昭子と太郎は己の体を肩まですっぽりとこたつに押し込んでいるのに、寒い寒いとほざいていた。

そもそも寒さなんて感じやしないのに、世間様の雰囲気に便乗してこの世を楽しんでいるのだ。その証拠に、顔には楽しくて仕方がないという文字がくっきりと浮かび上がっている。

こたつの上には湯呑みが二つ。小皿が三枚重ねられている。湯呑みの中はこんぶ茶だ。珍しいことに昭子も酒ではなく、太郎同様に渋いこんぶ茶を飲んでいた。

昭子が太郎に煎餅を買って来いと言っているが、太郎はこたつから出るのがいやで、そろそろ侍が来る頃だから待っててくださいよ。と、のらりくらりと昭子の命令をかわしていた。

侍は煎餅なんか持ってこないだろうが。と横になりながらもんくを言う昭子の顔には笑みが浮かんでいる。

持ってくるかもしれないじゃないですか。と言い返す太郎も可笑しそうに肩を揺らしていた。

そんな人間を真似した掛け合いをしばらく続けていると、家の戸が悪い音を立てながら開いた。


「おう、外はだいぶ冷え込んできたよ。あー、さみいさみい」

こちらも手を擦り合わせて「いやはや外は寒い。今年はどうにも天気がおかしいんじゃないかねえ」などと知ったかぶりをみせた侍がいそいそと入ってきた。

ああ、そうだよ。今年はおかしい。去年の方がまだましだったさ。年々天気がおかしくなっていくねえ。この調子じゃ来年もおかしくなりそうだ。まったくどうなることやら。と昭子も天気に詳しくないので適当に口を合わせている。

あーさぶさぶと何度も言いつつ空いている席についた侍は、こたつの上にいいにおいのする紙の箱を置いた。

昭子と太郎がそのにおいにつられてむくりと体を起こす。二人の嗅覚はすこぶるよいのだ。


「ああ、このにおい。ぼた餅だね」

昭子が更に鼻を近づけた。

「侍さんもこんぶ茶でいいですか」

太郎が茶を淹れに席を立つ。

「あんこにこんぶ茶かい? 渋めの茶のほうが合いそうなものを」

渋い顔をした侍に、「あんた、あたしが飲んでるものが見えないのかい?」と昭子が自分の湯呑みを持ち上げてみせた。

「ああ、こんぶ茶は昭子さんの趣味か。さすがだな。だったら俺もそうしてもらおうかな」

侍はすかさず昭子を褒めると台所に向かった太郎の背に、俺もこんぶ茶で頼むよ。と声をかける。太郎は返事こそしなかったものの、その背中は笑っていた。


侍が自分が贔屓にしている饅頭屋で月一だけ作るぼた餅を買ってくるのは三人の間ではもう長いこと習慣化されていた。なぜ月一なのかというのは「知らんが、ぼた餅の日は一日と決まってるそうだよ」とこういった具合である。

侍本人のみならず、昭子も太郎もこのぼた餅を楽しみにしているのだ。

侍が贔屓にしている店に顔を出すときのみ、この家は昼日中から現れる。

その店の売り子の女子が侍はたいそうお気に入りのようで、何かと機会を見つけちゃあくだらない世間話をして顔を綻ばせているのだ。

一つ二つだけ買えばいいものを、見栄をはってたくさん買って来るものだから、昭子に太郎にもその分け前が入ってくる。

一人でたくさん買って持ってたって食べきれるものじゃない。旨いものは気心知れた仲間と食べた方が何倍も旨くなるのを三人は知っているのだ。

侍が小皿にぼた餅を丁寧に乗せて二人の前に置く。昭子が満面の笑みを顔に浮かべて揉み手をする。太郎が侍の湯呑みを置いた。

「お、いいにおいのこんぶ茶だね」

こんぶ茶の香りを思い切り吸い込み、「よし、食べるとしようや」と己もこたつに入り手を合わせた。

三人は、ぼた餅を素手で掴み、口にほうばる。指についた餡を舐めたり吸ったりして取る。こういうところがまだ人慣れしていないところでもあった。食べるための道具を使うのが面倒くさいのだ。

素手で掴んで口に放り込んだほうが早い。三人は待つと言うことが苦手であった。

うん、この粒餡がなんともいえない。柔らかくてコシもあって旨い。

そうだね、餅に適度なコシがあっていいねえ。つきたてはこれだから旨いんだよ。

中に入っている青紫蘇がいい塩梅に味を締めてますね。一つ一つの大きさもあって食べ応えもある。

等々、侍、昭子、太郎はいかにもらしいことを言い合いながら、一つ、二つとぼた餅が腹の中に収まっていく。

三つ目のぼた餅を各々腹に収め、こんぶ茶を啜って口内の甘ったるさを落ち着けると、


「そういや、今日がその日じゃなかったかい?」

ああ、今日も餅が旨かった。という一言に添えて何気なしに言った侍の言葉に二人の動きが止まる。

「そうだねえ」

「そうだ。今日がその日だ」

のんびりと相槌を打った昭子とは逆に太郎はきっぱりと言い切った。

「今日だ」

太郎が繰り返す。

三人は心なしか残念そうな顔をしている。昭子は湯呑みを両手で掴み、残りのこんぶ茶に目を落とし、太郎は腕組みをして眉間にシワを拵えている。侍は爪楊枝を探し始めた。

昭子が重くなった空気を切った。


「さて、今日の夜まであたしらは何をするってんだい? こんな昼日中に出てるのは今日がぼた餅の日だからで、あたしらはこれを食ったらいつもはすぐに影の内に戻るけど、今日はなんだかそんな気分にはなれないねえ。どうする太郎」

昭子は口の周りについた餡ををべろりと長い舌で舐めとった。

「どうするって俺は帰って一眠りできますぜ。餅も食ったことですし、昼間からここにいる理由もないですしね、端から食ったら帰るつもりでした」

そんなことを言いながら太郎はこんぶ茶のおかわりを三人分持ってきた。

昭子はそれを一気に飲み干した。

「相変わらずだねえ」

昭子が太郎に「おまえは冷たい」と言葉を投げる。「そんなこと言われても、ここにいてもやることないでしょ」と至って太郎は自分のペースを崩さない。

昭子は、特大のため息をこれ見よがしにつくと、

「侍はあたしと一緒にここに残るかい?」

こんぶ茶をすすりながら侍の方に向き直る。

「いますよ。まだこのぼた餅を食いきっとらんですし、食後の運動にちょいと街をふらつこうと思ってたんでね」

侍が箱の中に残っているぼた餅を覗き込む。

「まったくどいつもこいつも」

ぼた餅に頬が緩んでいる侍を一瞥し、じゃ、あたしはごろんと横になって昼寝でもするか。と言うと、座布団を半分に折って枕を作る。無造作に投げると、森の中に転がっている丸太のようにごろんと横になった。

太郎が茶化そうと口を開いたが侍に首を振られて制された。

ここで茶化したら太郎は昭子の怒りを買い、影に帰れなくなる。

開いた口をゆっくりと閉じ、抜き足差し足で太郎は音もなく影の中に消えて行った。


「侍、こんぶ茶のおかわり淹れとくれな」

寝っ転がったまま侍に指図する。

へいへいと侍は自分の湯呑みも持って台所に立つ。

「そういや昭子さんのことはなんにも聞いてませんでしたね。たまこちゃん、昭子さんのこと知ってるんですか?」

「知らないはずだよ。あたしは言ってないからね」

「じゃ今日あたり聞いてくるんですかねえ」

「ま、聞かれりゃ答えるさ。自分からほいほい馬鹿みたいには言わないけどね。とは言っても、女ってもんは声に出して言わなくても通じ合える部分があるんだよ」

ふふっと肩で笑う。そして大欠伸をした。

「ちょっと熱めので淹れといておくれな。一眠りするから」

侍は火からおろそうとしていたやかんを今一度火に戻す。

熱めのを淹れておけば、うたた寝から目覚めても少し温いくらいで飲めるという魂胆だ。

「でも昭子さん、そんなこといっつも言ってますけどね、温い状態で飲める内に起きたことなんて一度もないっての覚えてます?」

肩まですっぽりとこたつに潜り込んですでに寝息をたてている昭子にもんくを言うが、それはもう聞こえていなかった。

「まったく。だったら熱くしないで適温で淹れて飲めばよかったぜ。俺は本当にお人好しだ。昭子さんの言う通りに熱めで淹れるんだからまたく世話ねえわな」

自分に言ったもんくに自分でおかしくて一人笑いをしつつ、やかんを火からおろす。

昭子の湯呑みと自分の湯呑みにこんぶ茶を淹れて、「さすがに熱いな」と声を漏らした。

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