第5話 『老人収容所』その2
「どうそ、こちらに。」
ぼくは、白衣の彼らに連れられて、ガラス張りのドアを二つくぐった。
ここだけが、『外の世界とつながる場所』なのだということが、いかに大きな意味を持つことなのか、あとで思い知ることになる。
ぼくは、『そこにある』奇麗なビルの中で、事実上二日間過ごすことになった。
上級ビジネスホテルのシングルルームという感じの、こざっぱりとした部屋に入れられた。
なんと、冷蔵庫もある。
ただし、中身は空っぽだった。
聞けば、この建物の中には『売店』があるのだと言う。
おかしな言い方ではあるが、『売店』がある施設なんてものは、いまどき滅多にお目にかかれない。
あっても、ろくに売るものがないのだから、どうにもならない。
政府から配給されるごく少量の食料だけが、庶民の命をつないでいたのだ。
しかし、第2次世界大戦後の日本もそうだったが、大金を出せば不思議なことになんでもあった。
どこから出てくるのかさっぱりわからないが、まったくないわけでもないのである。
もちろん、欧米諸国から輸入してきたものだろう。
しかし、ここは、必ずしもそういう訳ではないらしかった。
『売店』を利用するのは、主にここの職員さんたちであるらしい。
大勢で移住してきた老人たちではない。
それは、まちがいないとぼくは見た。
だって、ここには移住老人たちの姿が、まったくなかったからだ。
ただし、ぼくは、不思議な事に、監禁されていたわけではなかった。
というよりも、自由にビル中を見て回ることが出来た。
で、売店にも入った。
売店で物を買うには、当然お金が必要である。
ところが、ぼくは、財布を持っていない。
すべて、荷物として、預けるように言われたからだ。
だから、一文無しである。
それでも、食事はきちんと供給された。
豪華じゃないが、これで、きっと精いっぱいであろうと推測できるようなもので、量も少ないが、巷でこれだけのモノを食べようと思ったら、大ごとである。
第一、御飯があった。
これがまず驚きである。
米なんか、今や庶民にはとうてい手が出ないのだ。
それが出た!
あと、ゆで卵、もやし。
それに、なんと小さなゼリーがあった。
パックのジュースがついている。
アメリカ製である。
これでも、かなり信じがたいことだ。
まあ、そのくらい国民は飢えていたのである。
だから、売店にあるのは、せいぜいそういったあたりで、お米は今は、売ってはいなかった。
そのほか、コップとかスプーンとか、歯ブラシとか、そういった日用品はあった。
パンの姿さえなかったのは印象的である。
売店のおじさんに聴けば、『パン』は、来週にはいくらか入るはずだと言う。
巷には、まだパン屋さんが少しは残っていたから、そうしたことは当然そうだろう。
で、いささか順不同だけれど、なんで、ぼくにわざわざここを見せたのか?
ちょっと不思議に思ったのだった。
あと、電話がない事。
部屋にはもちろんのこと、電話という機械が、姿も形も見えない。
まあ、実際に、携帯電話は、多くのところで不通のままだが、たとえば内線用の電話機とか、ありそうではないか。
全く見当たらない。
これも、売店のおじさんに聞くと「電話機は、所長室に2台ある。」
店の商品のことも、そこから聞いてもらうのだそうである。
あとは、「ちょっと歩けば済むことさ。節電節電。」なんだそうである。
なんとなく、嫌な予感がする。
「もしお買い上げならば、つけにしますよ。あんたの荷物の中のもので、清算するから。無理のないとこで、どうぞ。」
「ああ、じゃあ、このクッキーはおいくら?」
「ああ、さすが!それは入ったばかりの高級品です。なんとヨーロッパ産ですよ。しかも内地には入っちゃいないらしい。ひと箱、1万円ね。」
「いいいいいい・・・・・。ああ、いいです。まだ先のことが分からないから。」
「はいはい。そうでしょうなあ。でも、『売店』はここだけですよ。」
「え? あの、僕らが住む場所には?お店とか、専売省のスーパーとか。」
「いやあ。詳しいことは知らないが、ここだけだと聞いてます。移住者で、この店に寄ったのは、あなたが初めてだ。」
「えええええ????? 普通は、寄らないの?」
「そう。普通は、素通りだもの。」
「出て行く人は?」
「いやあ、出て行った移住者は見たことないなあ。」
「ううん・・・・・。一万円・・・か。買える人がいるの?」
「まあ、上の方の人とか、あとは、結婚指輪の代わりだとか・・・ね。」
ぼくは、退職金がいくらかあった。
いまどき、そのようなものを受け取れるのはまれな事である。
ひと箱1万円のクッキーを、ひとつだけ買う事にした。
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