佐多さん5

 死んじゃいたい。って思うようになった。理由はよくわからない。でもそもそも、死にたいことに理由なんかいらないのだ、きっと。理由なんか、死んだ後にふわふわ沸いてくるもので、もしも死に急ぐ人の中にはっきりとした理由があるなら、その人は死にたいなんて思わない。だって死ぬよりも、理由の原因を何とかした方が簡単だから。



 不思議なことに、死んじゃいたい、と思う気持ちが強くなるにつれて、私はなんだか人当たりがよくなっているようだった。男の子にも、もう以前みたいに怯えることもなくなったし、話しかけられても、それなりに愛想よくできるようになった。女の子たちの話にも、少しは混じっていることができる。


 違和感や嫌悪感のすべてが「死んじゃいたい」っていう言葉の中に濃縮されていくみたいだった。世界をきれいにするよりは、私がきれいになくなってしまった方がとても簡単なのだ。そのことに気がついてしまった。でも死んじゃいたいはずなのに、絵を描いているときだけは、無心になれた。時々先生と目が合う。私は先生をなぜかかわいそうに思う。



 大人に可哀想なんて失礼だ。でもそう感じてしまう。理由はよくわからなかった。死んじゃいたい気持ちが増すにつれて、私はなんだか、死んでしまいたい人の気持ちに過敏になっていくみたいだった。



 それと同時に、先生を見るたびに心臓がどきどきする。

 先生はいくら子供に好かれても、全然嬉しくなさそうで、むしろどんどん遠くに行ってしまう感じがする。明るく楽しそうにしている先生を見ていると、わたしはなんだか、沖に流されていく一艘のボートに一人残された先生を連想してしまって、悲しくなる。先生の笑顔はとても痛い。心が痛い。


 私は先生のことが好きなのだろうか、よくわからなかった。ただ時々、私の席の近くに来た先生が、絵をパッと見て、「ああ、いいですね」と呟く。それだけでその日一日が幸せな気分で過ごせる。不思議な気持ちだった。今まで感じたことがない。





 死んでしまいたい気持ちが、絵の前では少し治まる。どうしてだろう。





 真っ白な画用紙を見ていると、私はだんだん遠くの世界へ行ってしまう。先生とは全く別の方向、別の次元の、どこか遠くへ。そこはとても楽しくて、明るくて、美しいので、私はつい死んでしまいたい気持ちなんか、まるで初めからなかったかのように感じてしまう。



 けれども現実に戻るといつも、胸が引き裂かれそうな痛みに襲われた。私の世界はどこにも存在しない。私が心安らかでいられる世界は、この世のどこにも存在しない。そのことを痛いほど思い知ってしまうから。







 先生が遠くへ行こうとしているとき、その先には何があるのだろう。先生の目には映っていて、あるいはなにが映っていないのだろうか

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