2  二人の目

 突然の訪問者たる青年は、見た目から疑いようもなく旅人だった。


 少年は青年の上から下をまじまじと眺めた。

今夏ですけど、と言いたくなるようなローブを身に着け、荷物全部この中です、と言わんばかりの大きな袋を引っさげていた。そして目深に被った山が高く、鍔の広い古ぼけた土色の帽子。

 いずれも砂で汚れ、くたびれた感を隠しようもない。ここまで着てもらえば、この衣服達もさぞや満足だろう。むしろ悲鳴が聞こえてきそうなほどだ。


 青年は少年よりいくらか年長といった程度に見えた。背丈は標準よりもやや高く、体格はがっしりとしている。顔立ちは整っている感じではあるが、帽子に押しつぶされ、いくらか乱れた黒髪や、砂で汚れているせいで、どうしても美男子とは呼べない。

 ただ、覗かせている黒い瞳には強い光を感じさせる。


 少年は青年を知らなかった。記憶がないのだから当然といえば当然だが、出会ったショックで何かを思い出すということもなかった。

 とりあえず、まだ食堂には客が残っていたので少し待ってくれと伝え、テーブルに座らせ水が注がれたグラスを運ぶ。

 少年は青年をちらと見やった。ぼんやりと何か考え事をしているように少年には思えた。




―・―・―・―・―・―・―・―・―・―




 席に案内された後、青年は少年を見ていた。

 金髪の少年はエプロンと三角巾という格好で、慌ただしく店内を動いていた。端正な顔立ちをしているが、礼儀作法などは微塵も感じさせない動きだ。およそ接客と呼ぶにはほど遠い動きではあったが、こういう店では快活さのほうが重要なのだろう。


 しかし、記憶の手がかりが訪れたというのに、きっちり接客の後回しにされるとは。客商売とはそういうものなのかもしれないが、早速予想外ではあった。


 これからのことを思うと、少し憂鬱な気分になる。だが、もう決めたことだ。今さら後には引けない。そんなことを思いながら、テーブルの上の良く冷えた水を青年は一気に飲み干した。




―・―・―・―・―・―・―・―・―・―




 ようやく泊まりの客が各々の部屋へ引き上げ、食堂から客の姿が消えたところで、三人が同じテーブルについた。


「さて、待たせて悪かったな。オレはこの宿の店主でワイズというもんだ。早速だが、まずあんたのことを聞かせてもらおうか」


 最初にワイズが口を開き、顎で青年を指す。このワイズという男が、回りくどいことが嫌いそうだと感じた青年はすぐに自らについて話し始める。


「オレはプルート=ストレイト。その少年とは一緒に旅をしていた仲です」


 ワイズの風体にも少しも臆した様子もなく青年、プルートは答える。プルートは少年の方に目をやった。


「ひょっこり来るもんなんだなー。皿一枚犠牲にしてまで決意したところだってのに」


 少年はぶつぶつとよく分からない文句をたれている。


「二人で旅を、か。こいつに記憶がないのは知っているようだったが」


 少年の呟きには耳を貸さず、再びワイズからの質問がプルートにとぶ。


「街の噂で聞きました。それで、もしやと思って訪ねてみたんです」


「なるほどな。旅をしていたということは、お前達はあの村の出身ってわけじゃなさそうだな」


 聞いて腕組みをしたワイズは、ギィと小さくイスを鳴らした。


「はい。あの村には少し用があったので、彼に先に向かってもらった所でした」


「用? あの村にはわざわざ立ち寄るような理由があるとは思えんがな」


「それは……」


 ワイズの追求に、一瞬プルートは詰まったように見えた。プルートがその言葉を続けるより早く、少年が口を挟む。


「とりあえずさ、オレの名前とかまだちゃんと聞いてないんだけど」


 確かに、初めに言うべきことだったが、まだしっかりと言っていなかったことをプルートは思い出した。プルートは少年の方へと向き直り告げる。


「お前は、お前の名前はアイリ。アイリ=ストレイトだ」


「アイリ……ストレイト……」


 少年、アイリは呟くように自分の名前を繰り返した。やはり名前を聞いたからといって電撃的に全てを思い出す、ということにはならなかった。


「ん? ストレイト? あんたと同じだよな? まさか」


 アイリが何かに気付いたように小さく呻く。


「まさか、あんたオレの兄貴か! いやー、会えてうれし――」


「いや、全然違う」


 感傷に浸る間もなく、プルートから否定の言葉が入る。よくよく考えれば黒い髪のプルートと、金の髪のアイリ。兄弟とは考えにくい。


「あ……あれ? じゃあなんで同じ名前?」


「名前が一緒なのは、ただそう名乗っていただけだ。血は繋がってない。お前はオレの親父の知人の子らしい。便宜上、同じ名前を名乗っていたんだ」


「そう……なのか。親父さんは?」


「十年前に死んでいる。それからは二人旅だった。残念だが、お前の両親も亡くなっていると聞いている」


「ずいぶん苦労していたようだな。十年前なんて、お前達、まだガキだったろう」


 プルートはそのワイズの言葉に曖昧に笑みを浮べるだけだった。幼い二人の旅路に、多くの困難があったろうことは、想像に難くない。顔にこそ出さなかったが、余計なことを言ったとでもいうようにワイズは頭を掻いた。


「お前の本当の名前も、親父なら知っていたろうが、今じゃ聞きようもない。すまないな」


「それは、いいんだけどさ……」


 プルートが心底すまなそうな顔をしていたので、アイリは歯切れ悪くそんなことを言うしかなかった。どうしてプルートがそこまで気にするのか分からなかったが、気まずい沈黙が流れる。


「――まあとりあえず、名前は分かった! それで、さっきの話の続きは? オレは何しにあの村に行ったんだ?」


 アイリが沈黙を破ると、プルートは話を続けた。


「あの村には、探しモノがあったんだ。オレ達の旅の目的でもあるモノがな。それでお前はあの村に向かった」


「探し物? あんな辺鄙な村に一体何があったというんだ?」


「それは……できれば言いたくありません」


「なぜだ?」


 少しだけ身を乗り出したワイズは、眼光するどくプルートを睨む。しかしプルートは臆さなかった。


「言えばあんたにも迷惑がかかる。探してるのはそういうモノだからです」


 キッパリと言い放ったプルートの眼が、ワイズに悟らせた。追求はムダだということを。


「そうか。じゃあオレからの質問は最後だ。こいつがお前の連れだと言う証拠はあるか?」


 沈黙。ほんの短い間だが静寂の刻が流れた。アイリも口をつぐみ、プルートの言葉を待つ。

そして、ゆっくりとプルートは口を開いた。


「――ありません。オレを信じてもらうしか――」


「……そうかい。もっともオレはこいつの保護者じゃねぇ。確認しただけだ。お前を信じるかどうか、一緒に行くかどうかは小僧が勝手に決めることだ。――お節介がすぎたな」


 それだけ言うと、ワイズは再びイスに深く腰掛け、手元の水を一飲みした。


「あのさ、聞いていいかな?」


「なんだ?」


 口を閉ざしたワイズに変わり、アイリが口を開く。


「今までの話を聞くと、なんだかオレの今までの旅路に危険な香りがしたんだけど……」


「否定はしない」


「もう一つ。オレの、オレ達のしようとしていることは正しいこと、なのか?」


「……何かが正しいかどうかなんて人それぞれだとオレは思っている。ただ、少なくともオレはそれが正しいと思っているからやる。それしか言えない」



「そっか」


「もし、お前が本気で拒むなら無理に連れ出したりはしない。さっき言ったとおり、危険も付きまとう旅だからな。だが、まだオレ達の目的は達してないんだ。お前の記憶が戻るまでここに留まっているというわけにもいかない。お前にはすまないが、お前が来なくともオレは一人で旅を続ける。どうするかはお前が決めてくれ」


 努めて冷静な口調で、プルートはアイリに尋ねた。本当はアイリがここで付いて来てくれなければ、どうしようもなかった。

 プルートにとってこれは賭けであり、また最後の決断だけは本人にさせたいと思ったからだった。責任から逃れたかったのかもしれない。


 今さらそんなことをしても、もう意味などないのに。


 アイリは少しの間、考えているようだった。しかし、それも本当に少しの間だった。


「一人でも当てもない旅に出ようかと思ってたんだ。答えは決まってる。一緒に行くさ! 自分を知りたい。あんたを信用するよ。よろしく、プルート!」


 あどけない笑顔をアイリはプルートに向けた。


「まあ、なんだ。お節介を重ねるが――。あんたは信じるにたる人物だと眼が言ってる。お前さんのも、オレのもな。小僧とは十日程度過ごしただけだが、これも何かの縁だ。こいつをよろしく頼むぞ」


 言ってワイズも口元をわずかに緩めた。


「そう……か。なら、またよろしくな。アイリ」


「おう! 親方、まだろくに恩も返さないうちに悪いけどさ――」


「くだらないこと言ってる暇があるんならさっさと支度でもするんだな。今日はもう遅い。

出るのは明日がいいだろう。恩ならそのうち返してもらうさ、たっぷりな」


「ありがとう、親方!」




―・―・―・―・―・―・―・―・―・―




 食堂の後片付けと明日への支度を終え、アイリはベッドの上にいた。いつまでも鳴り止まない虫の音が辺りに響く。眠ろうとは思うのだが、期待と不安が入り混じり、すぐには眠れそうにない。


 不安。


 これからのこと。自分の記憶のこと。そして、プルートのこと。

 取るに足らないことを気にしているのかもしれない。そうであって欲しいとアイリは思った。




―・―・―・―・―・―・―・―・―・―




 旅立ちが明日になったのでプルートは一晩この宿に厄介になることとなった。ベッドの上から、薄汚れている天井をぼんやり見つめながら今日のことを思い返す。


 一抹の不安。いやそれは罪悪感だったのかもしれない。


(大丈夫だ。それに本当に為すべきことはこれからなんだ)


 この思いが自分に言い聞かしているだけなのかどうかは、プルートにも分からなかった。

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