第38話 僕のアイドル、私はアイドル ①

 夏向が現れることなく、ついにフェス当日を迎えてしまった。

 会場内は満員御礼、フェスの開催を今か今かと待ち望んでいる様子だった。



「フェスまで一時間を切ったわね」


「もう少し、もう少しだけ待ってください! 夏向は必ず来てくれますから!」


「……気持ちは分かるけど、さすがにもう待てないわ。夏向は急遽体調不良で来られなくなったということで、運営の方に伝えてくる……」



 やりきれない表情を浮かべながらその言葉を口にし、秦泉寺さんは歩き始めた。



「秦泉寺さんは、本当にそれでいいとも思っているんですか!」


「夏向一人に振り回されるわけにはいかないの! このフェスの会場には一万人のお客さんが観に来ているしテレビ中継も行われているわ。咲もわかるでしょう?」



 諭すような声音で語りかけてくる秦泉寺さんの言葉を聞いて、納得はいかないが僕は首を縦に振った。



「それじゃあ、伝えてくるから……」


「あら明菜、御機嫌よう。無礼な新人も、ちゃんと来ているようで何よりですわ」


「斗羽利先輩……」



 僕と秦泉寺さんの前に現れたのは、霧生院斗羽利だった。

 バッチリ整えられたブロンドに際立ったおでこ。彼女がフェスに賭ける意気込みは髪形のみならず、身に纏う鮮やかな赤い衣装からも伝わってくる。



「夏向は来ていませんの? まさか棄権なんてつまらないマネ、なさるつもりじゃありませんわよね?」



 挑発するかのように、斗羽利は僕達の方を見て口にした。



「夏向は……来られないわ……」


「……はぁ? 何を言いだしますの、冗談にしては笑えませんわよ」


「こんなこと、冗談で言えるわけないでしょう!」



 秦泉寺さんは感情剥き出しの声で斗羽利に言うと、目に涙を溜めてこの場を去ってしまった。さすがにこれを聞いたことで、斗羽利の顔から笑みが消えた。



「ふ……ふざけるんじゃねぇ、ですわ! 私様がこのフェスであの女を完膚無きまでに叩き潰さないと意味がありませんのよ! 引きずってでも、今すぐここに連れてきなさい!」



 斗羽利は僕の袖を掴み、恫喝とも取れるようなセリフを吐いた。



「私には、その資格はないんだ……」


「はぁ? 資格? 何を言っていますの貴女?」


「夏向がここに居ないのは、私のせいだから。私が、夏向の笑顔を奪ったから」



 僕の隣で笑ってくれた、夏向の顔を思い出す。しかしその笑顔が次第に泣き顔へと移り変わり、あの時の出来事が僕の記憶を呼び覚ました。



「私は、もうアイドルとしてステージに……夏向の隣に居る資格なんて……」



 流れ出る涙、込み上げてきた罪悪感に心を折られたが故に出たものだった。

 来てくれると信じたかった、しかし夏向は来なかった。それはもう、僕の事を許すつもりはないという事。夏向はアイドルとしての活動を続けていくのを本当に諦めたのだ。



「――何があったか存知ませんけど、泣いてることだけしかできない貴女には心底呆れましたわ。いえ、呆れを通り越してムカつきですわ!」


「なんとでも言って下さい、ファンを笑顔に出来ない今の私はアイドル失格です」


「勘違いしているようですから言わせてもらいますけれど、アイドルというのはファンを笑顔にする仕事じゃない、笑顔にさせる仕事ですのよ。そこを履き違えているようじゃ、貴女も半人前以下……いえ、アイドル以前の問題ですわね!」




「……そうだよ、咲。待ってくれているファンの皆を裏切るようなことだけは、絶対にしちゃダメなんだ。それが、アイドルって仕事なんだから!」




 その言葉は、僕の背後から聞こえたものだった。



「か、かかか………夏向ぁ――――――っ!」



 そこにはステージ衣装を身に纏い、凛とした表情でこちらを見る枢木夏向の姿があった。



「フッ、よく来ましたわね枢木夏向。それでこそ、私様からトップアイドルの椅子を奪い取った女。貴女のパートナーは随分と腑抜けているみたいですけど、そんな調子で私様に勝てるのかしら? 約束通り、このフェスでその椅子を明け渡していただきますわ!」


「トップアイドルの椅子とかよくわからないけど、私は今日来てくれたお客さんのために精一杯歌うだけだよ! 斗羽利ちゃん!」



 夏向は斗羽利の言葉に物怖じせず、ハッキリと答えた。



「そんなセリフも吐けないくらい、圧倒的な大差をつけてやりますわ。覚悟なさい!」



 それだけ言うと、斗羽利は踵を返して行ってしまった。



「夏向、来てくれてありがとう! そして……ごめんなさい!」


「正直なところ、私はまだ咲のことを許してないと思う。でも咲がいなければ、今の私はいなかった。私のことを傷つけまいと嘘までついてユニットを組んでくれた、二人で共にしてきた時間に嘘は無かった。フェスには私と……咲を待ってくれているファンがいる。そう思い至ったら私、いつの間にかここへ来ちゃってた」



 夏向の言葉に、僕は救われた気持ちになった。ファンのために必ず来てくれると信じていた、やっぱり彼女は最高のアイドルだ!



「一つだけ聞かせてください、今ここにいる貴方は……紫吹肇さんですか? それとも、蕗村咲?」


「僕は、いや私は! 枢木夏向の相方アイドル。パッケージの蕗村咲です!」



 それは嘘偽のりない、僕の本心から出た言葉だった。



「その言葉が聞けて、安心しました。今の私は、咲と二人で一つ……どちらが欠けても成り立たないアイドルだもの。行こう、咲! 私達を待ってる、みんなの元へ!」


「うん! 行こう、夏向!」

 


 僕と夏向は、互いに手を取り駆けだした。



「秦泉寺さん、遅くなりました! 枢木夏向、只今より復帰します!」


「夏向、あなた戻ってきてくれて……ううん。そんなことを言っている暇は無いわ。二人共、フェスまで時間がないの。リハーサルはして無いけど、行けるわね?」


「「はい!」」



 僕と夏向は同時に答える。

 不思議だった、あの日から一度も合同練習なんてしていないのに、今なら絶対に失敗する不安や緊張を一切感じなかった。



「それなら、私から言うことはもう無いわ、思いっきり歌ってきなさい!」


「「行ってきます!」」



 秦泉寺さんに背中を押されて、僕は夏向と共にステージへ走った――。

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