「悪夢ってのはあれかい、男が豹変したっていうありきたりなやつかい?」


瑞香が重いため息をつき一呼吸置いて話を区切ったところで入ってきたのは太郎で、一緒になった途端に豹変するのは今も昔も変わらないなあと昭子に同意を求めると、昭子もまた、そりゃ男と女だもん、時代が変わったとて大して変わりゃしないだろうさ、特に人間なんてものはさあ。などと鼻で笑った昭子に瑞香の眉が困ったように下がる。


「悪夢が始まったのよねえ。こんなのはどうかしら。その男は実はすごく弱虫で事あるごとに女みたいに泣きわめいたとか」

「ああなるほど。さすが長いことこの世に留まってる女だ。言葉に重みがありますねえ。女みたいな男ってえのは最初はそれを見せないようにうまく化けるっていいますからねえ」

「おや、そりゃあんたのことかい? 太郎、あんたはうまあく化けてるわよねえ」

「いやいや、俺は女々しくないですよ。昭子さんこそ立派な男じゃないですか」


昭子と太郎の掛け合いを止めるように、

「お前ら話の腰を折るなよ。その男が殺したんだろう、そりゃどんな豹変ぶりをしたのか聞きてえじゃねえか。さ、続きを話してくんな」

右隣からのいきなり聞こえた声にびくりと身体が跳ねた。

瑞香は昭子から声の主の方へ身体を向ける。

あ、この人見たことある。

瑞香は確かに覚えがあったのだ。

そこには侍の格好をした人がいつのまにか座っていて、手にはメロンソーダを持っている。

アンバランスさ加減に言葉がでてこないが、やはりこの顔には見覚えがあった。思い切りじろじろと眺め回す。

目を細めて美味しそうにメロンソーダを飲んでいるその向こうに黒い靄が動いたような気がして瑞香は目を擦った。まだ消えていない。もやもやと動いている。


「それで、瑞香さん、その男はあんたが一緒に生活するようになってからどうなったんだい?」

太郎に酒を注いでもらった昭子は楽しそうに瑞香に話の水を向けた。

瑞香は侍をもう一度ちらと見て、太郎に身体を向け直す。

「はい、私が茨城に移り住んで、最初の頃はよかったんです。二人で楽しく過ごしてました。どこへ行くにも一緒だったし、片時も離れたことはなかったんです」

「いいねえ、そういう話はその後が絶対に面白くなるんだ」

昭子がくくっと笑った。

瑞香は困ったように眉を更に下げるが、昭子の待ち構えているギラついた目に負けて話を続ける。


何ヶ月か経った頃から司の行動が妙になった。

あれだけ一緒にいたのに、時折、瑞香を街の複合施設に置き、買い物や食事を摂らせている間に一度車で家に帰る様になった。

最初は忘れ物をしたと言って帰って行ったが二時間くらい帰ってこないのだ。

片道十五分程度なので多くみても一時間もあれば帰って来られる距離である。

にも関わらず、帰ってこないのだ。

一回だけではなく、最初のうちは一週間に一度、それから徐々に間隔が狭まり一週間に二度、三度と繰り返されるようになった。


畑に植えた植物が心配だから今日は家にいる。スーパーへ行っても買うものはないと言った時、そんな些細なことに司は激昂した。

唾を飛ばしながら「俺が行けって言ったら行けばいいんだ。なんで一緒に来ないんだ」と怒鳴りとばされた。

面食らった瑞香は、その意味不明の怒りを鎮めるためにまずは着いていくことにした。

激昂する人の対応は不動産屋の仕事で身につけていた。

それからというもの、日に日に司から笑顔が消え、代わりに不気味な笑みを浮かべ、ぶつぶつと独り言を言うようになっていった。


瑞香が心配し、気晴らしにどこかへ行こうと言っても、首を横に振るのみであった。

酒を買ってきて一緒に飲もうと言っても、手で押し退けられた。

そんな瑞香のことを疎ましく思ったのか、家の中から出るなと言われ、外出を禁止されるまでに至ったのだ。

そんな理不尽なことは納得できないと言い返したが、最近この付近に変質者が出る。女性が連れ去られるという噂があるから君には落ち着くまで家の中に居てほしい。と言葉たくみに誤魔化されてしまった。そんなことが数ヶ月続いた。


「ねえ、そろそろ外に遊びに行こうよ。時間も経ったし、変なニュースも無くなった頃でしょう。外も涼しくなってきたしさ」

瑞香はずっと家にこもりっぱなしで外に一歩も出れていない。

窓から外を見ているだけの一日にほとほと嫌気がさしていた。

しかし、瑞香は持ち前の明るさと前向きさ、ポジティブさで乗り切っていた。

彼女は、ここで折れたり、言いなりになったら司が余計につけあがることをわかっていた。


「畑にももう二週間くらい行ってないよ。育ててる野菜たちも心配だし、どうなってるのか見に行きたい」

台所で野菜を切っている司に軽く言った。前みたいに激昂されるのも嫌だ。

それに、瑞香が貰った畑は敷地内にある。しかし、庭とは反対側なので行くことは許されなかった。


「君が育てた野菜は元気に育ったよ。ほら、丁度いいタイミング。これ、採ってきたものだから食べてみて」

朝一番に畑から採ってきたばかりだと言って司は瑞香の前に野菜を並べた。

「朝一番で行ったなら私も連れて行ってくれたらよかったのに」

畑はすぐそこ、それこそ目と鼻の先だ。

もんくを言っても目の前にはよく育ったトマトやきゅうり、ナスが皿に乗せられ、塩と味噌もつけられていた。


君が喜ぶ顔が見たかったから。それに、その変質者は家の敷地内にも侵入してきたって話だよ。怖いじゃない。だから、もう少し待って。と優しい笑顔を瑞香に見せた。

瑞香は渋々ではあるが、それを受け入れた。司が嘘をつくなんて微塵も考えなかったのであある。


「いただきます」

手を合わせた。

キュウリに塩をつけてかじりつく。

瑞々しくて甘い。

自分で育てた野菜を食べるのは初めてだった瑞香は皿に乗っている野菜すべてを平らげた。

それをじっと見ていた司は満足気に頷くと、俺はちょっと用事があるから出かけると言い残し、車の鍵を取った。


「私も一緒に行っちゃダメ?」

即座に席を立つ。

「家にいてって言ったよ」

振り返りもせずに言い放った。


瑞香は何も言えず、司が家から出て行くのをただ目で追い、彼のいなくなった家に一人残り、何をするでもなくソファーに座って外を眺めた。

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