋敷の応接間にまで案内されてしまった。

「前回の成金の家とはやっぱりセンスが違うなー」

ブラッドは感心して辺りを見回す。

「あーハーツ君だ!」

「イケメン執事もだ!」

「わっ!」

 ノースリーブのワンピースという身軽な格好に着替えたラングス姉妹が、ぴょこりと応接室を覗き込んでいる。

「執事さんがベストを綺麗にしてくれているんだ」

「ボステが?」

「ボステ敏腕―」

 二人はくすくすと笑いながら、ハーツに小さな花束を差し出した。

「お詫びー」

「ごめんねー」

 先ほど摘んだ花の残りを屋敷に持って帰ってきていたらしい。受け取るとふんわりと甘い匂いが漂う。ありがたく受け取ると、ちょうどボステが部屋に戻ってきた。

「お、お嬢様!いつも人前ではお袖のある服をとあれほど」

「だって窮屈なんだもの」

「だって肩がこるんだもの」

 二人はバレエをするように両手と片足を優雅に持ち上げてくるくると回る。ボステが慌てて壁にソファにかけてあったストールを広げる。

「さあ!そんな我が侭を言わずに――冷えますから――」

 強引にボステにストールを掛けられ、不満そうに肩を竦めるラングス姉妹。

「いじわるー」

「過保護―」

「意地悪過保護爺で結構!私はご多忙なご当主に代わりお二人を御守りすることを仰せつかっているのです!!さあ、ハーツ様とお話しされたいなら、着替えてらっしゃい」

「いえ……僕はもう失礼させていただきますので」

 ベストを掴み慌ててハーツが立ち上がる。手を取り合って、ラングス姉妹はつまらなさそうに「なんだー」「じゃあねー」とそれぞれ空いている手を振る。

 近くに停めてあったブラッドのバイクで帰路につく中、ハーツは興味本位でブラッドに問いかけた。

「ブラッドはあの双子がどっちがアルトでどっちがソプラノかってわかる?」

「どうだろうなー。殺せっていってどっちかの写真を渡されたとして、多分三回に一回は間違えるかな」

「なんて殺伐とした想定するのさ……」

「その位マジな状況に追い込まれないと、判別できねえってことだよ」

「あっそ」

そんな状況を想像してみる。だけどやっぱりハーツには、アルトとソプラノの区別はつかなかった。


 薄暗い部屋の中に、二人の人間がいた。一人は椅子に座り、残り二人は椅子の背後の壁に控えている。椅子に座っている人間の手には電話の受話器があった。

「ほんとうに、あいつがそうだっていうのか?」

 その人物は電話の向こうの相手に向かって何度も何度も確認する。半信半疑だった声が、段々と興奮に滲んでいく。

「ありがとう、恩に着る」

 そう言って電話を切ると、その人物は椅子の背に凭れかかる。頬を紅潮させ、膝の上で震える程に拳を握りしめる。

「千載一遇のチャンスだ――まさか、こんな近くに」

「どうされますか?」

「なるべく早く動く。学校の中だと目立つが、丁度いいことにこの日和見な学園にはお茶会なんて言うシステムがあるからな――利用しない手はない」

 壁に控えていた者の真一文字に引き結ばれた。だがその決意に満ちた表情は、誰の目にも触れることなく暗がりの中に消えていった。

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