第28話 ワーク スケジュール ⑥


「無い、無い……。服が、無いっ!」



 それは、写真撮影終了後の更衣室で起こった。

 夏向の服が無くなってしまったのだ。



「ちゃんと探したの、夏向?」


「探したよぉ~、たしかにここに置いておいたはずなのに……」



 秦泉寺さん、そして瑠璃さんを始め撮影に携わったスタッフ総出で探すが、やはり夏向の服は見つからない。しかし僕の服はちゃんとあった。つまりこれは、夏向個人を狙った犯行である。



「加賀さん、夏向と蕗村さん以外にこの部屋を利用していたのは?」


「自治体の方にも確認しましたが、撮影関係者以外は誰も……」



 瑠璃さんもこの状況に困惑しているようで、表情が曇っていた。



「服、見つかりました!」



 その報告を届けてくれたのは、撮影スタッフの方だった。僕と夏向は秦泉寺さんの後ろに続き、スタッフの元へ駆け寄る。

 


「ありがとうございます! で、服は……」


「それが、その……」



 スタッフの手に握られた服は、確かに今日夏向が身につけていた服だった。しかし身につけていた時と明らかに違う不純物が、今の服にはくっついていた。



「そんな、なんで……また……」



 夏向の服には、ベッタリと納豆のデコレーションが施されていた。そしてそれを見たことで、僕はこの惨劇を引き起こした犯人に心当たりを抱く。

 部屋を飛び出し建物の外へ出ると、僕は撮影用のデッキチェアで優雅にくつろいでいた金髪の女の子目がけ駆けた。



「斗羽利先輩、あなたって人は……」


「あら、血相変えて……どうかなさいましたの?」



 白々しくも、斗羽利は涼しい顔で僕に語りかけてきた。



「また、そんな惚けた態度を……」


「ふふふ、随分と怒り心頭のご様子ですけれど……一体何があったのかしら?」


「夏向の服が納豆まみれになっていたんです! あの静岡で行ったシークレットライブと同じ悲劇が、ここでも繰り返されたんですよ!」


「あらぁ~、それは災難でしたわねぇ。わざわざスケジュールを変更してまで写真の撮影に来たというのに、いったい誰がそんなことをしたのかしら……」



 首を傾げて見せる斗羽利の表情は、悦に浸っていた。

 同じ事務所のアイドルが悲劇に逢っているというのに、この満足気な表情は狂っているとしか思えない。


 衣装を納豆まみれにした張本人、それは恐らく霧生院斗羽利だろう。

 あのシークレットライブで起きた惨劇も彼女がスタッフを買収し、陰湿な嫌がらせで夏向を追い込んだことを僕は知っている。今回もまた自分の手を汚さず、撮影関係者の誰かに裏で手引きしたに違いない。



「本当に気の毒ですわねぇ。ですが……まぁ、この業界じゃどんなことがあっても挫けず、強い心を持って耐えていかなくては務まりませんわ」



 その言葉に、僕の堪忍袋の緒が切れた。

 


「どうしてそんな他人事のように振る舞えるんですか! 同じ事務所の女の子が辛い目に合っているんですよ!」



 グラスに注がれたジュースに口をつける斗羽利を前に、つい声を荒げてしまう。

 しかし僕の言葉なんて意に反した様子もなく、ジュースを飲み干した後、彼女はゆっくりと立ち上がった。



「おめでたい頭の新人アイドルである貴女に、先輩の私様からいいことを教えて差し上げますわ。この業界を生き抜く為に必要なのは、いかに周りを出し抜き上へ行くかってこと。もちろん相方を蹴落としてでも……ね」


「……わたしは、そうは思いません。たしかに芸能界に限らず、どの社会にも上下関係はあるとは思います。でも、アイドルには上も下もありません! 頑張っている姿を見ることで、ファンは心惹かれていくんです!」



 僕は言ってやった。この業界の大先輩である、霧生院斗羽利に言ってやったんだ。後悔はしていない、先に仕掛けてきたのは向こうなのだから。

 僕の態度が気に食わないのか、斗羽利は眉を顰め、鋭い目つきで僕を睨めつける。口元を緩め「貴女も精々、気をつけることね……」と残し去って行った。



「あ、居たいた。蕗村さ――」


「秦泉寺さん、やっぱりあの納豆は斗羽利先輩の仕業です!」



 斗羽利と入れ違いで更衣室から出てきた秦泉寺さんに、僕は今の感情を打ち明ける。目を丸くする秦泉寺さんだったが、おおよその事情を察したのか腕を組むなり息を吐いた。



「……やっぱり、あの子の仕業なのね……」


「そうです! あのシークレットライブでの件も、あの人が裏で手を回して」


「それを証明するものはあるのかしら?」



 秦泉寺さんに言われて、僕は口篭ってしまう。



「それは……ありませんが……。でもっ」


「わかってるわ。あの子なら、やるでしょうからね……」



 秦泉寺さんの表情はどこか切なそうで、瞳は遠くを見つめているような気がした。



「斗羽利先輩と夏向の間に、何か因縁めいたものがあるんですか?」


「斗羽利は夏向が現れるまで、アイドルと呼ばれる子達の間ではカリスマ的な存在感を放っていたわ。誰よりも努力して、誰よりも人前に立つことが好きな女の子。私はデビューした時からずっと、あの子の背中を見てきたから……」


「そんな斗羽利先輩が、今は夏向に嫌がらせをしている……」



 努力して勝ち取ったトップアイドルの座を、ポッと出の枢木夏向に奪われた。

 それが許せなかった斗羽利は、嫉妬に駆られてイジメをするようになった。



「蕗村さんのお母様も仰られていたように、女の嫉妬は怖いもの。人格すら歪めてしまうほどに……できることなら、あの子には昔のようなアイドルに戻って欲しいわね」



 人格すら変えてしまう程なのか、女の嫉妬とは……。

 僕は秦泉寺さんの言葉に、僅かながらの恐怖を覚えた。



「秦泉寺さん、私の服……どうしよぉ~……」



 そこまで話したところで、パレオの着用した夏向が僕達の方へと歩いてくる。



「そうだったわね。二人共、もう少しここで待っていてくれるかしら。夏向の服を買って戻ってくるわ」


「はい、わかりました」


「秦泉寺さん、お願いします」



 僕と夏向は秦泉寺さんが乗った車が行ってしまうのを見送ると、瑠璃さん達のいる更衣室へと入った。



「すみません。もう少しこの水着……お借りしていてもよろしいでしょうか?」


「も、もちろんです! 気の済むまで着ていてください!」



 瑠璃さんの目がとてもキラキラしているように見えるのは……、気のせいじゃないな。きっと枢木夏向と会話できたことに感動しているに違いない。

 僕もそうだったから、瑠璃さんの気持ちは痛いほどわかる。



「でも、災難でしたね。一体どこの誰が、あんな酷い事を……」


「もういいんです、そのことは。それに今の私の傍には、咲が居てくれるから」


「夏向……」



 夏向は僕の右手を握ると、少し頬を赤くしてはにかんだ。

 その表情を見て、僕も少し恥ずかしくなってしまう。彼女の手から伝わる温もりに応えるように、今度は僕の方から彼女の右手を握り返した。



「はぁ、はぁ……い、今の表情……一枚撮らせてもらっていいですか?」



 いい感じの雰囲気は、鼻息の荒い瑠璃さんの一言で台無しとなった――。




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