第20話

 その翌日。作戦決行の前日だ。


「あ、麻実姉ちゃん? うん、うん、分かった。今代わるね」


 無言でスマホを差し出してくる優海。僕はそっと手を伸ばして、それを受け取った。左手でベレッタを弄びながら。


「もしもし、代わりました。優翔です」

《麻実です。優翔くん、身体の具合はどう?》

「どう、と言いますと?」

《ああ、訊き方を変えた方がいいわね。心の調子はどう?》


 それでも、僕にはピンと来ない。麻実は僕に、一体何を言わせるつもりなのだろう?

 僕が沈黙していると、麻実はこまめに質問してきた。食欲はあるか。よく眠れているか。怖くはないか。


「食欲はあります。眠るのも、いつもよりは浅いみたいですけど、なんとか。それに、今更怖いとか怖くないとか、言ってる場合じゃないでしょう? 僕は僕で、優海は優海で、最善を尽くします。質問を避けるわけではありませんが、これ以上のことは言えません」

《そう》


 それでもどこか、麻実の呟きには、何かを懸念する気持ちが滲んでいた。


「大丈夫だと思いますよ、麻実さん。もっとも、何を以て『大丈夫』と言うのかは、麻実さんしかご存じないと思いますが」

《それもそうね。ごめんなさい、妙な質問をしてしまって》

「いえ」


 僕の素っ気ない(自然とそうなってしまった)応答にもめげずに、麻実は『今はゆっくり休んでね』とだけ言って、優海に代わるよう申し出た。


「あ、麻実姉ちゃん? 代わったよ。え? ああ、うん。大丈夫なんじゃない?」


 なんだ、まだ僕の話を引きずっているのか? 優海の心配もしてやってほしいものだが。


「目標攻撃プラン、ね。分かった。メール待ってる。それじゃあ」


 優海はスマホを耳から離し、こちらに振り向いた。


「今、麻実姉ちゃんがメールをくれるって」

「そうか」

「あ、来た! えーっと、北町の支店に乗り込むのは、あたしと兄ちゃんと武人さん、か」

「ふーん」

「ちょっとさあ、兄ちゃん。三人しかいないんだから、少しは心配そうにしたら? 顔だけでも」


 僕はその言葉を無視して、再び布団に横になった。と同時に、自分は心が凍り付いた、冷酷な人間になってしまったかのように思われた。

 逆に言えば。

 そうやって、自分を極悪非道な殺人者だとでも認めてやらなければ、自分で自分を支えきれなくなる恐れがあった。心に寛容さや優しさ、温もりのある人間に、こんなことができてたまるか。自分の名前に『優』という字が入っているだけでも、場違いな感じがしてならないというのに。


 そんな僕の葛藤を知ってか知らずか、優海は自分で立てた作戦を話し始めた。


「武人さんは機械に強いから、突入前に警察との通信手段を潰してもらおう。麻実姉ちゃん、銀行の見取り図、送ってきてくれたから」

「見せてくれ」


 僕は普段よりも重力が増したような錯覚に見舞われつつ、身体を起こした。優海と額を突き合わせるようにして、スマホを覗き込む。

 一体どこから入手した情報なのか、見取り図には、職員玄関の外側に赤丸が付いていた。警察への緊急連絡手段なのだろう。爆破して破壊すべし、との旨も書かれている。


「爆薬も、武人に任せていいのか?」

「そうだね。手榴弾を改造するだけだから、そんなに手間はかからないだろうし」

「僕とお前で突入するとして、拳銃だけで制圧できる相手なのか?」

「警備員さえ押さえちゃえば大丈夫だって! 爆弾を起爆させてからだったら、裏手から武人さんが突入してくれるし」


 確かに、武人の常用武器は自動小銃だ。拳銃二人組と自動小銃とでカウンターを挟み撃ちにできれば、作戦成功率はぐんと高まるだろう。


 などなど考えているうちに、僕に睡魔が襲ってきた。麻実に『浅いが眠れてはいる』と答えてしまったこともあるし、今は脳を休めることにするか。


「優海、僕は寝るからな。何かまた連絡があったら起こして――」


『起こしてくれ』と言いかけて、僕は気づいた。優海はベッドの端に背中を当て、ぐったりとしていたのだ。スマホを握ったまま、すうすうと寝息を立てている。一体、いつの間に寝ついたのか。


 仕方ない。僕は恥ずかしさを覚えたが、優海をお姫様抱っこしてベッドに移してやった。そもそも、誰にも見られていないのだから、恥ずかしくもなんともないはずだけれど。

 優海の身体は、意外なほど軽かった。僕でも持ち上げられるのだから、それはそれは身軽だと言えるだろう。

 

 この小さな身体のどこに、あんな元気があるのか。殺気があるのか。甚だ疑問だったが、優海の寝顔からヒントは窺えない。

 僕はさっさと布団に横たわり、自分も眠ることにした。


         ※


「この人殺し!」


 その叫び声に、僕ははっとして目を覚ました。慌てて立ち上がる。が、その声の主の姿は見えない。誰だ? どこにいる? 周囲を見回してみても、その姿はない。

 しかし、一つ気づいたことがある。ここは、僕が以前、夢の中で見た『白い空間』だったのだ。天井知らずの吹き抜けの元に、太い柱が整然と立ち並び、水平方向にも果てしなく空間が広がっている。

 僕は今、夢を見ているらしい。


「この人殺し!」


 再び同じ言葉が聞こえた。振り返ると、今度はそこに誰かがいた。警察官だ。

 

「僕はあなたを殺してはいない」


 努めて冷静に、僕は答えた。しかし、激昂した相手は聞く耳を持たない。


「確かにお前は、俺を殺しちゃいない! だが、お前の妹はどうだ?」

「妹って……優海? 優海があなたを殺したのか?」

「そうだ!」


 すると、音もなく警察官の腹部が赤く染まった。彼は腹部を撃たれて亡くなったのか。

 優海が殺した相手が、僕を責め立ててくる。その事態に、張り巡らせていた冷静さにひびが入るのが、自分でも分かった。


「この人殺し!」


 三度、同じ言葉が聞こえた。しかし、僕の目の前にいる警察官の言葉ではない。僅かにずれた位置から聞こえてきたし、そもそも、女声の声だったのだ。警察官の横に、中年の女性の姿がすっ、と現れる。警察官の妻だろうか。

 いいや、それはあり得ない。僕たちは、ターゲット以外の民間人は殺さない。この女性は、殺されてはいないはずだ。


「僕たちは、あなたを殺してはいない」

「殺したわよ!」


 次の瞬間には、女声は黒い喪服をまとい、警察官の遺影を持っていた。小さな女の子がそばに控えている。その視線もまた、僕に向けられていた。


「あなたたちは、私の夫、この子の父親を殺すことで、私たちの人生を滅茶苦茶にしたのよ!」

「……止めろ」

「この子は目立って学校でいじめられたし、私は精神疾患を患って働くこともできなくなった! 犯人はまだ捕まっていないというのに、どうして私たちがこんな目に?」

「……止めてくれ」

「だったらいっそ、私たちのことも殺してご覧なさいよ!」

「止めろッ!!」


 僕は無造作に右腕を掲げ、思いっきり『引き金を引いた』。

 あまりにこの空間が広いからだろう、銃声は思いの外、軽く響き渡った。

 僕の手には、いつの間にかベレッタが握られていた。発砲したのは五、六発。目の前に転がっている死体は三体。


「う、うあ」


 僕は後ずさりした。まさか、何の関係もない民間人を殺してしまうなんて、僕はなんということをしたのだろう。

 思わずベレッタを取り落としそうになったところ、


「気にすることないわよ」


 背後から声がした。僕はベレッタを両手で持ち直し、振り返る。


「麻実、さん?」

「事件や事故で理不尽な目に遭って、社会に踏みにじられている人間はいくらでもいるの。同情の余地はないわ」

「で、でも!」


 その時、僕は改めて気づかされた。これは、夢なのだ。本物の麻実が、こんな冷淡なはずがない。だが、まるっきり虚構だとも断言できなかった。

 麻実にそんな冷淡さが皆無だったとしたら、どうしてこんな夢を見るというのか?


 もしかしたら、これは僕の暴力性が深まっている証左ではないのか。

 そう思った、次の瞬間。


「うおあっ!?」


 僕は体勢を崩した。慌てて足元を見下ろすと、真っ白だったはずの床が、どす黒く染まっていくところだった。僕の足裏を中心に、どろどろと溶け込んでいく。

 どこへ? ――地獄、だろうか。

 そう察した瞬間、僕の冷静さは、完全に霧散した。


「た、助けて! 誰か! 麻実さん!」


 あっという間に、腰ほどまで沈み込んでから、僕は喚いた。しかし、麻実のいた場所に立っていた『モノ』を見て、僕は恐怖で凍り付いた。

 そこには、チェスの駒のように、真っ黒になった麻実の姿があった。ぴくりとも動かない。

 僕はもう、恐怖で声も出なかった。身体はどんどん黒い液状の物体に呑まれ、腕も、胸も、首までもが埋もれていく。


 ああ、そうか。これが『暴力』というものなのか。理解した気になっていた僕が浅はかだった。

 一度踏み込んだら、もう戻ることはできない。エスカレートするばかり。そして、人を傷つけていくばかり。

 黒い液体は、僕の口や鼻にも入ってきた。息苦しさは覚えない。だが、ここまで自分が『暴力という悪』に染まってしまったという絶望感が、足元から僕を締めつけていく。


 一体僕に、どうしろというんだ。いや、どうしようもないのか。『思考を捨てろ』と誰かが叫ぶ。僕にはその声が、自分の声に似ているように思われた。

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