「この時をどんなに待ったか」

瑞香はぽつんと言葉を土に向けて垂らした。操り人形のようにのんびりと顔をあげたその両目の内にはしっかりと司を捉えている。

「私がどれだけの恐怖を感じたか。苦しかったか。あなたはちっともわかっていない。私の前に小屋にいた子はどうしたのか、今あなたの口から聞けてよくわかった。同じように殺して埋めたのね」

瑞香の顔にはなんの感情も浮かんでいない。ただ、血の気はなく白くなっているだけだった。

「そうだよ。殺してバラバラにして埋めた。人間を養分にして育てた野菜ってもんを見たかったんだよ。俺の家族にも食わせたから、お前もあの女もその前のもみんなの体の中で生きられている。よかったな」

司の顔には気持ちの悪い笑みが張り付いている。よもや人のものではない。化け物のような、そんな雰囲気だった。


「掘り返してみたらいい。そこに君がいる。腐り果てたゴミのようなものになっている」


「これはダメだ」

今の一言は聞き捨てならないとばかりに侍が瑞香の横に闇を切るように姿を見せた。

「そうよね、今のはダメだわ」

「もう少し見てたかったけどな」

侍の後ろから昭子と太郎も闇から生まれるようにその体をのぞかせた。

無のところから突然湧いて出た三人が誰なんだか考えるが、司には記憶にない。しかし不思議と恐怖は感じない。首を傾げ、瑞香を探ってみる。

三人は瑞香の横に並ぶと、

「ここに埋まってるのなんてとうに知ってるっていうのよ。こいつが死ぬのを待ってここに来たけど、なんだこいつは死んでからも楽しむばかりでなんら変わってない。そう思うだろ、太郎」

「ええ。残された家族が可哀想だ。何も知らないでこんなのと結婚して」

「子供が可哀想よね、その血が半分入ってるって思ったらさ、ああ、それはないか」

と、太郎と昭子は口々に言い合っている。その顔はにんまりと笑っている。


木の葉の擦れる音が大きく辺りに響く。家の玄関が開いた。司は無意識に顔を向ける。

家の中から司の家族がぞろぞろと出てくるところだった。

「おいおい、お前たち、なんで出てきた? 俺を家に置いて出てくるなんてひどいやつらだな。寂しいじゃないか」

司は自分の家族が揃って家から出てくるのを見て鼻で笑った。しかし、その笑いもすぐに消えることになる。

家族の背には山登りにでも行くのかと思うほどのリュックが背負われている。

それも一つじゃない。二つを肩にかけていたり、妻に至っては長期旅行用のスーツケースを二つ引いている。

様子がおかしい。家族の方に向けて歩き出した司は徐々に不安に満ちていく。

娘がボストンバッグを三つ、四つと車に積み、小走りに家の中に戻る。

息子も同じように、段ボール箱を立て続けに車に積み込んだ。妻も同じく段ボールや紙袋などの荷物をどんどん車に積むと家の中に走って戻った。

更に驚いたのは、家族の顔には笑みが溢れていることだった。息子に至っては口笛を吹いていた。

わずかな時間の間に家族の手によって、ボストンバッグ、スーツケース、段ボールなどが家の中から運びだされていく。


「何をしてるんだ」

状況を読めない司は急いで家の中に入る。家の中の状態を見て息を飲んだ。

今さっきまでそこに横たわっていた自分はすでに棺の中に納められている。

そして、家の中が泥棒に入られたかのように荒れていた。

家族が総出で家中を引っ掻き回し、大事な物、貴重品などを持ち出し、いらないものは自分の入っている棺の中に無造作に投げ入れられていた。

「どういうことだ。これはどうなってる。なあ、おい」

両手で頭を抱えながら、忙しなく動き回る家族に話しかけてももちろん返事はない。

家族は時折笑い合いながら必要な荷物をまとめ、さも以前から決められていたかのように滑らかに事は運ばれていく。自分一人が蚊帳の外だった。


「お母さん、私の荷物はこれで全部だよ。取り残したものはないと思う」

「わかった。お兄ちゃんも荷物は全部持った?」

「持った。いらないものはあの人の箱の中に捨てた」

「そう。じゃ、最後に本当に忘れ物がないかそれぞれ自分の部屋を確認してちょうだい。あとで気づいてももう二度と取りに帰れないからね」

「そうだね、わかった。確認してくる」

兄妹は自分の部屋に戻り、ベッドの下や机の中、クローゼットの中を隈なく確認し、その間に妻も家中の部屋という部屋を確認し、忘れ物がないかどうか念入りに細かく見ていった。

司は家族の後をおろおろと着いて歩いては「何してんだよ。おい、どういうことだよ。なんでこんなことしてるんだ、説明しろ!」と、怒鳴る。聞こえていないことがもどかしいのか、髪の毛を掻き毟りながら子供や妻に摑みかかるがその手は届かない。もどかしくもすり抜ける。地団駄を踏む。


一線を越え、こちら側とあちら側の住人になったのだ。通じるものはなにもないことをこの時まざまざと思い知らされた。


「いいわね。全部持ったわね。自分たちの証拠となるものは全て片付けたわね?」

妻が無造作に自分の夫の眠る箱の中に投げ捨てたのは、家族写真だった。その他、家族旅行で撮ったたくさんのアルバム、取っておいたお土産、こどもが書いた作文、司が一番大事にしていた写真が、ゴミのように投げ捨てられた。自分の亡骸の上に。


「なんでだよ」

解せない。家族の行動の意味がわからない。

頭を抱えて自分の亡骸の横に膝をつく。顔に乗っかっているのは、息子にあげた時計だ。格好つけて自分の形見だと言い、生前に渡していた。

時計を顔からどかそうとしてもその手に時計の硬さを触ることはできない。

お腹の上には娘に買ったネックレスが引きちぎられて投げ捨てられている。

足元には、妻に送った結婚指輪が、そして結婚十周年の記念に買った指輪までもが投げられていた。

思い出のすべてが捨てられている。

司は自分が死んでから家族に捨てられたことをこのとき悟った。

要らない物に埋もれている己の顔は哀れだった。

物がなくなった家は声がよく響いて、そして空気が乾いていて冷たかった。


妻が赤いポリタンクを運んできた。

娘も息子も同じようにポリタンクを運んでくる。

「嘘だろ。燃やす気か。なあ。おまえら俺を家ごと燃やす気か! ふざけんな!」

司はよろよろと立ち上がり、妻の肩を掴むが無論それは不可能で、息子の肩を掴むも同じようにすり抜ける。悔しさにイラつき、娘の首に両手を回し締めようと力を込めた。


「それがダメなやつなんだなあ」

突然聞こえた声にびくりと跳ね、急いで娘の首から手を離す。

「遅い遅い。今更手を離してももう遅いのよ」

太郎に続き、昭子も顔の前で手を振り、馬鹿にして笑う。

「誰なんだよおまえら」

そこで三人のことを思い出し、自分の怒りの矛先を三人に向けなおした。一歩前に歩み寄る。

三人は新しいおもちゃをもらった猫のように好奇心丸出しの顔をしている。


「状況がわからないののも無理はない」

太郎がバカにして笑う。

そんな太郎の態度が気に入らなかったのか、司は汚く罵ると太郎の肩を鷲掴みにした。

掴めたことに面食らっていると、

「な。俺は触れるだろ」

にぃっと口を耳まで裂き、慄き逃げようとする司の手を素早く掴んで逃さない。

「これからお前の身に起こることを教えてやるから、ほら、おまえの家族の方を見てみな」

くるりと体を回され、家族の方に向けられた。更に息を飲む。


家族が自分に恨めしい目を向けていたのだ。

自分の後ろには得体の知れない三人がいる。

俺に味方はいないのか。そうだ、瑞香がいる。

瑞香を探すが、さっきまで立っていたところ、瑞香の頭が埋められているところには何も、誰もいない。


「いいか、よく見てろ。これからお前は大事だと思っていた家族の手によって、燃やされる」

なんでかって? そりゃ家族がお前のことを大嫌いだからだよ。お前がしたことはこの家族はすべてお見通しだった。最初にこの畑に埋まっている腕を発見したのは誰だと思う? お前の妻だ。まだお前と結婚して間もない頃だ。でも、彼女は離れなかった。なぜだかわかるか? 見たかったんだよ。お前が本当に人を殺したのか、どうやって殺すのか。でもお前のような子を産むのは嫌だ。だから、他の男のこどもを産んだ。

その男がお前の妻を守っていた。なんでかわかるか?


「お前が息子や娘だと思っていた子らは、その男のこどもだからだよ」

何を言われているのか理解できない司は頭を抱え、妻へ目を向けた。

灯油を自分の入っている箱に並々と注ぐ。子供らも同じように自分の部屋に撒き、司の部屋にもくまなく撒き散らす。


「やめろ。やめてくれ。燃やすな。火をつけるな」

太郎のことばが届いているのかいないのか、司は肩を上下に乱す。

「お前が大事に育てていたのは、赤の他人のこどもだ」

太郎が司の耳元に囁いた。


なるほど。と手を打った昭子は、侍と頷きあい、ああでもないこうでもないと話に花を咲かせ始めた。


「お前の妻は、畑に埋まっているものを掘り返したんだよ。お前の目を盗んで」


一人じゃ怖い。でも二人なら?

その男とは以前からの知り合いだった。

ん? どんな知り合いかって? まあ待てよ。あとで教えるからそんなに焦るな。

二人なら、そして相手が男なら、なにかと心強い。

掘り返していくうちにその男はこう思ったそうだ。

「ここに埋まってるのって、もしかして」

男は体が震えた。もちろん女の方も同じさ。

だから、頭を探したんだ。確認したかったからな。

何日もかけて畑中を掘り返して頭がどこに埋まっているか探しまくった。

それで、ようやく最後に見つけたんだ。


「そして、二人は泣き崩れた。顔はもう男か女かの区別もつかなくなっていた。でもな、お前が最初の頃に殺したこどもは服を着せたまま埋めただろう? その服をみつけたときにそうだと確信したんだ。


この辺りで昔、こどもが連れ去られた事件を覚えていたんだ。お前の妻はな、それを見て、自分の死んだ妹のこどもだって気づいて泣き崩れた。


手伝った男ってのは、妹が子を産んでからすぐに別れた旦那だ。すごい偶然だな。これだから人間は面白い」


と楽しそうに笑った。



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