第二幕 二場 僅かな忘却

 違う。まだだ。まだある。



 男の目が捉えたのは、土から覗くまた別の指、別の人間の指だ。――勿論これもまた骨である。

 もう一人いるのだ。一つの墓、一つしか名前が書かれていない墓に二人も人間が入っているのは至極不可思議なことだが、何かへの希望を抱きながら、一度この誰とも知らない男の骨を取り出し、男はまた土を掘り返した。


 何かへの期待心から男は目を瞑りながら延々と掘り返していく。男の中でどこかその女の死体を見れば記憶が戻るのではないか、という勝手な希望を持ってしまったがために、楽しみが無くなってしまわないように、男は目を瞑っているのだ。


 男の好奇心はついに累卵の危うさに来てしまった。


 ようやく男の指は何かにぶつかった。確かに身体のようだったが、感覚が少しおかしかった。

 まるで頭蓋骨がいくつかあるような、そんな感触がした。

 男は、あまりのことから、すぐに目を開いた。刹那、男は自身の目を疑い、深く後悔することになった。



 男の触覚は決して間違ってなどいなかったことは証明されたものの、むしろ証明されるべきで無かった。







 墓には、死骸が放り込まれていたのだ。男や女、ひいては子供の骸骨が僅かしかない小さい穴の中に、無造作に、且つ大量に詰め込まれていたのだ。

 ひとえに集団葬とも言い難い。


 死体の中には、見覚えのあるような顔もあった。そんな気がした。

 さらに言うならば、一つ一つの骨全てに見覚えがあった。

 何故か顔が浮かび上がってくる。しかし、その顔を見ても未だ記憶は蘇らない。だが、どこかに引っかかるようなそんな気持ちだけが、ただ続く。

 その感覚のせいなのか、それとも、たった今吹いた、颪のような風のせいか。記憶が少しずつ戻り始めていた。一体、男の頭の中で何が起きているのかは分からないが、過去が少しずつ分かり始めてきた。


 たかだか、その程度で戻るとは、いささか都合の良い頭である。




 この男の名は、“松彦”。この墓地近郊にある『百合村』に住んでいた。そして、この男の妻こそが、墓に彫られている“椛”という女だ。村長とは親密になり、他にも友が出来るなど、素晴らしい生活を送っていた。

 そして、その妻が病により死んでしまったこと。自分が狂い、殺人を繰り返したこと。

 あの村で起こった全てを思い出した。

 今思えば、あまりにも人道倫理に反する行いであったと、今更ながら省みてしまう。


 しかしだ、そのことと現在の状況がどうにも繋がらない。記憶が戻ったものの、いかんせん釈然としない松彦は、考え込んでいた。

 村長を殺してしまった後と現在をつなげることこそ、自分の記憶、その全てを取り戻す鍵となる。そう信じて考えを巡らせていた。


 何度も何度も、輪廻のごとく巡る思考の中で松彦は、思い出した。

 思考による刺激なのか。真相にたどり着く前に、今度こそ全てを思い出したのだ。




 真相に迫ろうとする松彦の思惑に呼応するように、無慈悲にも全てを、松彦に起きた全てを、脳は出力してしまった。それが結果としてどれだけ絶望的であろうとも、脳は仕事を止めはしなかった。

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