第31話 紫吹 肇という存在 ③

 霧生院斗羽利に対し啖呵を切ってしまってからというもの、僕はフェスに向けて練習を重ねていた。当然相方の夏向とも一緒に練習しているのだが、夏向はモデルとして雑誌に載ったりCMの宣伝を任されたりとてんてこ舞いの日々である。

 新人アイドルの僕には、まだそんな仕事のオファーは来ておらず、今日も夏向の仕事場へ〝おまけ〟という感じで同行し、鷹テレビのスタジオ裏で彼女の仕事振りを見守っているのだった。



「はーい、OKでーす! お疲れ様でした!」


「お疲れ様でしたーっ!」



 撮影監督からの「OK」が言い渡され、夏向の撮影は無事に終了した。今日の撮影はアイスクリームのコマーシャル、この暑い夏にはもってこいの食べ物である。

僕もスタッフさんからアイスを配られ試食したが、とても美味しかった。



「秦泉寺さん、今日の仕事はこれで終わりですか?」



 楽屋に戻った夏向は、秦泉寺さんにそう投げかけた。



「えぇ、そうだけど……もしかしてこの後何か用事でも?」


「そういうわけじゃないんですけど……まだお昼過ぎだし、今日は咲と二人でショッピング行きたいな~って」



 なんだって! 

 ぼ、僕と……ショッピングに行く?



「ね、行こうよ咲! 仕事やレッスンも大事だけど、息抜きも大切だよ!」



 僕はつい先ほどまでアイスを食べて息抜きしていたのですが……と、口から出そうになった言葉を無理矢理引っ込めた。



「あら、いいじゃない。パートナー同士、親交を深めるのも大切なことだわ。目的地が決まっているなら、そこまで送ってあげるから教えてくれる?」


「ありがとうございます! そういうことで咲、この後ショッピングに行こっ!」


「う、うん! いいよ、私も行く!」



 そういうこともあって、僕と夏向は二人でショッピングに行くことになった。

 テレビ局を出て向かったのは、ファッションモンスターの巣窟――渋谷。夏休みということも相まって、渋谷の街はオシャレ上級者が行き交っており、満員電車かと思うような人口密度が眼前に広がっている。人に酔うとは、正にこのことだ。



「……事故でも起こっているのかしら、全然進まないわねぇ~」



 車内から覗く外の様子は、まさしくすし詰め状態。信号が青になっているのに、前の車は進む気配が無かった。



「秦泉寺さん、ここで大丈夫ですよ。私達、降ります」


「そう? 二人共、一応自分が芸能人だって自覚を持った上で行動しなさいね。こんな街中で騒ぎになったら、ひとたまりもないんだから」


「わかってまーす! じゃあいこっか、咲」


「うん!」



 僕は夏向に手を握られて車を降りた。芸能人の自覚を持って行動しろと釘を刺されたこともあり、夏向はサングラスを着用、僕も一応マスクで口元を覆う。


「レッツ、ゴー!」


 夏向のテンションがやけに高いことに圧倒されつつ、僕は彼女と並んで渋谷の道を歩き始めた。周りの人達から向けられた視線が肌に刺さる感覚にドキッとしたものの、特に騒ぎ出す人もいないので僕達の素性が見抜かれたわけではないと胸を撫でおろす。



「夏向はすごいね、周りにこんなの沢山の人がいるのに堂々として歩けてる。私なんて誰かにばれちゃうんじゃないかって落ち着かないよぉ」


「そんな、私だって絶対にばれないなんて確信は持っていないよ。でもステージで歌って踊って沢山の人達の前に出る機会が多かったからかな……最初は咲みたいにドキドキしてたんだけど、今じゃ不思議と緊張しなくなっちゃった」


「そう、だったんだ……」


「うん。だからね、咲ももう少ししたらきっと慣れちゃうと思うよ。これから大勢の人の前で歌うフェスだってあるんだし!」


「……だね。私がこんなんじゃ、夏向の相方なんてとても務まらないし……」


 深呼吸を一つして、僕は縮めていた歩幅を広げ歩き出す。

 その後、目的としていた渋谷の大型ショッピングモール009(通称:マルマルキュー)へとやってきた僕と夏向は、ショッピングを楽しんだ。



「これとか咲に似合いそうだね!」


「そ、そうかなぁ~。私はこっちの色の方が好きだけど……」



 いいか紫吹肇、これはデートでは無い! 

 繰り返す、これはデートでは無い! 



 度重なる自問自答、009に入ってからというもの、僕は自分を納得させるのに時間を要していた。周囲の目を意識しないと決めたら、今度は別の案件が僕を悩ませていたのである。

 

 あの国民的アイドルの枢木夏向と、二人っきりでショッピング。こんなのパパラッチがスッパ抜くよだれもののスクープじゃないか……まぁ、記事に載ったところで相手は同性の、しかも相方アイドルなんですが。


 しかし、僕は男……しかも店内へ入るなり夏向は僕の手を繋ぎ仲良く密着して歩いているのだ。一度そのことを意識してしまうと、中々拭い去ることができない。



「このワンピース、素敵なデザイン! でも、色はオレンジよりピンクの方が好みかなぁ」


「じゃ……じゃあ今度、私が作ってあげるよ」


「本当!?」



 僕が何気無しに言った言葉に、夏向が過敏な反応を見せた。



「う、うん。……実は私、夏向がライブで着る衣装を作るのが夢だったの。自分が作った衣装を夏向が着てくれたら、こんなに幸せなことは無いな~って……」


「咲……」



 そう、それこそが僕の夢だった。

 御空先輩や琴美と一緒に、部活で服を作っていた頃の記憶を思い返す。まだアイドル生活が始まって二週間程度しか経っていないのに、なんだか懐かしいように思えてならなかった。



「まぁ、今はこうしてアイドルとして夏向の傍にいられるから、毎日幸せなんだけど。これ以上の幸せを願ったら、バチが当たっちゃいそうだね」



 今以上の幸せを願うのは、本当に欲が深すぎると思った。



「それを言うなら私もだよ。本当に、咲と出会えてよかった。咲と出会えていなかったら、今頃私……わたし……」



 夏向はサングラスを外して、僕の胸に顔を埋めてきた。

 目から流れ出した彼女の涙が、僕の服を濡らしていく。



「うぇ~ん、さぁきぃ~~~~。ほぉんとぉ~にぃ、ありがとぉ~~っ!」

「か、かなた! 声が大きいよ、声がっ!」



 理性より感情の方が先に出る、そんな夏向の性格がここで禍いとなる。周囲のお客さんの目が、急に大きな声で泣き出した夏向に向けられたのは道理であった。



「おい、あれ! あの娘、もしかして蕗村咲じゃないのか!?」

「えっ、じゃああの泣いてる女の子って……まさか枢木夏向?」



 これは、おおいにマズイ状況だった。今のご時世、SNS(ソーシャルネットワークサービス)と呼ばれるものがある。そこで僕たちのことが取り上げられでもしたら、事務所に迷惑をかけてしまうのだ。



「夏向、行こう!」


「ふぇ?」


「とにかく走って!」


「う、うん。わかった!」



 僕は周囲の目から逃げる為、夏向を連れて009を飛び出す。冷房の効いていた建物内とは違って、外の熱気は僕の残り少ない体力を根こそぎ奪っていった――。

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