貴方を満たす五臓六腑 06

 アスファルトの上、人工臓器をぶちまけて打ち捨てられた幼い少年は、青年を見上げて吐息のような声で囁いた。

「僕の目をあげる……」

 今際の際に何を言い出すのか。もしかして誰かと勘違いしているのかもしれない。

「なんだ?誰かに渡したいものがあるのか?」

 青年はさらに身を屈めて少年の口元へと顔を近づけた。

「ううん……お兄さんのことだよ……」

 指を差そうとしたのか少年の手がピクリと動いたが、持ち上がることなくその動きは止る。困ったように眉を下げて、少年はほんの少しだけ唇を持ち上げて笑った。

「だって……お兄さん、その目、見えて……ないんで……しょ?」

 青年は左だけの暗紅色の瞳を開いて少年を凝視した。右目の上には大きなガーゼが適当にあてられ、痛々しく体液が滲み出している。

「もう……あげられるものなんて無いと…………思ってたんだけど、丁度……良かった。信じられない……かもしれないけど……僕はネクターなんだ」

 ごほごほと噎せた少年は何度か息をついてそれからまた口を開く。

「僕の目、ちょっと色が変わってる……から嫌かもしれないけど、視力は………………いいよ…………使って」

 そう言って少年は微笑んだ。腹からチューブやブロックを溢れ返させているのにその表情はあまりに自然で、青年は言葉を失う。

 もうあげられるものなんて。その言葉の意味するところは、きっと全てを与えてきたということ。いや違う、多分、奪われてきたという事。

「…………僕、もう直ぐ死んじゃうから…………なるべく早く、」

「……違うだろ?」

 息も絶え絶えの少年の声を、青年の低い声音が遮った。

「違うだろ……!もう死ぬんだぞ。なのにこんな言葉なのか?」

 響く声は静かだったが、明らかに怒りが滲んでいた。

「お前の最期ぐらい、お前のために使えよ……!」

 そんな青年の様子に、申し訳なさそうに少年は再度眉を下げた。

「ごめんなさい。僕は、何も持っていないんです」 

「だから……なんで謝んだよ!」

 堰が切れたように青年の怒号が飛んだ。

少年のブリキの心臓が、大きく揺れる。

「ごめんなさい……」

 少年の小さな声は今にも掻き消えそうだった。とくり、とくりと少年の鼓動も次第に弱まっていく。

 雨音。鼓動。雨音。鼓動。

 雨音。雨音。鼓動。

 雨音。雨音。雨音。雨音。鼓動。

 数十秒だろうか、数分の後だろうか。少年の命が吹き消えようとするその時、糸のように降り注ぐ雨の下、青年は不意に顔を上げた。

「決めた」

 そして少年を抱えあげて走り出す。腕から色鮮やかなチューブやブロックや袋が垂れ下がり落ちそうになるが、それも全て腕の中へと詰め込んで青年は走る。腕の中の少年はすでに意識を失っており、漂白されたような白い肌のせいで、生きているのか死んでいるのかすら判らない。

 だけどそんなことは関係ない。もう青年は覚悟を決めてしまったのだから。

「お前に、心をやるよ」


 *********


「平和なんてさ、戦争への準備期間でしかねえんだよ」

 居間で銃の分解清掃をしながら彼は言った。

 ブラッドの仕事は戦闘屋(バトラー)だ。大戦後に帰還した行き場のない兵士の大体がこの職に就くらしい。彼は銃を組み戻しながら続ける。

「十回だぜ、十回目!この前の世界大戦で。馬鹿じゃねえのって思わねえ?」

「何が?人類がって事?」

「ちげーよ。まともに働こうって思う事がだよ。言ってるうちにまた紛争だ戦争だって始まるんだ。そんならそれまで腕が訛らないように戦闘屋(バトラー)で食いつないどけばいいじゃねえか」

「うーん。達観してるっていうか、自暴自棄っていうか……この国が中々荒廃から立ち直れない理由がよくわかるなあ」

「ハーちゃんは賢いからな。俺がじじいになる頃には、良い国にしといてくれよ」

「うわぁ無責任な大人の発言だ。未来に先送り、過去は顧みない。若い世代が何とかしてくれるって。駄目だよそんなこと言ったら。老後に待ってるのは国から押し付けられる安楽死だよ」

 頬を膨らませるハーツへ、ブラッドが愉快そうに笑う。

「むしろ安楽死できるなら大歓迎だ」

 戦争が終わっても、暴力は無くならない。むしろ戦争で疲弊したこの国は治安も景気もすこぶる悪い。警察が機能しきらないから、マフィアや犯罪組織が増長し、市民は自警するために武装する。戦闘屋(バトラー)は足りない戦力を補うために様々なところで引っ張りだこだ。

「どうなの学校?楽しい?」

 組み上げた銃を構え、壁に貼られた映画ポスターの主役の額に標準を合わせる。不自然な顔の角度はブラッドの右目が見えないせいだ。眼球は残っており左目に合わせて動くし、涙腺も辛うじて目の表面を湿らせる程度には機能しているので、人によっては見えていないことにも気づかないだろう。

「楽しいよ。女の子とも初めて話して、どきどきしちゃった」

「もう一回学園生活を味わえるなんて、俺の心臓も幸せもんだな」

 ハーツは胸に手を当てた。あの日ハーツを拾ったブラッドは、目を貰うどころか心臓を差し出してきた。無償の愛は知らないが、ここにあるのは限りなくそれに近いものだ。そう思いたいし、そう信じたい。

「あ、そうだ。今週末、お茶会に誘われてるんだ。リブっていう友達の家なんだけど」

 何も言わずにとりあえず一回来い。帰り際にリブにそう強く言い聞かされたのだ。友人の貴重な助言は素直に聞いておきたい。

「それでね、大体みんな家族とかボディガードとか連れてくるらしくて」

「おお、究極に嫌な予感」

「仕事用のスーツ、クリーニング出しておいたから!」

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