鈴木君4

 人の心を動かすのは簡単だと思う。例えば人間は表面は取り繕うけれども、後姿は意外とがら空きで、情報が駄々洩れている。見えている箇所だけ取り繕えばいいと思っている人間を目にすると、愚かだな、と思う。具体的には俺の母親のことなんだけど。


 面の皮だけ綺麗に取り繕ったところで、その下のどろどろした醜い正体は隠せっこないのに。母親は見た目の美しさに異常にこだわっていた。体型も俺を産む前とほとんど変わらない状態を維持し続けている。母親はジムのトレーナーと寝たり近所の男と関係を持ったり、父親の友達とできるまでも、自由気ままだった。あの女の頭の中には今日のことしかないのだろう。明日とか過去とか言う概念が、すっぽり抜け落ちているのだ。あの女にとっては男は金を貢いでくれる蟻か、それとも性欲を満たしてくれる人形か、そのどちらかだった。


 母親みたいな中身のない女に惹かれる男の頭の中はきっと、母親以上に空っぽなんだろう。あるいは極端な空白恐怖症。空白を恐れる人間は、心のない人間に出会うと、勝手に自分の思うような感情が存在していると思い込んで動くらしかった。おそらく強迫神経症に近い性質を持っているのだろう。父親がまるっきりそうだった。ないものを期待して待っていても顧みられることなんかないのに。


 それでも、母親の顔に見慣れていると、同級生の顔なんか猿以下にしか見えない。猿が服を着て歩いているみたいなものだ。猿に話しかけられても、ああ今日も元気そうだな、くらいにしか思わないから、俺は異性にどんな感情も抱かない。不思議なことにその方がモテる。もちろんモテるとか言うのは長期的な関係を望まれるとか言う方の意味ではなくて、短期的にモテる。

 人間が寄ってきて、勝手に俺をめぐって争うのを見るのは滑稽だった。つまり俺にはある程度の社会的な地位が認められていて、俺の歓心を買うことが己の社会的地位の向上につながると思っている女がいるらしかった。腕力があって、度胸があって、他のオスを威圧することができるオスの近くにいることで、なんらかのメリットを享受しようと考えているようだった。猿山の論理だ。猿程度の知能しか持たない女を見ていると自然と笑顔になる。面白いから。


 かといって頭のいい女も嫌いだった。そいつらは自然と俺みたいな人間を察知して避けようとする。端から関わらないでいてくれるのはありがたいが、排除しようと息まいたり、過剰に怯えたりするようなのは困る。他の人間まで感化されるとめんどくさい。例えば佐多みたいな女とか。


 どうやったらあのめんどくさい女が目に入らなくなるだろうか。それともめんどくさい人間同士対消滅してくれたらいい。対消滅。俺は自分のアイディアに少し興奮していた。その手があった。


 佐多は友達が少ない。俺が何かするまでもなく、佐多は勝手に孤立してくれていて助かった。もしも何かを言いふらしたとしても、拡散する可能性が低い。情報の拡散には初手の機動力が肝心で、時間の経過とともに拡散力も下がる。情報にはある程度新鮮さが必要で、しかも自分に関係があると思わせることが重要だった。自分の取り分が減る、ちょろまかされる、脅かされる。このあたりの感情を刺激すると勝手に噂は広がる。多くの人間に刷り込まれた防衛本能なんだろう。


 さらに佐多の精神状態はあまり健康とは見えなかった。これも都合がいい。できたら一生このまま立ち直らないでいてほしい。もう少し精神的打撃を加えておけば俺もしばらく安全だ。





 美術の時間は相変わらずなにか見張られているような気がしていた。自分と鎌田の間に、なにかピンと張りつめた空気を感じる。意識されている。俺は特に目立った行動や問題行動は起こしてない。ということは相手が何かを嗅ぎつけているのだと思う。


 鎌田を見ていると、ときどきほの暗い目をしていることがある。そこには絶望とか思慕のニュアンスがあって、なるほど、他人に頼られる人間にありがちだ、と思った。偽善と義憤で自らの願望や不安から目を逸らしているパターン。年上の女性と話しているときの様子が普段と落差が大きいので、なにか複雑な感情があるらしい。


 なるほどね、他人を頼らない人間不信の生徒と、頼られたがっている教師。これは部分が多そうだ。混ぜたらとても面白そうだと思った。ちょうど退屈していたところだし、暇つぶしにはもってこいだろ。




 暇だったので、佐多の行動パターンをあらかた調べた。帰宅部で月水木金校外の習い事に通っている。名のある進学塾とか、英会話の個人レッスンに通っているとか、それなりに金がかかっている。その割に公立中に通っている。決断を先送りにして余計な出費をするタイプの親かもしれない。佐多自身は、いかにも都合よくコントロールされた子供という感じで、簡単そう。親のいうことを聞くようにしつけられている子供はやりやすい。自分の意志に鈍感なことが多いからだ。自尊心も低そうだし、ちょっと揺らせばすぐに落ちそうだった。



 自我がない人間は簡単だ。鎌田はどうだろう。佐多よりは手ごわいかもしれない。でも権力の非対称性を利用すれば簡単に陥れられそうな気がしていた。俺は生徒で、相手は教師だ。



 そうか、別に暴力を使わなくても、他人を動かすことはできるんだな。頭を使えばいいだけだった。俺はそんなことも知らなかったのか。

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