閃血戦記Calamity Frames

dakira67

Prologue:Shooting Stars


2017年、6月某日


 日本国内某所のある山間部、分厚い雨雲によって月明かりすらも奪われた漆黒の世界の中、一人の少女が佇んでいた。


 いつ天候が崩れ、雨が降ってくるかもしれないこの状況で、彼女は傘も持たずにただ空を見上げている。


 ただ、それだけを描写するのであれば、彼女は日常世界に生きる風変わりな少女で済んだのかもしれない。


 しかし、実際の彼女の姿とそれを囲む環境の整合性の無さは"異質"と呼ぶに相応しかった。


 少し年季の入った黒のスキニーと淡い蒼のブラウスという出で立ちから女性らしさよりも少年的な趣向を感じさせるが、その彼女がいる場所は人の手入れが全く入っていない雑木林の中で、本来であれば登山用装備がなければ入れないような場所だった。


 そんな場所に、彼女はまるでショッピングモールへでも行くかのような格好で立っていた。連日の雨で泥濘んだ地面の上に、汚れ一つない白のスニーカーを履いて。


 少女はふと、視線を空から下へ落とす。彼女の視界に映るのは、不規則に生い茂った樹木と、彼女を囲むように展開された巨大な砲撃ユニットだった。


 正面にあるのは、同年代女性の平均身長よりも高い少女の身長すらも遥かに超えた長さを持つ12本の長槍がそれぞれ、三つの束に纏められれ、そのうちの一束が手元にあるトリガーユニットと接続されていた。


 彼女の足元には工業用の太い電源ケーブルと鉄パイプが敷設され、そのケーブルの先にはドラム型の大容量コンデンサ、そして、大規模冷却用の化学溶剤を充填したタンクが設置されている。砲撃ユニットさえなければちょっとした化学プラントと形容した方が相応しい規模だった。


 少女は腕時計を見るような仕草で左手首を一瞥する。少女の手首には時計はない。代わりにあるのは、幾何学模様の描かれた純銀のブレスレットだった。


「ッ!」


 少女は不意に腰まで伸びた銀色の髪をなびかせ、右耳に手をかける。長髪によって隠れていた耳には無線機が振動していた。


「どうしたの?」


 無線機の通話スイッチを押した彼女は発信者に向けてそう呟いた。


「どうしたもこうしたもないだろ。敵(やっこ)さん、現れたぞ。それも三体だ」


「了解」


 観測手からの通告に少女は手短に返答すると、通話を切り左手のブレスレットに手をかける。


「スターティング・オン」


 少女がそう発すると、純銀のブレスレットは眩い光を発生させ、楕円形の端末を出現させた。ブレスレットに接続された紺碧の端末には、ブレスレット同様に幾何学模様が刻まれ、その中心には三つのスイッチと何かの状況を示す為の複数のゲージが表示されていた。


 少女は一番端のスイッチに手をかける。ブレスレットから電撃が走ると、端末中央のゲージが揺れ動き、何かの残量が少ないことを示すように、赤い短線が表示された。


 持ってあと一回か。


 連日の戦闘によって、このシステムも、己自身も限界に近いことは十分に分かっていた。少しでも回復出来るようにと先程まで必要最低限の行動を心がけていたのだが、あまり意味はなかったらしい。


「モードオーダー:エコノミー」


 少女は端末中心のスイッチを押したまま、ブレスレットにそう指示を下すと、端末の中心の液晶が点滅し、『MODE:ECONOMY』と文字が流れていく。


「昇華式起動」


少女は呟き、まだ押していない最後のスイッチに手をかけ、続いて全てのスイッチを一気に押し込んだ。


少女が手をかけた端末は眩い光を放ち、やがて彼女そのものを包み込んでいく。


『Put on Calamity』


端末から女性型の電子音声が鳴った刹那、少女を中心に爆風が発生し、彼女を包んでいた光は瞬く間に吹き飛んでいく。



 ……その光の果てに少女は居なかった。


 嘗て少女が立っていた場所に佇むのは、鋼鉄の鎧を纏いし異形の姿だった。


 紺碧を基調にしたその全身には、人体の大動脈を模したような純銀のラインが走り、それが妖しく光る。


 細かく分割された装甲群は、その一つ一つが筋肉を連想させる曲線美を描くが、胸部を中心に展開された純銀のプロテクターからは太古の剣闘士を彷彿とさせる力強さが滲み出る。


 そして、異形を異形たらしめる頭部には、偵察用戦闘機に装着されるような単眼型カメラセンサーがそのまま移植され、小型化することの出来ないレンズ部が頭部の前面にまで突き出ていた。


『CF P-XXX "KURAOKAMI" connected』


 西洋の怪物、サイクロプスと形容するのが相応しいその異形に対し、左腕に取り付けられた紺碧の端末は静かにそう呼称した。


 クラオカミ、日本神話に登場する神の名を騙るその異形こそが、厄災を纏いし少女の姿だった。


「モードオーダー、インストール:アーセナル」


 目の前の景色が無数の電子機器を経由し映像化されたものとなったことに特に気を止めることもなく、少女はクラオカミに搭載された管制OSに指示を出す。


『オーダー確認、アーセナルユニットを転送します』


 耳元で電子音声が響くと同時に、少女の下半身部の空間が歪み、4本の濃緑の姿勢制御用サブ・レッグが出現、鉤爪状の足を大地へと固定させると、上部接続口はそのままクラオカミの腰部と繋がれる。続けて、背部に対反動用サブブースターが出現、そして、元々か細かった少女の腕部には補強フレームが装着されていく。


『アーセナルユニット、インストール完了』


 電子音声の無機質な声と共に、少女の瞳に映る電子計器の数値も変更されていく。


『警告。機体負荷上昇、長期の稼働は推奨出来ません』


「分かってる。通信回線、再接続スタート」


 目の前の映像に警告を示す赤色が入り混じったことに舌打ちをしそうになりながらも少女は、管制OSに次の指示を送る。


「こちらクラオカミ、聞こえる?」


『ああ、感度良好、バッチリだ』


 予め設定してあった通信回線から聞こえて来るのは、先程の観測手の男の声だ。



『結局、あと何分持ちそうだ?」


「システム予測だと5分、でも実際は3分持てば上出来よ」


『ああそうかい。んなら手短に終わらせようや』


 観測手がそう言うと、クラオカミに搭載されたデータリンクシステムが起動し、彼女の視界にロックオンマーカーが三つ表示される。


 目の前に示されたマーカーが己の視線の真ん中に来るように頭を動かし、目を凝らすと、眼球周りの筋肉の収縮を感知したクラオカミのカメラセンサーが自動的にズームし、彼女が捕捉せんとする目標に対しピントを合わせた。


「敵影を捕捉。ランク2の飛翔型が三体」


『だろうな』


 空飛べてあんだけ不細工なのは奴らくらいだろ、と観測手の男は笑う。


 少女にとって笑える要素なぞ微塵もなかったが、飛来してくる敵の不気味さに関しては同意見だった。


 超遠距離から眺めるシルエットだけであるなら、人間のような四肢に加え、翼を生やした物体、と形容すれば済むのだが、レンズ越しに映るそれには、猛禽類の鉤爪のついた脚、蟷螂の鎌を彷彿とさせる腕、鰐のそれをそのまま移植したような巨大な顎がついている。肉食動物を無理矢理繋ぎ合わせたキメラと形容するのが一番しっくりくる。


「排除行動に移る」


 少女は手短にそう宣言すると、予め設置してあった巨大な砲撃ユニットのトリガーに手をかけ、その砲塔を排除対象に向け、構える。


「アタックオーダー、ターゲットロックスタート。続いて35,6mm電磁投射砲、スタンバイ」


『オーダー確認。戦闘モードに移行します。コンデンサ、チャージスタート』


 クラオカミの電子音声に合わせ、少女から見て一番近い敵のマーカーが青から赤に切り替わる。そして、少女の背部に設置されたドラム型の発電機が唸りを上げて大電力を生産、それがコンデンサに注ぎ込まれていく。


『チャージ完了』


 画面内に表示してあったチャージゲージも併せて一瞥した彼女は、コンピュータが示したターゲットを強く睨みつける。狙うは怪物の頭部。彼女の視線と連携し、砲塔を支える彼女の両腕がクラオカミの自動制御によって彼女の意思とは関係なく動き、正確に照準を合わせていく。



「喰らえッ!!」


 少女は絶叫し、その激情がトリガーに注がれた刹那、砲塔に凄まじい閃光が駆け抜けた。


「ッ!!」


 続いて、大気の壁を突き破る轟音が響き、解き放たれた砲弾が放つ衝撃が少女の全身に襲いかかる。腰部から生えたサブレッグがその衝撃の一部を吸収するが、それでも彼女は立っていられるのがやっとだった。


「カメラシステム再起動! ゼンさん! 状況は!?」


 少女は閃光によって機能不全となったシステムに素早く指示を出し、観測手-ゼンと呼ばれた男に確認を取る。


『一体の撃退を確認』


 よくやった、観測手からの報告とほぼ同時に、ブラックアウトしていた視界が復旧する。視界の先には編隊の中心にいたはずの怪物の一体が文字通り消失していた。


『だが、気をつけろ。敵さん、そっちに向かい出した』


「了解。アタックオーダー、リスタート」


 少女は観測手とクラオカミのシステムへ手短に応答と指示を出し、砲塔の左側に備えつけられていたグリップを力強く引っ張る。


 すると目の前にある三束の長槍が回転、大電力が注がれ異常加熱を起こした初弾砲塔は左下に移動し、鉄パイプを経由して発射される化学溶剤により強制的に冷却され、猛烈な水蒸気を発生させる。


『警告。機体負荷急上昇。直ちに離脱して下さい』


 水蒸気で霞む視界を映像フィルタリングで修正しながら、機体が警告音を鳴らす。全身に襲い掛かった衝撃が想定以上だったらしい。


「戦闘続行! 再チャージ急いで!!」


 そんなことは分かっていると言わんばかりに少女は吠える。離脱したところで、助かる見込みなどそもそも無い。


 コンデンサのチャージゲージを一瞥しつつ、少女は標的を再度睨みつける。観測手の報告通り、敵の飛行ルートは明らかに少女を目掛けて降下している。


 奴らが何故こちらへ向かっているかなんて分かりはしない。仲間を失ったことへの報復か、それとも飛行上の障害を排除するための戦闘行動か、


 あるいは、獲物を見つけたことからの捕食行動か。


 だが、それに対し彼女がすることは最初からもう決まっている。


『チャージ完了』


「行けッ!!」


 少女の憎悪を込めた一撃が、左翼から襲いかかる怪物へと注がれる。閃光により視界が再度ブラックアウトするが、手応えは間違えなくあった。


『二体目撃退! ついでに衝撃で隣の奴も吹き飛んだ!』


 少女が確認するよりも先に観測手の声が耳元に響く。


『だが、まだ死んじゃいない! 再ロック急いでくれ!!』


「……了解ッ」


 少女の声が曇る。先程の砲撃で全身がバラバラになりそうだった。一発目に比べて機体の衝撃吸収率が明らかに低下している。


 管制OSの自己学習機能より、少女が指示を出すよりも先にカメラシステムが再起動、続いてロックオンマーカーが、砲弾のソニックブームに巻き込まれて吹き飛んだ最後の敵へと再度照準を合わせる。


『機体負荷90%を突破。基幹システムに深刻な異常が発生しています』


 悲鳴をあげているのは少女だけではなかった。今まで聞いたことのない警告のあと、それを示すかのように視界を司る画面の端々にノイズが走っては消える。


「……砲塔の冷却作業を中止。ごめん、あと一発だけ耐えて」


 懇願するかのように少女は呟き、左側のグリップを引く。


『オーダー確認。ならば、死力を尽くしましょう』


「ッ!?」


 管制OSの言葉のあと、コンデンサへの電力供給が始まると共に、引っ切り無しに鳴り続けていた警報音が止まり、機体異常を示す赤の光は失われる。だが、その代償なのか、視界情報はロックオンマーカーが追いかける敵だけを表示し、その他の情報は全てブラックアウトしてしまう。


「全く」


 危機的状況であるにも関わらず、少女の口元には笑みが溢れた。無茶に無茶を重ねた作戦だったが、私の判断は間違ってはいなかった。


『ターゲットの距離、約100m。コンデンサチャージ率20%』


 画面上に表示されなくなった各種計器を管制OSが読み上げる。


「ギリギリまで引き付ける」


 自分に言い聞かせるように少女は言うと、自然とトリガーを握る手も強くなる。


 眼前へと迫りつつある怪物。クラオカミの高性能カメラに映るそれには、先程のソニックブームを喰らったような外傷は何一つ見られない。


 分かっていたことだ。生半可な物理攻撃で、この怪物に傷は与えられないことは。



『距離40m チャージ率48%』


 ……失敗したらどうなる?


 依然として上昇しないコンデンサに苛立ちを覚える一方で、少女の脳裏にそんな想いが浮かぶ。


 まず、私は惨たらしく死ぬだろう。抵抗する術はない。


 まあ、それは仕方のないことだ。戦うと決めた以上、死は免れない。先輩達にやってきた死が自分に回ってくる。ただそれだけだ。


 だが、私が死んだあとはどうだ?


 私を喰らい尽くしたこの怪物は再び空を舞い、今度はまた別の獲物を喰らうだろう。


 私が守りたいと願う世界を奴らはいとも簡単に蹂躙する。それだけは、


 ……許せるわけがない。


「インターロック解除!」


己を鼓舞するかのような少女の叫びが反響する。100%のチャージが間に合わないのなら今放てる最大限を叩き込むしか手段はない。


『オーダー確認。距離30m』


残された唯一の手段にチャージ率の概念は最早必要ではない。


『20m』


敵は一直線でこちらへ向かってくる。二体の同胞を打ち負かした砲塔を警戒する素ぶりなど微塵も見せつけない、完全な捕食の為の軌道。


『15m』



 ここで倒す。ここで倒す。ここで倒す。


 自己暗示にも近い呪文が少女の脳内で繰り返される。グリップを握る手も自然と強くなる。


『10m』


 カメラの拡大機能から敵の姿がほぼ眼前にまで迫る。だが、まだ接近させることは出来る。


 この醜悪な怪物に与えなければならないのは確実な"死" だ。例え刺し違えてでもこいつを葬り去らなければならない。


 それが少女の使命。この世界を守るべきだと常に自身に言い聞かせてきた。


 だが、


--本当に守る価値なんてあると思ってるの? 私達を裏切り続けてきたこの世界に。


「ッ!」


 不意に脳裏に響くのは嘗て少女に突きつけられた呪いの言葉。目を背け続けていたその問いかけにずっと張り続けていた緊張の糸が僅かに一瞬、緩んでしまった。


 そして、その一瞬が、最悪のタイミングだった。


『オイ!!!』


 観測手からの怒号で少女は現実に引き戻される。


「なっ……」


 気がつくと、少女の眼前から怪物の姿が消失していた。執拗に敵を追い続けていたロックオンマーカーも少女の集中力が途切れたことに加え、制限解除の不調により、虚無を捉え続けている。


『上だ!!』


 観測手の叫びに合わせ少女は上空を見上げると、其処にはつい先ほどまで接近していた筈の怪物が再上昇をするべくその翼を羽撃かせていた。


「くそっ!」


 捕食の為にこちらに迫っていたのではなかったのか。敵の予想外の行動に一瞬混乱するが、そうであっても彼女の使命に変わりはない。


 機能を停止したロックオンマーカーは無視し、少女は自らの意思で巨大な砲塔の照準を怪物へと向けていく。度重なる衝撃によって損傷した人工筋肉は悲鳴をあげながらも鈍重な長槍の束を振り回す。


「逃がすかっ!!!」


 砲塔の直線上に敵の左翼が交差した刹那、少女の方向と共に、長槍に大電力が注がれ砲弾が天に向かって放たれる。


 凄まじい閃光が放たれると同時に頭部のカメラ機能が停止、少女の視界は暗黒に包まれる。


「ぐっ……!」


 続いて砲撃に対する強烈な反動、そして砲弾から放たれるソニックウェーブがクラオカミの全身に襲いかかる。


『後部サブレッグ異常発生。衝撃に耐えられません』


 みしり、みしりとヒビが入るような感触が腰部へと伝わる。今ここで倒れるわけにはいかない、少女は左足を一歩後ろに下げ、サブレッグが耐えきれない分の衝撃を自身の足へと分散させる。


『ギャアアアアアア!!!!』


 劈くような絶叫が砲撃の風切り音に混じるかのごとく響く。だが、肝心の状況は視界がブラックアウトしたままで見えない。


「カメラシステム再起動!! ゼンさん! 状況は!?」


 少女は叫ぶ。敵の悲鳴が聞こえたことは確かだ。しかし、まだ倒しきれていない。一撃で殺せているのなら断末魔すら聞こえない筈だ。


 砲弾からの衝撃が収束したタイミングで少女は抱えていた砲塔を投げ捨てる。敵が死んでいない以上は、まだ戦闘は終わっていない。


 多大なノイズを出しながらもクラオカミのカメラシステムは再起動した。解像度の低い世界の中に敵影は見えない。


『後ろだよ、後ろ』


 観測手の声は至極落ち着いていた。その調子に違和感を覚えつつも少女は腰部の拘束具を解除、観測手の言う方向へと振り向いた。


 敵はまだ健在だった。


 至近距離からの砲撃によって片翼を失い、風に煽られ不安定になりながらもあの怪物は再び空へと舞い上がっていく。向かう先は本来の進路方向そのままに。


「ッ! 追撃を!」


 そう言って少女は放棄した砲塔に再度手を出そうとするが、


『機体負荷147% 基幹システム及びアーセナルユニットに深刻な破損が発生』



「ッ!?」


 腕を動かすよりも先にクラオカミの腕部に装着された補強フレームが脱落、更に背部のサブブースターは排出した直後に爆発し、衝撃と残骸が彼女の背中に叩き付けられる。


『各部電力供給強制停止。これ以上の形態維持は不可能です』


 突きつけられるのはタイムオーバーの宣告。少女の動きに併せて動き続けていた機体は、石像のように硬直し今度は少女の身体を拘束していた。


「……全システム強制終了。ごめんね、無茶させて」


 声を振り絞るように少女は最後の指示を出す。


『オーダー確認。全システム強制シャットダウンを開始します。お疲れ様でした』


 管制OSの言葉のあと、身にまとっていた紺碧の鎧は光の粒子となって霧散し、異形から少女本来の身体が姿を現した。


 変身が解かれた刹那、風が少女の髪を揺らす。


 少女の瞳が倒せなかった怪物の姿を追うが、既に敵は彼女の肉眼では捉えきれないところまで飛翔していた。



 ……作戦は、失敗した。


      ◇


『全く、ヒヤヒヤさせやがって』


 少女が耳元に当てた携帯電話から観測手の声が響く。


「……ごめんなさい」


『別に謝ることなんて何もないだろ。上出来だろ。上出来』


 事態を深刻に捉える少女に対し、それに応える観測手の声はやけに軽かった。


「一体取り逃がした」


少女にとってそれは許し難い事実だった。此処までの無茶の連続を行ったのは、あの怪物どもを一匹残らず撃退する、その為にあった。なのにそれを完遂出来なかったのであれば、無茶の連続も無意味に等しい。


『こんなクソみたいな状況で、二体撃退に加えて残りの一体にも大ダメージ、それでかつこっちの人的損失ゼロ。昔と比べりゃ上等すぎる戦果だと俺は思うがね』


 まっ、物的損害はこの際ノーカウントだ、と観測手は笑う。


「でも、逃げた一体が町に向かってる」


 自然と携帯電話を握る手が強くなる。 


一体だけなら町への被害も最小限で済む、などとこの観測手は思っているかもしれないが、少女の想いは違う。被害の規模は関係ない、被害が出たその時点で、少女にとっては負けなのだ。


『だったら、逃げた敵さんを俺達で始末すればいいだけさ』


「もう戦う手段も無いのに、どうやって始末するつもり?」


 能天気すぎる観測手の発言に少女は思わず声を荒げる。既に二人は度重なる連戦によって消耗しきっていた。前回の戦闘で観測手は戦闘不能となり、少女もこの作戦でクラオカミに深刻なダメージを与えてしまった。液晶に大きくヒビの入った変身端末がそれを物語る。


 生身の状態であの怪物に勝てる見込みは間違いなくゼロに近い。観測手か少女を生贄にして、その隙に攻撃すればわずかながらに可能性はあるかもしれないが、そんなことを提案されようものなら、真っ先にこの男を怪物の眼前まで蹴飛ばしてやる。


『戦う手段が無いのは現時点。だったら、勝てる手段をかき集めるだけさ』


「……具体的には」


 格好の良い言葉なら誰にだって言える。だが、今一番欲しいのはその能天気さの根拠だ。


『奴の飛んでいった方向と、なんで奴はお前さんを捕食しなかったか。此処にヒントはあると思うぜ』


「えっ?」


 どうせ言葉を詰まらせると踏んでいたが、観測手の素早い返答に少女は思わず声を漏らす。


『方角的にいえば奴の向かっているのは常乃倉市で間違いない。うちのデータベースじゃ常乃倉に”発症者”がいるって記録はない』


「そんなことは分かってる」


『まあ待て。次にお前さんが喰われなかったのは、戦ってる最中にお前さん自身の魅力が底をついた、それは間違いない』


「ちょっと」


 事実だけ整理すれば間違ってはいない。だが、今の発言は完全にセクハラだ。


『直後に重傷を負ってでも、魅力の無いお前さんを狙わなかったということは、かーなーり熟した発症者があの町にいるってことだ。でも、うちの記録には誰もいない』


「……だから何?」


『これだから、戦ってばかりの奴は』


 頭を使え頭を、と観測手はため息をついた。何がなんだか分からないが二度どころか三度も馬鹿にされた。


『要するにうちの管轄外でかなりやばい事になってるってことさ。軍絡みか、あるいは公安案件か』


 まあこの様子だと担当管轄は気づいちゃいなさそうだが、と観測手は続ける。


『つまるところ、案件抱えてる連中のバックアップが期待できる』


「……分からなくはないけど、それって、大丈夫なの?」


 観測手の言い分は話半分ではあるものの理解は出来た。だが、その作戦には政治が絡み出すことも同時に予想される。組織政治に疎い少女でもその厄介さくらいは薄々承知していた。


『さっきまで手段選ばず戦ってきたんだ、今更躊躇する必要なんて何もないと思うが?』


 観測手の言うことに間違いは無かった。少女の眼前にある、最早スクラップ状態になってしまった電磁投射砲ユニットこそ、手段を選り好みせず突き進んできた何よりの証拠だった。


『諸々の後処理の事なら心配すんな。俺の黒い噂、聞いたことあるだろ?』


「……そうね」


観測手がはにかんでいる姿が容易に想像出来て少女は呆れざるを得なかった。この男の噂の件は以前から知ってもいるし、だいたいそれが事実なのも薄らと気付いているが、少なくともそんな後ろめたくなるような話を自分からするものではない。


『よし、次の方針が決まったならさっさと撤収。ぶっ壊れた電磁投射砲は一旦投棄、合流ポイントで落ち合おうや』


まだまだやることは沢山あるぞぉ、と観測手は少女の返答を聞くこともなく通話を終了した。


「全く」


陽気なものだ、と少女は思う。つい先程まで共に死線を潜り抜け緊張を共有していたのがまるで嘘のようだ。彼女の戦いから来た熱はまだ収まらないというのに。


……問い詰められるよりかはマシか。


観測手に呆れる一方で、その呆れた調子を有り難く思う感情も少女の中で同居していた。


敵を一体逃したことは間違いなく彼女の失態だ。普通ならその失態に対し、責任説明を根掘り葉掘り聞かれるものだが、あの男は「ヒヤヒヤした」とだけ言ってそれ以上の追求はしなかった。


まだ、やれることはある。


そう自分に強く言い聞かせる。同じ失態を繰り返してなるものか。もう迷うことも立ち止まることも許されはしない。


決意を胸に秘めつつ、夜空を見上げると、分厚い雨雲の隙間から月の光が微かに漏れ、少女の姿を静かに照らしていった。

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