鈴木君6

 夏になるたびに死にたくなる。夏は誰かに生きろと言われている気がして、死にたくなる。ときどき意味もないのに学校に足を踏み入れては、閉鎖された屋上に繋がる踊り場や、旧校舎の教室の中で絵を描いたりスマホゲームをしたりしていた。冷房なんかもちろん効いていないから、暑い。そのうえ埃っぽく、不快だ。けれども使われなくなったイスや机が妙に愛おしくて、勝手に片づけたり花を飾ったりして遊んでいた。生花はあっという間にドライフラワーになった。その過程をスケッチブックに収めた。


 花はいつ死ぬのだろう。株から離れた時点で。しおれて首が折れた時点で。それともからからに干からびてから。あるいは色が完全に褪せて触るだけでぱりぱりと崩れるようになってから。


 子どもの頃は鳩が腐る様子を描いていた。内臓を取り出し、弄んだあとで土に埋め、それから体の肉が腐る様子を観察したりしていた。

 

 家にいると碌なことを思い出さないし、気が滅入る。だから時々学校の敷地とか使われていない廃屋とかに勝手に入っては、居場所にしていた。家じゃないところで、誰にも気にされずに、ただ「居たい」というのは、案外高望みなのかもしれない。サービスを提供される側、ではなく、俺はただ、草とか苔みたいに、そこに在りたいだけだった。それだけのことが思いのほか難しくて、なかなかかなわない。




 母親が家にいないことが多いから、ときどき自分で料理をする。豚とか牛とか鶏の屍肉を叩いたり塩につけたり酸に浸したりして焼く。肉汁というのは人間がけがをしたときに染み出してくる浸出液のようなものだろうか。それとも細胞の中に満たされていた水が、壁が壊れることによって外に染み出してくるのだろうか。あるいはそれらは同じものだろうか。

 食わないで捨てることと、食うために殺して食わないで捨てること。そこに違いがあるように思えなかった。同じことだろう。けれども同時に、自分がしていることが多くの人の気分を害すだろうことを感じていた。虫を殺すこと、魚を殺すこと、鳥を殺すこと、猫を殺すこと。どれも同じことなのに。与える印象や意味は大きく変わってしまう。俺にとっては同じことなのに。


 死体を開くとそのあまりの純粋さに涙が出そうになる。無駄がなく美しい。それに比べて自分は。と思うと悲しくなる。ときどき光を放つ美しい筋繊維に泥をまぶしてしまう。自分には目の前の美しさを維持することすらできない。




 その日も俺は空き教室に勝手に忍び込んでグラウンドを眺めていた。埃っぽいすえた空気は肺に溜まると重い。けれどもどこか懐かしい匂いがして、学校は嫌いじゃない。

 校門の方を眺めていると、午後三時を周った中途半端な時間だというのに、ふらふらと敷地内に迷い込んでくる女がいた。佐多だ、と思った。あいつも帰宅部のくせに、なんで夏休みにまで学校来てるんだよ。



 そこまで考えて、ぜんぜん人のことを言えた立場ではないことを思い出したけど、気がつかないふりをした。持ちこんだコーラに口をつける。すっかり温くなって、ただ、甘かった。


 カバンを肩にかけ、教室を出る。夏休みと言っても、部活動のせいで校内はにぎやかだ。吹奏楽の練習する音が響いている校内や、グラウンドでは運動部が忙しそうに部活動に励んでいる。階段を降りながら、そういえば、美術室はどうなっているだろうな、と思って、曲がり角を曲がる。三階に美術室とコンピューター室があった。人の気配を感じて、自然と息を殺した。



「生きているだけで誰かに嫌われたり、好かれたり、そういうのがとても辛くて、苦しくて、いっそ透明になれてしまったらいいのになぁっていつも思うんです。他人のむき出しの感情に触れたとき、どうしていいかわからなくて、私いつも、反応できなくて、でもそれって、そういうのがあんまりよくなくて、嫌われたりするのかなぁって。わからないんです。死んでほしいとか、愛してほしいとか、わからない。どうしてそういう風なことを思うんだろうって。全然わからなくて、私やっぱり、出来損ないなのかなって。生きているだけで、なんだか誰かに迷惑をかけているような気がして、誰かが私を罰しに来るんじゃないかと思って、それはあの鳩かもしれなくて、そう思うとなんだか外に出るのも無性に怖くて、死んでしまえって言われたあの時から私、本当に自分のこと死んでしまったらいいって思っているような気がする」


 開け放たれた廊下側の窓から、風を孕んだカーテンがせり出してくる。向かいの校舎の四階で演奏している吹奏楽部のマーチが窓から流れ込んでくる。窓の外の杉の木にとまった蝉がうるさく鳴いていた。夏だ。


「わからない、ずっと誰かのリアクションをなぞって生きている気がします。どこにもいないんです。誰も。心の真ん中が空白だから、あのときのあの子の声がいつまで経っても居座って、まるで自分の声みたいに思える」


「でも先生といると、少しだけ、自分のことを思い出せそうな気がする」


「私にも感情があったんだなぁって」


 小学生の時の景色がフラッシュバックする。スクールカウンセラーと過ごした時間の記憶。俺はかぶりを振って思い出を追い出そうとする。


「先生には自分の声で喋れるような、気がするんです」



 自分の声。馬鹿みたいだ、反吐が出る。







 俺を消さないで。

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