5 港町の出会い
日が真南に昇る。ハイゼルン特有のカラッとした気候に、磯の香りを嗅げば妙に心が躍る。それは気候のせいばかりでなく、年中祭りのようなこの街のにぎやかさもそれに拍車をかけていた。
結局ハイゼルンに着いたのはプルートの予想より少し早い五日後だった。愚痴るアイリに乗せられて後半二日は馬車を使ったためである。道中襲撃にも魔獣にも、もちろん幻獣にも会わなかった。
二人は街に着くとまず港での船の発着を調べ、聞き込みも行ったが、ラステアについて何も情報は得ることはできなかった。もっとも聞き込むための元々の情報量が情報量なので、手がかりを得られないのも当然といえば当然だった。
「この街、すごい人だなー。賑やかだし、歩いているだけでもなんか楽しい」
そこら中にあふれ返った人や、他の街にはないような大きな建築物、珍しい交易品にアイリは目を奪われていた。何もかもが目新しく、活気溢れるこの街が、訪れて間もないアイリだったがもうすでにしばらく住んでみたくなる程度には好きになっていた。
これといった手がかりが得られなかった二人は、聞き込みに一旦見切りをつけ、今は当てもなく街を歩いている。何も進展がなかったというのに、すっかりこの街の虜になっていたアイリは、すでにそんな目的はそっちのけで観光モードに移行していた。
「アイリも来たことあるはずなんだけどな。自分の体験とかはやっぱり覚えてないのか」
「そうだな。本に載ってるような情報は分かるんだけど、自分が来た記憶っていうのはないや」
そう答えつつもプルートの言葉は、周りに目を奪われているアイリには、あまり届かず耳から耳へ流れ出ていた。
「それで、これからどうするんだ?」
「ん? ああ、そうだなー……」
アイリの問いかけにプルートはすぐに答えられなかった。実際あまり予定はない。
港で手がかりが得られないのならば、もう手詰まりといった状況だった。そもそもすんなりハイゼルンには辿り着けないとプルートは踏んでいたのだから。
「離してって言ってるでしょ!」
プルートが言葉に詰まっていると、喧騒の中で少女の声が響いた。
見れば、鎧をまとう二人組みの男達が、アイリと同じくらいの年のころの少女の腕を掴んでいた。
そんな様子を見かねたアイリが男達に声をかける。
「おっさん、嫌がってるみたいだからナンパなら他の人にしたら?」
「誰がおっさんだ! それにナンパするならもっと相手を選ぶわ!」
「いや、そんな立派なひげ面でおっさんを否定されても困るけど」
二人の男は互いに鎧兜にまるで整えられてないひげ。傭兵くずれかなにかだろうかとアイリは思った。
対して捕まっている少女は、黒髪を肩口までのばし、額にえんじ色のバンダナをしていた。掴まれていないほうの手には長い槍が握られている。
大きな黒い瞳で可愛い顔をしてはいたが、このひげ面の男達から見れば子供だろう。ハイネックのシャツにショートパンツという格好も、少女らしさをさらに感じさせた。
「確かに、ちょっとばかし年齢差があるか。てことはもしかして、おっさん達、危ない趣――」
バキッ!
言い終わるより先に少女からアイリの後頭部へ鉄拳がとんでくる。正面の男達に気を取られていたアイリは、まともにそれを浴びそのままべしゃっと盛大に地面に突っ伏した。
「誰が子供よ! 十分いい女でしょうが!」
「やるな……。いいパンチだぜ。だけど後頭部は反則だぞ」
頭をさすりながらフラフラとアイリは立ち上がる。
「おっかない女だな。大丈夫か、小僧?」
男の一人が心配そうにアイリを見やる。
「おっさん、やっぱり他の子探したほうがいいぞ。この子かなり凶暴だ。もっと尽くしてくれそうなタイプの方がオレはいいと思うな」
「だからおっさんじゃないし、ナンパしてるわけでもなくて、オレ達は――」
男の言葉を遮り、プルートが割り込んだ。
「アイリ、彼らはこの街の警備兵だ」
「そうそう。だからオレ達はそういう趣味じゃなくてだな。この子が――」
「つまりこいつらは権力によって少女をいたぶる、許せない変態兵士ってわけだ」
警備兵を睨みつけるプルート。
「うぉい! なんでそうなる!?」
「このとんでもバカ! 話をややこしくするんじゃないわよ! 大体、私に惚れちゃったからってなんで変態になるのよ!」
「え、どう考えても変態になるだろ」
「いや、惚れとらんし。そこまで警備範囲は広くな……」
バキッ! ドカッ!
やめとけばいいのにツッコんだ男達とプルートが、またもや少女の鉄拳の餌食となった。
この街に入るにはミルガーデン同様、衛兵のチェックを受けなければならない。
ハイゼルンでは港からそのまま他の大陸に向かう者も少なくないため、武器の持ち込みの禁止はされていない。ただし、街の中では刃の部分は隠すなど、使用できないようにすることが義務づけられていた。そのため襲われた次の日からプルートは武器を腰に備えていたが、この街ではまた荷物袋に放り込んでいる。
「そりゃ、お前が悪いよ」
「分かってたけど、マーシナリーの試験を受けに行くところだって言ってるでしょ!
急いでたの!」
結局、むき出しになっていた槍をどうにかするようにと言われていただけということが判明した。マーシナリーの試験とは傭兵達の組合であるマーシナリー協会のものだろう。
観念した少女は槍の刃にぐるぐると布を巻き付ける。
「全く、次から外すなよ……」
そう言い残してとんだ災難にあった警備兵の男達は、去っていった。
ボーン、ボーン――。
警備兵達の疲れた後ろ姿を見送っていると、街の中心にある時計塔が鳴り響きだした。
「あー! こんなことしてたらもう試験始まってるじゃない! 最悪……」
時計塔を見上げた少女が、がっくりと肩を落とし俯いた。かと思ったら、突然ガバッと顔を上げる。
「ね、見たとこあなた達旅人でしょ? 心強い用心棒なんていかが? 今なら安くしとくわよ。向こう十日間で五十万ルビでどう?」
とびっきりの営業スマイルを浮かべている。ルビはこのあたりの通貨単位だが、五十万ルビといえば一般家庭が余裕で二月以上は過ごせる額だ。
「ふっかけたな。悪いけど別に誰かを雇う気なんてないんだ」
アイリはきっぱりと断りの言葉を伝えたが、
「ずいぶんな言い方ね! そもそもこーなったのは誰のせいだと思ってんのよ! 今頃はマーシナリーの試験を受けて、ちゃんとした仕事を斡旋してもらう予定だったのに」
二人は少女の怒りを買ったらしい。どう考えても少女自身のせいだとは思ったが、言えばまた手を出されるのは見えていたのでアイリはだんまりを決め込んでいた。
マーシナリー協会には試験をしなくとも登録することができる。自分の情報を登録すれば、仕事の斡旋や様々な情報を得ることができる仕組みだ。ただ試験を受ければ自身のクラスが得られる。
元々クラスは賞金首の危険度ランクに対応して作られたものだったが、今では人気のある仕事や報酬の良い仕事はクラスが高くなければなかなか回ってこない。
有名になれば名指しで仕事が来ることもある。クラスは実績を示すか、協会の試験によって上げることができるのだが、最初に登録と併せて試験も受けるのが一般的だ。
黙っていたアイリに代わりにプルートが口を開く。
「オレ達の旅路は安全とは言えないものだ。だからなるべく人を巻き込みたくない。
残念だが諦めてくれ」
「ふふん、なめてもらっちゃ困るわね。言っとくけど、私はその辺のゴロツキ傭兵なんかよりよっぽど強いわよ。子供の頃からおじいちゃんに鍛えられてるんだから。こう見えて魔術も使えるし、ということで問題なしね」
「……えっと、アイリ、今日のオレは声が出てない日か?」
「――そんな日あんのか!? いやちゃんと出てるよ。ないのはこの子の聞く耳だ……」
「あ、お金は後払いでいいわよ」
「だーかーら、ちょっと待てよ。雇わないって! 大体お前、いくらなんでも五十万は高すぎるだろ」
このまま本当に話をまとめてしまいそうな少女にアイリは声をあげた。それに彼女の実力のほどは知らないが、親方があんなにきつい仕事を、あんなに一生懸命働いても、大した額にならないことを知っていたアイリは、提示してきた給銀に文句をつけずにはいられなかった。
「じゃ半額なら文句ないわね? 決まり! さすがに私だって、五十万ルビは高いと思ってるわよ。まだ協会に登録すらしてない身だし。最初は高めが基本、でしょ? あ、私リオ。リオ=ファミリアよ。よろしくね」
にっこり微笑んだリオの笑顔にアイリはたじろいだ。
「い……いや、半額なら雇うとかじゃなくてだな、オレはお金の大切さを……」
「まぁまぁ。お腹空いたし、立ち話も何だからどっかお店で話しましょ。あ、ご飯はおごってね」
「おい、プルート……」
「アイリ、オレじゃこの子に勝てる気がしない……。何とかしてくれ」
「オレにだって無理だよ。会話になってないんだもん。……今、ダッシュで回れ右ってのはどうかな……」
「ま、あんまりいい選択には思えないな……」
「だよな……」
この人ごみだ。簡単には逃げ切れない。逃げ切れなかったときのことを考えると……。
二人はそれぞれ痛めた箇所をさする。
「ちょっとー、二人とも遅いわよー!」
リオは早くもスタスタと店を探しに歩き始めていた。
「「……はあ」」
若干疲れを覚えながら二人はリオを追い始めた。
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