クエスト05:カマセ兄弟を撃破しろ(1)


 俺は夜が嫌いじゃない。満点の星空が広がる夜なんかは結構好きだ。

 でも、眠るのはあまり好きじゃなかった。自分が世界でひとりぼっちみたいな感覚に陥って、夏でも寒くてたまらなくなることがある。

 要するに、人肌恋しいのだ。でも俺は親の顔も知らない孤児で、もう孤児院の院長に甘えるような歳でもない。それではみだし者の暗黒騎士となると、誰かと触れ合うような機会なんて皆無に等しいわけで。あー、恋人が欲しい。無理だが。


 殻にでも閉じこもるように毛布に包まり、栓のないこと考えながら夜を過ごし、「おはよう」と返してくれる相手もいない目覚めに寂しくなる。

 それが俺の常だったのだが、今朝は違った。


 なんか柔らくて温かいモノが腕の中にあって、これがもう最高の抱き心地と寝心地。

 真剣に二度寝を検討しつつそれをギュッと抱きしめると「んっ」……艶めかしい声が。

 静かに混乱しながら目を開けば、そこには銀髪紅眼で裸の美女。


「……おはよう、かしらね。昨日は激しかったせいか、ぐっすり眠ってたわ」

「~~~~~~~~!?」


 いやもう、驚愕と動揺のあまり悲鳴も出せなかった。心臓が止まるかと思ったわ。





 で、現在。

 わけもわからないまま朝食を済ませた俺は、聖都の大通りを歩いている最中。

 隣には、なし崩しで朝食をご相伴になりやがった謎の美女も一緒だ。


「あの、俺、昨日の記憶が全くないん、だけど」

「ショックで記憶飛んじゃったの? あんたは《ロンギヌスの塔》の地下迷宮で《心鏡の影身》との激しい戦いの末、ボロボロになりながらどうにか影身を撃破したのよ。で、勝ったはいいけど出血多量でバタリと倒れちゃったわけ」

「うん、それはバッチリ覚えてる。覚えがないのは、そこからあんたと同じベッドで寝るまでの過程なんだよ。えっと、あんたが倒れた俺をダンジョンから家まで運んでくれた……ってことでいいのか? あー、その、名前は?」

「そうねえ。ま、好きに呼びなさいよ。昔の女の名前でもなんでもお好きなように。ただし、あんたが何度でも呼びたくなるような名前で、ね」

「……………………じゃあ、『フラム』で。あんたの瞳を見たとき、燃え盛る炎みたいだと思ったから」

「――フラム。フラムね。ふふっ、悪くないわね。いいでしょう。たった今から、私はフラムです。ほらほら、呼んでみなさいよ。愛情ってヤツをとびっきり込めてね」


 上機嫌そうに微笑みながら、抱いた俺の腕に体を寄せてくる美女改めフラム。

 ドレスと言っても通りそうな黒衣の布地越しに、大変けしからん柔らかさが組んだ腕に当たって大変よろしくない。なにこれスゴイ。

 これが男の夢とロマンが詰まった禁断の果実か。ニボシも距離感が近いが、あいつにこれは無理だからなあ……いや、ペタンコってほどないわけでもないんだが。アスティならいい勝負になるか? いや、でもボリュームはこっちが上だな。

 なんてアホなことを考えていると、横から伸びた細い指に鼻を摘ままれた。


「ちょっと。鼻の下伸ばしすぎよ」

「赤面するくらいなら、離れればいいんじゃ……」

「うっさい」


 ぷいっと顔を逸らし、けれど組んだ腕は離さないフラム。

 これだけ密着しといて、その恥じらいのギャップは卑怯じゃないですかねー。


 しかし、改めて見ると美人だ。

 銀髪紅眼の人形みたいに整った顔。目鼻立ちは愛らしい部類に入ると思うのだが、非常に気の強そうな表情というか、基本は常に怒っているような顔なのだ。

 機嫌よく笑っている間さえ、切り上がった眉や酷薄に歪む口元に、まるで秘めてもなお激しい憤怒の残滓が焼き付いているかのようで。特に深紅の瞳には名付けの通り、炎のごとく苛烈で強い意志が絶えず燃えている。


 胸の奥底にピリピリと張り詰めた感じが消えない、激情の気質が窺えるどこか危うげな雰囲気は、酷く親近感を覚えるものだった。

 そのせいだろうか。どうにも流されてしまっている気がする。

 これ、本来ならもっと警戒するべき状況のはずなんだが。


「あのさ。俺たち、初対面……だよな?」

「昨夜はあんた気絶してたし、顔を合わせたのも今朝が初めてだと言っていいわね」


 そうだ。そのはずだ。

 この美女は見知らぬ人物のはずで、間違っても記憶に浮かぶ人物であるはずがない。

 銀の髪も、紅い瞳も、白い肌も、笑い方も、一挙一動の振る舞いに至るまで。似ても似つかない完全な別人だ。ついでに言えばプロポーションも段違い。

 それなのに唯一、顔の造形だけがあまりにも『あの子』に酷似している。

 他人の空似だとは到底思えないほどに、似すぎているのだ。

 そして俺があの異常な影身と戦い、倒したところに現れたという点。果たしてこれを偶然で片づけられるだろうか。陰謀の類を疑うのは当然だろう。


 そうでなくとも、初対面の美女が裸でベッドに潜り込んでるとか、男のハーレム願望満たす娯楽小説でもあるまいし。後で怖いお兄さんたちが出てきて、身ぐるみ剥がされるような展開を予期して然るべきではないか。

 つまりこの謎の美女は、少なくとも俺を騙そうとしている悪女で間違いなし。さっさと振り払って逃げるのが現実的な対応のはず。


 はずなんだが……何故か俺は、フラムに対して全く警戒心を抱けずにいる。

 、悪意には人一倍敏感だと自負している俺の第六感が、なんの警告も発さない。むしろ、こいつを突き放したりしてはいけないとさえ感じていた。

 魅了の異能にでもかかっているとすれば、逆に感心してしまうほどの強力さだ。


「もうまどろっこしいから、率直に訊くぞ。――お前は何者だ? 俺に、一体なんの用だっていうんだ?」

「そう、ね。私も、なにからどう説明したものか悩むのだけど。とりあえず一つ、これだけは絶対だって確かに言えることがあるわ」


 足を止めると、フラムは真剣な顔で俺に告げる。


「私は、あんたのためにここにいる。タスクの願いを叶えるため、そのためだけに私は今ここに存在している。疑うのも、信じないのも好きにしなさい。でも、これは決して覆ることのない、絶対の絶対だから」

「俺の、願いのため?」


 突拍子もない、正直言って意味不明だ。

 なのに、その宣誓めいた言葉を、不思議と笑い飛ばす気にはならない。


「ええ。だって――あんたは望んでたでしょ? こんな風に、いつだって離れず傍にいて、温もりを与えてくれる存在を」

「ちょ」

「ほらほら急ぎなさいよっ。まずは鍛冶屋に装備を受け取りに行くんでしょ?」

「いや待て、フラム。お前、なんで俺の予定を把握して……!」


 再び押しつけられた胸の感触に、あっさり気を取られた俺。

 その隙に体勢の主導権を握られて、グイグイ引っ張られていく。

 これ、単にはぐらかされただけでは?

 そしてちょっとくっつかれただけではぐらかされてる俺、本当にチョロい……。


「あー! 女連れとか、暗黒騎士の分際で生意気だぞ!」

「ようやく見つけたぞ! おちこぼれの暗黒騎士め!」

「んあ?」


 喧しい叫び声に振り返ると、そこにいたのは昨日のクソガキとクソ野郎。

 合わせてクソクソコンビっつーか、こうして並ぶと顔が似てるような?


「昨日は、私の弟が随分と世話になったようじゃあないか?」

「そうだ兄上! この下賤な暗黒騎士が、僕に恥をかかせたんだ! 代々貴族にして聖騎士である、カッマーセン家の次男に恥を! これは許されない大罪だ!」

「そうとも、許されない! よって、ここに誅伐を下す!」


 なるほど、クソクソ兄弟だったのか。どうりで、名前を覚える気にもならないクソっぷりに既視感を覚えたはずだ。

 しかし昨日と明確に違う点が一つ。クソガキことカッマーセン家の弟――字数の無駄だからカマセ弟でいいか――の鎧が、黒ではなく兄と同じ白銀になっている。《暗黒騎士》は呪縛の影響で、装備が自動的に黒く染まってしまうはず。

 それがなくなっているということは、つまり……。


「驚いたか? 僕はもう聖騎士になったのさ! ふんっ、僕の実力にかかればこの通り、昇格なんて簡単なことだよ! それを試練がどうとか、くだらない屁理屈を並べて勿体ぶって。そんなに僕に追い抜かれるのが怖かったかい?」

「なあに。一晩で聖騎士に至れたのは、ひとえにお前の熱意の賜物だ、弟よ。その情熱にその才覚、惨めな劣等感に凝り固まった暗黒騎士にはさぞかし眩しく映ったのだろう!」


 うわ、うっざ。

 なんかキメ顔で勝ち誇っているが、こいつらのやったことは、古代文明の言葉で「養殖」「パワーレベリング」などと呼ばれる行為だ。

 通常、《ジョブ》を獲得するには、それを得るに値するだけの技量や経験が条件になるとされている。上位職への昇格となれば相当な鍛練と場数が求められ、一生かけて一段上がるかどうかというのが一般的だ。


 しかし《聖騎士》はどういうわけか、ただ《暗黒騎士》となって一定数の敵を倒すだけで昇格が可能だった。しかもトドメさえ刺せば数にカウントされてしまうらしい。

 それらが発覚した近年から、他の者に敵と戦わせ、トドメだけを自分が行い、楽をして聖騎士となる者が急増していた。魔導学院や騎士養成学校で起こる『裏口入学』ならぬ、『裏口昇格』というわけだ。

 やりそうだとは思ったが案の定、やっぱりその手口を使ってきたか。


「……要するに貴族の権力使って人を集めて、瀕死にさせた魔獣を徹夜で弟がトドメ刺して条件満たしましたと。そんな他人におんぶだっこで聖騎士になって、よくもまあ得意になれるモンだ。まるで狩りのやり方も忘れて、餌を恵んでもらわなきゃ生きていけない飼い犬だな。いや、飼い犬の方がまだ利口で役に立つか。犬に土下座して謝れ」

「土下座して謝るのはお前の方だろ!? 効率の意味も解さない低能が!」

「無礼千万な口も今日限りだ! 存在するだけで聖都を汚す、薄汚い暗黒騎士め! その穢れた闇を、我ら兄弟の聖なる光で消し去ってやろう!」

「――ハッ。あんたたちごときの光で、タスクの闇を消す? 前菜にすらなれない、野菜くずにも劣る雑魚が吠えてんじゃないわよ」


 痛烈な毒舌で切り返したのは俺じゃない。

 俺にくっついたまま、呆れ顔でカマセ兄弟を眺めていたフラムだ。

 綺麗な顔に、それはもうイイ笑顔を浮かべて兄弟を嘲笑っている。

 嘲笑さえ美しいというか酷くサマになっているんで、うっかり変な性癖の扉を開く輩が出そうだ。俺? 俺はそういう趣味ないんで。痛いことするより、甘えたいし甘えられたい。


 ……俺が知る『あの子』の笑顔はよく聖女と称されたモノだが、こっちはさしずめ魔女の笑みといったところだな。

 でもまあ、この好戦的な感じ、嫌いじゃない。特に顔は嗤ってるがその実、目が激怒している辺りなんて実に俺好みだ。自分に向けられたら怖いがな!


「ほら、相手してやんなさいよ。あんた、まだ自分の身に起きたことが把握できてないんでしょう? 力不足にも程があるけど、実験台としては丁度良いわ。こいつらなら、うっかり殺しちゃっても大して罪悪感は湧かないでしょうし」


 サラッと物騒なことを言いつつ体を離すと、フラムはどこからともなく取り出した予備の剣をこちらに放ってきた。

 いや、本当にどこから剣を? 今までどこに隠し持ってたんだ?


「見せてやりなさいよ。あんたの、闇黒騎士タスクの本当の力を」


 獰猛な、けれど信頼に満ちた笑顔でフラムは俺を送り出す。

 謎だらけで得体が知れない女なのに、驚くほど勇気づけられた自分がいて。

 俺、ここまで美女に弱かったっけ?


「馬鹿が! 聖騎士の力を思い知らせてやる!」

「いいぞ、やってしまえ弟よ! 私も罰を下したいところだが、なんなら始末してしまっても構わん! その後は、そこの無礼な女を私たちで教育してやるとしよう!」


 教育と聞いて一体なにを妄想したのか、カマセ弟が締まりのない下品な顔になる。

 背後のフラムが、嫌悪感と微かな怯えを抱いたのが俺にはわかった。


 ガチン、と俺の中の歯車が切り替わる。

 爆ぜる感情。冴える思考。黒く、黒く、意識を研ぎ澄ます。


「……戯言も大概にしとけ。――

「お前ごときが怒ったらどうした? 聖騎士になったことで、僕のスキルも身体能力も格段に強化された! 呪縛のかかったひ弱な暗黒騎士なんて、一撃でええええ!」


 自信満々に聖剣を振るうカマセ弟。太刀筋は酷いモノだが、《聖騎士》の恩恵で強化された筋力により、力任せなりに速い。以前の俺なら太刀筋を目で追えても、呪縛のかかった肉体では反応が追いつかなかった。

 しかし――俺が抜き放った黒色の剣は、なんなくカマセ弟の聖剣を受け止めた。


「ふんっ。まぐれで防いだか。でも、まぐれはそう何度も続かない!」


 カマセ弟は余裕の笑みを崩さず、再度斬りつけてくる。

 これも楽勝で防ぐ。次も、その次も、止まって見えるとはまさにこのこと。

 次第にカマセ弟がやたらめったら聖剣を振り回すが、一撃だって俺には届かない。

 キキキキキン! と小気味良い金属音が鳴り響く。退屈な作業だが、傍目から見る分には面白いのか、いつの間にか集まっていた野次馬から歓声が上がる。


「つづか、つづ、つっ……な、なんで!? 呪縛で全ての能力が低下した暗黒騎士に、聖騎士の剣を防げるはずがない!」

「生憎だがその呪縛、つい昨日の夜に解けたんだよ」

「はあ!?」

「縛りつけるモノがなにもなくなった今、俺は本来の身体能力と技量を発揮できる。つまりなんてことはない、これが俺と貴様の間にある剣技の差ってわけだ」


 やはり、昨夜のアレは夢でも錯覚でもなかったらしい。

 俺を五年間に渡り苛んでいた呪縛の感覚が、綺麗サッパリ消えていた。

 体が翼でも生えたように軽い。精神と肉体の反応速度がガッチリ噛み合っている。

 呪縛というハンデが失われた今、楽して手に入れた力に頼り切ったカマセ弟の剣など、まさしく児戯そのもの。


「う、嘘だ! 闇の力なんかに頼るクズに、僕の剣が劣るはず……!」

「俺自身、呪縛から解放された肉体の性能がどれほどのものか、まるで把握できてないんでな。徐々にペースを上げていくから、付き合ってもらうぞ!」


 受けから攻めに転じ、少しばかり力を込めて黒剣を振るう。


 まず一撃目で、聖剣の刀身が砕け散った。

 次の二撃目で、柄をカマセ弟の右手ごと粉砕。

 三撃目が左腕の関節を増やし、四撃目が肩を陥没させ、五撃目が肋骨下の内臓を潰す。


「ベベベベベベベゲゲゲゲゲゲゲゲギエエエエェェェェ!?」


 勢いに乗って加速する剣が、カマセ弟の全身を滅多打ちにした。

 濁った悲鳴と肉体の破壊音を響かせながら、上下左右に跳ねる体は地に足が着くこともなく、縦横無尽に宙を舞うカマセ弟。

 子供の頃に剣の修行と称し、布キレを棒きれで打ち上げて、空中に留める遊びをした記憶があるんだが……まるっきり同じ感覚だ。


 童心に還る思いで、俺は最後の一振りをカマセ弟に叩きつける。

 とっくに半壊だった白銀の鎧は四散し、血達磨の貧相な体がふっ飛んだ。

 地面と水平に滑空するカマセ弟は、直線上にあった馬車に激突。扉を突き破り、衝撃で馬車がひっくり返ってしまった。


 一瞬やっちまったと思ったが、どうもカマセ兄弟が乗ってきた馬車のようだ。

 ならいいか。うん、全くなんの問題もないな。


「き、貴様ァァァァ! カッマーセン家の由緒正しき馬車を、よくも!」


 ショックから立ち直ったカマセ兄がわなわなと身を震わせながら叫ぶ。

 つーか弟の重傷より、馬車を壊されたことの方が問題なのかよ。


「聖騎士になったばかりの弟に勝ったくらいで、図に乗るな! 聖騎士の力、聖なる光の《戦技アーツ》を見せてやる……!」

「ああ、是非とも見せてくれよ。俺も、呪縛から解放された闇のアーツの試し撃ちだ」


 互いの剣に光と闇を宿して対峙する。


 ああ、しかし……ヤバイな。

 自分を散々見下してきた嫌いなヤツを、グチャグチャに叩き潰すこのドス黒い快感――ヤミツキニナリソウダ。



◆◇◆



 タスクの口元が牙を剥くようにつり上がり、邪悪な笑みに歪む。

 それをフラムは、蔑むのでも憐れむのでもなく、ただ静かに見つめていた。

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