クエスト02:エルフ店員と交流を深めろ


 夕方。俺は地下迷宮《ダンジョン》にて聖騎士候補生たちの教導……という名の子守りをどうにか片づけた。

 嫌な思いをした後は、美味い飯食って忘れてしまうに限る。

 なので俺は冒険者ギルドに併設された食堂で、早めの晩飯にすることにした。

 したの、だが。


「ああ、臭い。くっさい! 下賤で卑しい闇の臭いがプンプンするぞ! 誰だい、食卓に汚物を座らせた馬鹿は!? 全く、ここの衛生管理はどうなっているんだね!」


 聞こえよがしな甲高い喚き声のせいで、食欲が音速で死にかけていた。

 密かに俺の指定席となっている、食堂隅っこのテーブル。職員が美人揃いで有名なクエストの受付テーブルが対角線上にあるので、あまり目立たず人目が集まりにくい、お気に入りの席だったりする。

 そこにわざわざ見たくもない面がやってきて、口を開くなりこれだ。


「こんな汚臭漂う場所で食事が取れる輩の気が知れないよ! この薄汚い闇の下僕と同じ空間で食べるなんて、残飯を食い漁るドブネズミの隣の方がまだマシだろうに!」

「飯を不味くしてるのはお前のくだらない誹謗中傷だよ。騎士以前に人としてのマナーってヤツを勉強したらどう――」


 口を挟んだ途端、俺の首に片手長剣が突きつけられた。

 剣は刀身に淡く無機質な白光を帯びており、夕方で灯りが入った室内をさらに照らして目に眩しい。


「オイ、私がいつ口答えを許した? 下賤な暗黒騎士が! 聖騎士である! この私の許可もなく息を吐いていいとでも思ってるのかい? コソコソ身を隠しもせずその穢れた姿を晒しているだけあって、身の程がわからないと見えるなあ!」


 聖剣……聖騎士だけに与えられる特別な剣を見せびらかすようにしながら、必要以上に喧しく、声高に叫ぶ金髪男。金がかかってそうな装備といい、たぶん貴族の出で、顔も美形の部類に入ると思われるが、ニタついた笑みは醜悪で青い瞳も濁っている。

 名前も覚えちゃいないこのクソ野郎は、確か元同期の聖騎士だっただろうか。


 こうして絡まれるのは今に始まった話じゃない。なにが楽しいのか、暇さえあれば時も場所も選ばず、俺を蔑み罵倒しに来るのだ。どんだけ暇人なのか。

 クソ野郎は俺の無反応が気に食わないようで舌打ちすると、なにやら無駄に大仰な仕草で剣を構える。そして剣をやたらブンブン振り回しては、俺に触れる直前で寸止めするのを繰り返し始めた。


「どうだ! この剣速! これが神に選ばれた、聖なる騎士の剣だ! 貴様のような平民には決して手が届かない超越者の絶技だよ! まあ尤も? 薄汚い闇の力に縋るような落ちこぼれの目では、視界に捉えて見ることすら叶わないだろうけどね!」


 いや、見えてはいますが。日々のダンジョン潜りで鍛えた動体視力舐めるな。

 しかしなんとまあ、お粗末な剣筋だろうか。《職業ジョブ》と《異能スキル》の恩恵に頼り切りなのが一目瞭然だ。

 俺たち《ヒト族》は心身を鍛え、知識や技術を磨くことで《ジョブ》に目覚め、それに応じた《スキル》を獲得できる。だ。

 スキルとは、個人の手で世界に超常の現象を起こす特殊能力の総称。ジョブはその特殊能力を引き出す才能・可能性の種子といったところか。


 ジョブやスキルは使い手の適性や鍛練次第で上位に成長し、聖騎士は《騎士》系ジョブの最上位に位置する。

 ただしスキルは俺たちの剣技に超常の力を与えこそしても、技術そのものを自動的に向上させることはない。せいぜい、筋力や瞬発力といった身体機能に恩恵があるくらいだ。剣技の腕は、自身のたゆまぬ努力でのみ成長する。


 その点、クソ野郎の剣技はジョブやスキルの恩恵に頼った力任せ。剣を振るう腕力が強いというだけの、ちびっ子が棒きれ振り回すのと大差ない稚拙な剣だ。

 ……問題は、その稚拙な剣に俺が敵わないという、腹立たしい事実か。


 ただでさえ俺は《暗黒騎士》の呪縛によって、身体能力やスキルの性能が大きく引き下げられている。動体視力でクソ野郎の剣が見えて『は』いても、回避や防御する肉体の動きが追いつかないのだ。

 手段を選ばない「殺し合い」ならまだしも、反則禁止でよーいドンから始まる「決闘」となった場合、ギタギタにされるのは俺の方だろう。認めるのは業腹だが!


「と、ともかく。私が言いたいのは、だっ。貴様のような汚らわしい暗黒騎士が、公共の場に居座っているのは恥知らずの場違いにも程があるという話だよ! 闇に溺れた落伍者と、誰が同じ空間で食事を取りたいものか! なあ、君たちもそうは思わないかい!?」


 しーん。

 若干息を荒げつつ、同意を求めて周りへ視線を巡らしたクソ野郎に、しかし応える声は一切ない。食堂の席につく冒険者たちは、ただ不快そうに眉をひそめるだけだった。

 別段俺の味方というわけではなく、冒険者の大半は聖騎士が嫌いなのだ。


「……やれやれ。野卑な冒険者どもには衛生管理の概念も、清潔の美徳も理解できないと見える。下級の《マモノ》も満足に狩れない下等な傭兵モドキは、はした金を稼ぐのに必死で景観に気遣う心の余裕もないわけか。ああ、憐れなことだ!」


 期待した反応が得られなかった途端、オーバーリアクションでそう嘆いて見せるクソ野郎に、冒険者たちがヒクヒクと額に青筋を浮かべた。


《マモノ》とは、異能を操る獣《魔獣》とも異なる闇の異形。

 血肉の代わりに土塊で仮初の肉体を構成し、本体は闇の力が高密度に集合した、一種のエネルギー生命体というのが学者の一説だそうだ。ミノタウロスやブラッドハウンドもこちらに該当する。

 大地から発生するマモノは、都市の中心にも突然現れる神出鬼没。加えてなぜかヒトを積極的に襲う習性があり、魔獣以上の脅威と見なされている。


 あくまで動植物が魔力で進化した魔獣に比べ、マモノには厄介な点が数多い。中でも冒険者にとって一番厄介なのは、その身を覆う闇のオーラだ。土塊の体を真っ黒に染め上げる闇が強固な防御となって、通常の攻撃がほとんど通じない。

 そこで聖騎士の出番というわけだ。

 聖騎士が振るう光の力であれば、闇のオーラを容易に破り、剥がすことができる。


 だから聖王国は聖騎士を重用するし、彼らは自分たちなしではマモノと戦えない冒険者を見下していた。冒険者が聖騎士を嫌うのも当然だろう。クソ野郎みたいなのでも、マモノとの戦いでは頼らざるを得ないというのが余計に腹立たしい話だ。

 加速度的に険悪さを増す視線なんて蚊ほども感じていないようで、クソ野郎の舞台役者じみた大袈裟な身振りは勢いを増す一方だ。


「そういえば貴様も、ここの冒険者どもに混じって《ゴブリン》退治などに勤しんでいるそうだな? 仮にも騎士の名を冠する者が雑魚掃除とは! 君みたいな最低限のプライドモもない犬畜生が、栄光ある騎士の称号に泥を――」

「ここで食事を取る気もないなら、さっさと出て行きなさい。これ以上汚い口で騒がれるのは、店にもお客様にも迷惑だ」


 それを斬り裂いたのは、涼やかな言葉の一太刀。

 剣の鍔鳴りを思わせる凛とした声の主は、俺が注文した《砲弾イノシシの生姜焼き定食》をトレーに乗せて運ぶ、店員の少女だった。


 頭巾から覗く、春の若葉にも似た翡翠の髪。美しくも凛々しい顔立ちで眼差しは鋭く、灰色の瞳には鋼のごとき強靭な意志が窺えた。ゆったりとしたエプロンドレスの制服だが、均整の取れた肢体なのが俺にはわかる。

 特にスラリと無駄のない筋肉と脂肪の付き方をした、手足の美しさといったら……げふんげふん。

 彼女の名はアスティ。この食堂の、色々な意味で有名な看板店員だ。


「オイ、貴様! 神聖なる光の担い手にして王国の守護者、その聖騎士である私に向かってなんという口の利き方を……!」

「黙れ」


 クソ野郎が掴みかかろうと伸ばした手をアスティは逆に掴み、あっという間に捻り上げてしまった。聖騎士の膂力でも全く抵抗できない様子で、完璧に関節を極めている。片手に持った料理は微動だにさせず、スープには波一つ立てなかった。

 うーん、いつもながらお見事。

 こうしていつも店で暴れる輩を瞬殺する手管、明らかにただの店員じゃない。ミステリアスと呼ぶにはなかなかおっかない美少女である。


「この食堂では光か闇か、白か黒かで人を贔屓も差別もしない。あるのは『お客様』と『客に値しない、ただの迷惑な人』の区別だけだ」

「下等な亜人風情が、聖騎士である私に、よくもこんなぁぁ!」


 アスティの、俺たちと違い尖った耳……ヒト族に含まれる種族の一つ《エルフ》である証を忌々しげに睨みながら叫ぶクソ野郎。

 完全に頭に血が昇っている顔で、店内であることなどお構いなしにスキルで暴れかねない剣幕だ。脅しのために抜剣した時点で今更と言えば今更だが。

 俺はアスティに目配せ。テーブルの下で拳を握る。


 しかし先んじて見たくもない面の二つ目――今の今までだんまりだった、もう一人の聖騎士がクソ野郎に制止をかけた。赤毛に精悍な顔をした、クソ野郎より遥かに聖騎士の称号が似合う青年だ。

 名はソウラ。

 俺とは幼馴染であり、共に聖騎士を目指し切磋琢磨した、親友にしてライバル。

 ……尤も、全ては過去の話だがな。


「もうよせ。それ以上は、それこそ聖騎士の名に泥を塗る愚かな行為だ」

「キ、サマッ。平民のくせに……聖騎士長のお情けで入団できただけの分際で……!」


 目を血走らせてソウラに食ってかかるクソ野郎。

 しかしソウラの胸元、四枚二対の翼が描かれた――翼が二枚一対の自分より上の階級を示す紋章を見ると、奥歯を砕かんばかりに軋ませて唸った。

 暴れる気力を失ったと判断したアスティに解放され、クソ野郎は道すがら空席のテーブルに当たり散らしながら出て行く。


 おかげさまで怒るタイミングを逃したが……今ので一つ合点がいった。

 あのクソ野郎は平民のソウラに出世街道で先を越され、屈辱と嫉妬と劣等感で内心ドロドロなんだろう。そのストレスを発散するためのはけ口として、俺に目をつけたわけだ。元同期で聖騎士になれてすらいない、絶賛浪人中な暗黒騎士の俺に。

 同情する気も起きないし、いい迷惑だが。


 と、アスティに謝罪を済ませたソウラが、クソ野郎の後も追わずに俺を睨んでいた。

 その目に侮蔑の色はない。どこか悔しそうな、忸怩たる思いに唇を噛む感じだ。


「君は、いつまでそんなところで足踏みしているつもりなんだ。俺たちの約束を、騎士の誓いを忘れてしまったのか?」

「…………お前と話すことなんてなにもない。失せろ。あの子の墓参りにも来たことがない、薄情者が」

「墓参り? あの子?」


 俺の言っていることの意味が、本気でわかっていないんだろう。

 首を傾げたソウラは、俺がそれ以上なにも語らないとわかると、諦めたように踵を返して食堂を去った。真面目なことに、クソ野郎が荒らしたテーブルを直しながら。


 期待はしていなかったが……忘れているのはお前の方だ、ソウラ。


「よかったのですか? 赤毛の彼とは、幼い頃からの友人だと聞いていますが」

「あいつがベラベラ喋ったのか? もう昔の話だよ。それより、迷惑をかけたな」

「あなたのせいではないでしょう。被害者なのはお互いさまです」


 俺からの謝罪に、アスティは軽く首を横に振った。

 その口調は先程までに比べて険の取れた、声音も少し柔らかなモノになっている。

 どうも俺は他の定員から敬遠されているらしく、注文を取るのも料理を運ぶのもすっかり彼女が担当だ。そのせいか、アスティとは軽口を交わす程度に親しい仲だった。


 営業スマイル一つ見せない普段の接客態度を思えば、客の中で一番お近づきになっているのではなかろうか。

 この愛想のなさと容赦のなさが良い、というアスティのファンも少なくない。

 ついでに言えば、俺にプスプス突き刺さる嫉妬の視線も少なくない数だった。怖い!


「あなたは食べっぷりも気持ちが良い、うちの常連客ですから。不当な被害を受けていれば助けるのは当然。それに――」

「ん?」

「『理不尽な悪意に対して憤るのは、ヒトとして正しい感情だ。こんなくだらない連中のために、あんたが我慢してやる必要なんか何一つない。理不尽に抗う力が要るなら、俺があんたの剣になってやる』……タスクが以前に言ってくれたことです。だから今度も、あなたの助けをアテにさせてもらいました」

「あ、うん。頼ってくれるのは嬉しいんだが、その。そんなこと言ったっけか、俺?」

「ええ。『無理して笑う必要はないし、無理に笑うのを我慢する必要もない。笑えるとき、笑いたいときに笑えよ。周りがなに言おうが気にするな。自然体でさえいれば、あんたはどんな顔していようが美人なんだからさ』とも」


 ……そっちまで覚えてたかあ。

 ええ、ええ、覚えてますとも。アスティが『客に対する笑顔がなってない』と因縁つけられたところへ、俺が横から首を突っ込んだときの話だろ。

 ちなみに因縁つけてきた冒険者崩れは暴力団をバックにつけていて、それを俺とアスティが大立ち回りの末、一夜にして壊滅させた話でもあったり。


 それはともかく、アレは俺的に黒歴史なんだがなあ!

 言うだけ言ってから『これ助っ人気取りの口説き文句みたくなってない?』って盛大に後悔したし、特に後半のは『なに寒いセリフでかっこつけてんのキモイ』とか言われやしないか、内心ビクビクだったんだぞ!

 特になにも言われなかったし、とっくに忘れたものだとばかり思ってたのに!


「あなたにとってはなんでもない言葉だったかもしれません。ですが、私はとても救われた気になりました。私は私のままに在っていいのだと、そう思えたのです」

「そう、か。それはまあ、良かったが」

「ええ。だから私は、私が笑いたいとき、私が笑いかけたい相手に笑うことにしています」


 そんなことを言いながら、アスティはテーブルに料理を並べていく。

 美味そうな匂いは勿論として、なにやら翡翠の髪から花とも砂糖菓子ともつかない甘い香りが漂ってきて、瀕死だった食欲が一気に息を吹き返す。

 やだ、俺の体ってば現金すぎ……って、あれ?

 定食とは別に、注文した覚えのない小皿がテーブルに置かれていた。

 底が深めの小皿の中身は、野菜たっぷりの具だくさんビーフシチュー?


「今日は私が夕方のまかない担当だったのです。我ながら上手にできたので、おすそ分けをと。――これは店からでなく、私個人の贔屓ということで」


 ウインクと微笑みのオマケを残して、何事もなかったように給仕へ戻っていく。

 そんなアスティの後姿を見送った後、俺は勢いよく額をテーブルに打ちつけた。


「ずっりー……」


 今の話の流れで、あの微笑みは反則だろ。

 それがこんな思わせぶりな、特別扱いみたいな真似をして。

 うっかり好きになっちゃったらどうしてくれるんですかねー。

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