第8話 男の娘 (オトコノコ) ④

「約束は約束よ、肇」


 僕の努力を一瞬で無に帰す非情な一言が、お母さんの口から発せられた。


 言い訳の一言すら口に出すことを許さない、そんなお母さんの顔を見た僕は緊張感と緊迫感で息が詰まりそうになってしまう。


 家のリビングにあるテーブルを挟んで、僕は今、お母さんと向かい合って座っている。テーブルの上には、既に採点された期末考査の解答用紙が並んでおり、何を隠そうテストの結果がこの状況を作り出していた。


 期末考査の結果を記した用紙、その順位欄の項目に僕の名前は【4】と書かれていた。


 手応えは確かにあった。現にテストの点数は、勉強した甲斐があって自分でも驚くべき数値を叩き出している。それでも、僕はクラスで一番を取れなかった。すなわち、枢木夏向のシークレットライブに行くことはできなくなったのだ。



「……まぁ、テストの結果を見るだけでも肇の覚悟が本気だったのは十分伝わってきたから。お母さんも、この話を無かったことにはしないつもりよ」

「お母さん、じゃあ僕はライブに――」

「それはダメ、ライブへは行かせない」



一瞬でも期待した僕が愚かだった。


 お母さんは一度口に出したことは、テコでも曲げない性格の持ち主だ。妥協とか中途半端なんて事を嫌悪するお母さんの意地の強さは、ずっと一緒に暮らしてきた僕が一番よく知っている。



「ほら、他にもAKG66[アニマル・カインド・ガールズ]とかBLS24[ブラック・ラック・シスターズ]とか。アイドルって、色々あるんでしょ。そのライブへ行くのに必要なチケット代を、今後はお母さんが工面してあげるわ」



 お母さんはそう言うと表情を和らげ、僕に微笑みかけてくる。おかげでリビングに張り詰めていた緊張感は無くなり、僕は肩の力を抜くことができた。


 なるほど、どうやらお母さんは僕の目的が『アイドルのライブへ行く』ことだと認識しているようだ。


しかしお母さん、それは大きな間違いだよ!



「お母さん! 僕は……、僕は枢木夏向のライブへ行きたいんだ!」

「だからって、女装までして観に行くことはないでしょう。アイドルなんてみんな同じで大差ないわよ」

「それは違うよ!」



 僕は人差し指を突き立てて、お母さんに断固反発した!



「いい、お母さん。よーく聞いてね。確かに枢木夏向を始め、芸能活動を行っている彼女達(アイドル)の数なんて、とても数え切れるものじゃない。地域限定ご当地活性化アイドル(通称:ろこドル)や、歌って見ました☆ネットアイドルなんて呼ばれる人達もいて、もはや日本という国はアイドル戦国時代を迎えていると言っても過言ではないんだ」

「へ……、へぇ~……。そう……なの……ね……」



 語るのに夢中になりすぎて気がつかなかったが、お母さんの表情はやや引きつっていた。しかし、僕の口は止まらない。


 僕の持ちうる枢木夏向の魅力、そして知識を言弾という弾丸に変えて、必ずお母さんのA(アイドルなんて)T(大差ない)フィールドを撃ち抜いてやる!


 

 その一心で僕はお母さんと対峙し、口を動かし続けた。



「そんなにもたくさんいるアイドル達の中で、現在最も注目を浴びているのが枢木夏向なんだ。そんな彼女が、この蓮水市に来てくれるっていうんだよ! 女装してでも行く価値があると、僕は思う!」

「私は、無いと思うわ」



 お母さんは、さらっと受け流した。枢木夏向への想いが込められた愛の弾丸では、お母さんのATフィールドを撃ち抜くことはできなかった。


 ATフィールド、凄く……硬いです……。



「そもそも私は、肇が女装しようとしていることを心配しているのよ。あなたは男、女じゃない。自分が何をしようとしているか、今一度考え直しなさい!」

「わかってるよ! でも僕は枢木夏向に会えるなら女装だってしてやるんだ!」



 ヒートアップしていくお母さんとのやり取りだが、一向に終着点は見えてこなかった。



「肇、あなたのアイドル熱はよーっく伝わったわ。でも、女装までしてライブに行こうとするのはやりすぎよ。少し頭を冷やしなさい」

「……わかったよ」


 ピーン ポーン



 テーブルの上に並べている期末考査の答案用紙を手に取ろうとした所で、玄関に備えつけられている呼び鈴チャイムが鳴った。どうやら誰かが訪ねてきたらしい。



「あら、誰かしら。肇、見てきてくれる?」



 ライブへ行けなくなったという絶望感に苛まれながらも、僕はゆっくりと玄関へ足を進ませた。


玄関までの距離が、とても長く感じられる。足に拘束用の重い鉛でも装着させられているのかと思えるほど、一歩一歩の足取りがとても重かった。



「はい、どちらさまですか……?」

『肇ちゃん、わたし、わたし。琴美だよ』



 どうやら訪ねてきたのは琴美だった。玄関扉の覗き穴の向こうには肩まで伸びた黒髪をかきあげている眼鏡少女が立っており、間違いなく彼女が僕の知る渡良瀬琴美であることを確認する。開錠して扉を開けると、水色のワンピースを身に纏った彼女の姿が目に入ってきた。



「……琴美、何しに来たの?」

「いやぁ~、そのぉ~肇ちゃんのこと、気になって来ちゃったっていうか……」



 気になって、来た? 

 ……冷やかしか! 

 わざわざ冷やかしに来たのか、この女は!

 

 しかし冷やかしに来た割に琴美の様子はどこかそわそわして、落ち着きがなかった。チラチラと僕の方に視線を送っては、足元から髪の頭頂部まで忙しなく目を動かしている。そして理由は知らないが、顔が少し赤くなっているみたいだった。



「その、安心して肇ちゃん。肇ちゃんが女装しても、私は全然気にしないから」

「……………は?」



 いきなり何を言い出しているんだ、琴美は? 

 僕が女装するだって? 

 女装したくてもできないから、こうして気分が沈んでいるんだよ! 

 やっぱり冷やかしに来たんだな、このメス豚はっ!

 

 心の中で、僕は琴美に対して酷い罵詈雑言を思い描いた。そんな自分が酷く滑稽で、かなり荒んだ精神状態だなと笑えてきてしまう。重症だ、これは一刻も早く先月発売した枢木夏向のベストアルバム『 メモリーズ ~想いの夏向~ 』を聴いて心を落ち着かせなくては……。


 ミュージックプレイヤーには、彼女が歌う曲の全てが詰まっている。僕の体は、もはや彼女の歌声無しでは生きていけないくらいに調教されてしまっているのだ。総再生回数は五桁を超えている。



「でも、ビックリしちゃったよ。肇ちゃんってば、本当にクラスで一番を取っちゃうんだもん」 

「……琴美……。い、今……何て言った?」



 脳内再生で枢木夏向の曲を聴いていた僕の耳に、琴美の声(雑音)が聴こえてきた。一番を取った、なんて冗談にしては全く笑えない雑音が聞こえたぞ……。



「……僕が、クラスで一番を取ったって言ったの?」

「うん、そうだけど。もしかして肇ちゃん、気づいてないの?」



 琴美は不思議そうに首を傾げると、眼鏡の向こうにある大きな目をパチクリさせて僕の顔色を窺ってきた。



「……気づいてないって、どういうこと? さっきから琴美の言っていることが何一つわからないんだけど……。僕の合計点数じゃ、クラスで四番目だったじゃないか?」



 僕は慌ててリビングに戻り、テーブルの上に置かれていた答案用紙を掴み取る。そして玄関に戻ると、琴美にテスト順位の項目蘭を突きつけた。。



「ほら、これを見てよ。どこに僕が一番だって書いてあるんだよ?」

「肇ちゃん、これは五教科――現国・数学・理科(生物学)・社会(日本史)・英語の合計点数蘭だよ。ちゃんと裏の応用教科の合計点数蘭も確認したの?」

「応用教科?」



 応用教科とは、別名実践科目とも言われている授業のことだ。五月に行われる中間考査には無いが、期末考査にはこの応用教科の筆記テストが確かに存在した。



「ほらこれ、五教科と応用教科(保健体育・家庭科・音楽・美術)の合計点でのクラス順位が用紙の裏面にも書いてあるじゃない」

「……本当だ」



 驚いたことに、順位を書いた総合用紙は両面印刷だった。表の順位に気を取られ、僕は裏に何か書かれていることに意識が回っていなかったのである。

裏面の順位では、確かに僕の名前がクラス順位項目に【1】と表記されていた。



「先生も驚いて、肇ちゃんのことすごい褒めてたじゃない!」

「聞いてないよ――っ!」



 試験結果の答案用紙を返された僕は、一番を取れなかったことに絶望するあまり、外界の情報なんて一切耳に入ってこなかったのだ。今思い返せば、教室中が少し騒がしかった気もするが、ハッキリとは思い出せなかった。



「僕が、クラスで一番……」

「改めて、おめでとう。肇ちゃん!」

「や……た……、やった――っ! 僕が、ぼくがクラス一番だ――っ!」



 まさかの大逆転――いや奇跡に、僕は大声を出してしまった。そして歓喜のあまり、そばにいた琴美に抱きついてしまう。



「ちょ、ちょっと肇ちゃん!?」

「ありがとう、琴美! 琴美が知らせてくれたから、僕は……ぼくは……」



 これで胸を張って、枢木夏向に逢いに行ける!


 そのことが嬉しくて、僕はつい涙をこぼしてしまった。

 嬉し泣きなんて、何年ぶりだろうか……。

 つい先程まで琴美に対し抱いていた非礼の数々を、僕は心の底から詫びた。



「なんてお礼を言ったらいいのか……、琴美! 何か欲しいものとかない? 僕に恩返しさせてよ」

「恩返しって、私は別に恩を返されるようなことは何も……」

「いいや、それじゃ僕の気がすまない! そうだ、せめて晩ご飯だけでも食べていってよ。今日はお祝いだ! お母さんに報告してこなくちゃ! 琴美も入って入って!」

「わっ、わわっ! もう、肇ちゃんってばっ! 引っ張らないでよ」



 僕は琴美の手を掴むと、直ちにお母さんのもとへ向かった。



「お母さん! 僕、期末考査でクラス一番を取っていたんだよ!」

「はぁ~? 何を言ってるのよ、肇。それより、外に来ていたのは誰だったの?」

「あ、おばさん私です。お邪魔しまーす」



 琴美はお母さんに挨拶すると、ペコリと頭を下げた。



「琴美ちゃん、いらっしゃい。あら、そのワンピース可愛いわね~。こんな時間にわざわざ来てくれるなんて、肇に何か用事だったの?」

「え、えぇ……その……。用事といいますか……、激励と言いますか……」

「激励?」

「そうだよ、お母さん! これ見てよ、ホラっ!」



 期末考査総合点。そのクラス順位が書かれた用紙の裏面を、僕はこれみよがしに見せつけた。お母さんはうんざりしたような目で僕を一瞥し、用紙に目を向ける。

 

 すると見る見るうちに表情が変わっていき、目を白黒させて僕の方を向いた。



「……これ、本当なの?」

「本当だよ、お母さん!」

「肇ちゃん、本当にクラスで一番を取っちゃったんです。動機はかなり不純ですけど……」

「……そうね。まさかアイドルのライブに行くため、クラスで一番を取るなんて」



「「はぁー……」」



 琴美とお母さんは、二人とも同時にため息をついた。

 しかし不純と言われようと、僕はクラスで一番を取ったのだ。

 それが真実、それが現実。

 そして、これこそが正義。正義は必ず勝つ!



「約束だよ、お母さん。枢木夏向のライブ、女装して行っていいよね?」

「うっ……琴美ちゃん、あなたからも肇を止めてくれない?」

「おばさん、私の声はもう肇ちゃんに届かないんです。あの枢木夏向ってアイドルに洗脳されちゃってるみたいなんで……」



 琴美の口から、聞き捨てならない言葉が飛び出してきた。



「洗脳ってなんだよ、琴美! 枢木夏向は、二十一世紀に舞い降りた」

「はいはい、天使なんでしょ。もうわかってるから……」

「そうか、わかっているならいいよ。お母さん、お祝いしようよ! お祝い! 僕が枢木夏向のライブへ行くお祝い! 琴美も、わざわざ僕のために家まで来てくれたんだし。なにより、クラス一番を取ったことを教えに来てくれたんだから!」

「……親としては複雑なんだけど、そのお祝いって……」

「でも、おばさん。肇ちゃんが頑張ったことは評価してあげても……その、いいんじゃないでしょうか……?」



 困惑しながらも、琴美は僕の肩を持ってくれている様子だ。

 そしてお母さんも観念したかのように息をつくと、「晩ご飯、何が食べたいの?」と言ってくれたのだった――。

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