第七話

 ミスティル伯爵の邸宅はセントラルから馬車で二時間、小高い丘の上にあった。

 周囲は牧場や農園、所領内には果樹園もあるらしい。

 リリィはダベンポートが魔法院から呼び寄せた馬車に乗ってミスティル邸に向かっていた。

「近いと聞いたんだが、意外と遠いな」

 リリィの向かいでダベンポートが言う。

 このあたりには汽車がないため、交通手段は馬車か蒸気自動車に限られる。しかし蒸気自動車はまだ物好きの遊びの域を出ていない上、馬車に比べると圧倒的に故障が多かったため多くの交通機関はいまだに馬車に頼っていた。

 ダベンポートによれば、ミスティル卿は軽いお昼を準備して待っているという。それでは美味しいお弁当を作って途中でピクニックという訳にも行かない。

(こんなに素敵な場所なのに)

 二時間の単調な馬車の旅。だが、おしゃべりしながらダベンポートと乗る馬車の旅は楽しかった。最近雑貨屋のマーガレット夫人から聞いた街の話や、今セントラルで流行っている演劇の話、そろそろ収穫期になってきたルバーブをどう調理しようかという話。話のタネには事欠かない。

 牧草地を抜ける広い道の標高がだんだん高くなっていく。

(あ、海!)

 と、不意にリリィは窓の外に海が見え始めたことに気づいた。

「旦那様、海が見えますよ!」

 興奮して窓の外を指差す。

 左側の窓の外で海原が輝いている。セントラルの港へと続く内海だ。

 青く、煌めく海面には白い帆の帆船や煙突から黒い煙をあげる蒸気船、外輪をのんびりと回す旅客船などが見える。

「なるほどね。こんな景色を子供の頃から見ていたら、そりゃ海に出たくもなるだろうな」

 背後から海を見ながら、ダベンポートはリリィに言った。

 再びつづら折りの道を曲がる。それまで海側だった窓は今度は山側になった。

 丘の上には白い、まるで城のような邸宅の外壁が見える。

 ミスティル伯爵の邸宅だ。

「リリィ、お屋敷が見えてみえてきたようだよ」

 ダベンポートはリリィの肩を優しく叩くと窓の外を指し示した。

「はい」

 ダベンポートに言われて窓から外を眺めてみる。

 さっきまで海が見えていた窓から丘が見える。丘の頂には白く大きな屋敷。広いアプローチは綺麗に手入れされまるで庭園のよう、その向こうに見える植物園のようなガラス張りの大きな建物はどうやら温室のようだ。

「大きなお家ですね」

 リリィは思わずため息を吐いた。

「さすが伯爵邸だよな。丘の上にこんな大きな屋敷を構えるとは」

 ダベンポートも頷く。

「まあ、とりあえずお二人に会ってみよう。ジェームズ坊やもいるはずだよ」

 ダベンポートは御者に命じると、馬車を玄関アプローチの方へと向けた。

…………


 ミスティル伯爵は綺麗に整えられた髭に白いシャツとアスコットタイを身につけた白髪の紳士だった。もう初老に近いと言うのに贅肉はかけらもない。細い身体に上品な仕立てのグレーのスーツを纏っている。

「やあダベンポート君、久しぶり。立派な紳士ぶりじゃないか」

 ミスティル卿は笑顔を見せるとダベンポートに右手を差し出した。

「ミスティル伯爵、お久しぶりです。十年以上になりますか」

 二人で握手を交わす。

 背後にはジェームズも控えていた。だが、無言だ。つまらなそうに宙を見つめている。

「最後に会った時、君はまだ学生だったのにな。時が経つのは早いものだ」

「そうですね……」

 つと、ジェームズはリリィの隣に立つと

「メイド服、似合っているよ」

 と耳元で囁いた。

「君がダベンポートさんと一緒に来ると聞いた時にはちょっとびっくりした。しかしここまで連れて来るなんて、ダベンポートさんは本当に君の事を可愛がっているんだなあ」

「今日は天気が良いのでね、温室に昼食の準備をさせた。ダベンポート君の話は昼食を頂きながら聞こうじゃないか」

 ミスティル伯爵は執事、それに一群の客間女中パーラーメイドを引き連れてダベンポートの先に立つと温室へと向かった。執事に促され、リリィもダベンポートの後に続く。

「最後にお会いしたのは確か、アーロン教授の研究室でしたね」

 歩きながらダベンポートはミスティル卿に訊ねた。

「そうだね」

 とミスティル卿が頷く。

「アーロン教授はお元気かね?」

「お元気ですよ。今でも魔法学校スクールで教鞭をお執りになっておられます」

「ははは、それはよかった」

 玄関ホールを右に曲がり、奥の方へ。

 温室は暖かく、そしてとても明るかった。

 温室の真ん中に白いテーブルクロスのかかった昼食の準備が整っている。

 どうやら昼食はサンドウィッチのようだ。フルーツの盛り合わせと共に、小ぶりなサンドウィッチが上品に盛り付けられている。

「ありがとうございます」

 リリィはパーラーメイドの一人が引いてくれた椅子に恐る恐る腰を下ろした。いつもはもてなす側なので、もてなされる事には慣れていない。

 リリィはダベンポートの隣から王国の中とは思えないカラフルな周囲を見渡した。

 バナナ、椰子やし、それぞれに色とりどりの花や観葉植物。

「で、何かね? ダベンポート君のお話と言うのは?」

 テーブルの上で手を組むと、さっそくミスティル卿はダベンポートに訊ねた。

「ジェームズさんのお持ちの船の事です」

 向かいで香りの良いお茶を傾けながら、ダベンポートが単刀直入に切り出す。

「実は先日うちのリリィが少々お邪魔したようなんですがね、それは強い感銘を受けたようで」

「ああ、例の『マリー・アントワネット号』とかいうじゃじゃ馬の事かね?」

「はい」

 ダベンポートは頷いた。

「どうやら生きたまま魚を港まで運べるようです。正直に申しまして僕も少々驚きました。しかもあの船には魔法をお使いのようで」

「ほう?」

 ミスティル卿は片眉を上げた。

「そうなのかね、ジェームズ」

 隣のジェームズに訊ねる。

「いや、まあ……ハハ」

 ジェームズは後ろ頭を掻いた。

「魚を新鮮なまま運んでくるために、少し工夫を施してみました」

「まあ、ももう魔法院の修士学生だ。私はあまり心配してはいないがね」

 言いながらミスティル卿はサーディンのサンドウィッチを一つつまんだ。

「そうはおっしゃられましても、魔法院としては一応気になるのですよ」

 ダベンポートも鱈のフィンガーフライのサンドウィッチを自分の皿に乗せる。

 次いでダベンポートは

「リリィ、君も遠慮せずに頂きなさい。今日はゲストなんだから」

 とリリィの皿に数個サンドウィッチを取り分けてくれた。

「ありがとうございます」

 リリィはキュウリのサンドウィッチを摘むと、ダベンポートとミスティル卿の会話に聞き入った。

「しかし、魔法院の魔法捜査官も大変だね、ダベンポート君。こんなところまで捜査かね」

 少しシニカルな響き。

「貴族の方の身辺保護は常に最優先ですよ。下手に跳ね返りバックファイヤーされても困ります」

 皮肉っぽいミスティル卿の口ぶりもダベンポートには気にならない様子だ。

「リリィに聞いた限りでは、ジェームズさんの船の魔法は術者を介さない魔法のようだ。これは一研究者としても興味のあるところです。ここは一つ、ご説明頂けませんか?」

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