湛えよ花たち、舞い上がれ黄金の薔薇!の巻

 中間考査、生徒会選挙会議、次期生徒会長立候補者演説、選挙日までをつつがなく終えた、金曜日の午後に降りしきる雨の下校中に、その事件は起きた。


 そいつはこの土砂降りの雨の中、傘もささずに俺たちの前に対峙している。


「せんぱーい、いい加減わたしと付き合ってくださいよう」


 木下が俺に恋愛感情を抱いていることを、相当遅ればせながらに知った。用事がある日と休みの日以外は、こうして目の前に現れては、思いの丈を開けっぴろげに言って、効果的に言い返すことが出来ない楓と張り合う日々が続いたからだ。とはいうものの、その後は一緒に笑いながら帰ったりするのだが、今日のそれは異様を極めているとしか言いようがなかった。


「傘くらい差せよ、風邪引くだろ」


「私の事なんてどうだっていいじゃん」


 木下がいつになくすげない態度で接してきた。

 そろそろどうにかしないと、とは思いながらも先延ばしにしてきたのには理由がある。

 本当の気持ちを言って傷つけたくなかった。同じ生徒会役員という間柄なので、気まずくなるのがいやだった。今の関係を壊したくなかった。


「ホラ、この傘つかえ――」


 木下は俺が差し出した傘を叩き落とし、


「どうでもいいって言ってんじゃん!」


 あまりの剣幕に言葉を失う。

 楓が俺の傘を拾いあげ、木下を傘の中に入れる。


「なんでホントのこと言わないんですか? ……楓先輩」


 楓が下を向く。


「言いたくないなら黙って北条先輩譲ってよ!」


 木下は何も言おうとしない楓を睨み、


「自分の気持ちも言わず、先輩の好意の影に隠れるなんて最低の人間がすることですよ? 先輩独り占めして他の子に申し訳ないって思わないんですか? ズルいって思わないんですか?」


 それでも楓は何も言い返さない。


「……もういい。楓先輩なんか大嫌いです。楓先輩なんか、絶交です」


「あ、楓……ッ!」


 二つの傘を放棄した楓が、雨の中を駆けだした。

 木下がその背中に向けて独り言のように「意気地なし」と呟いてこちらを向き、


「ずっと前から知ってた……。私より楓先輩のほうが好きだってこと。でもいつまで経っても付き合う気配すらないし、だからちょっとだけ意地悪したくなっちゃった。だって……、私も孝之先輩のこと真剣に好きなんだもん」


 木下は返事を待つことなく投げやりな笑みを浮かべ、


「どうせ先輩のことだから、ホントのこと言って傷つけたくないとか思ってんでしょ。ねえ、もうそういうのやめよ、先輩。わたし傷つき慣れてるから、だからちゃんと言ってよ、だって、このままじゃ諦めきれないじゃん……」


 たしかに彼女の言う通りだ。


 だが、


「俺は、木下のことも好きなんだ」


「な……ッ、いいい、今さらなに言っちゃってるんですかあ!」


「疑いの余地なく俺の本心だ。そして俺は誰も傷つけない。これは、誰になんと言われようが直す気なんてさらさらない、度し難い俺の性格だ。その上で言うよ……、悪いけどお前とは付き合えない」


 木下が呆れ顔で、


「なにそれ……ずっる。そんなのありって思ってんですかあ?」


「うん」


 溜息をつき、


「ま、これで色々とスッキリしたし、別にいっか。て、こんなオチ私だから許容できるんですからねえ! まったくもう……ああ、楓先輩むだに傷つけちゃった。どうしよう、今さらごめんねなんて言い出せないよう……」


「あとで俺から謝っとくよ」


「……とはいえ、これで最後だし、別にいっか……」


「なんか言ったか?」


 木下は「なんでもない」と言っていきなり俺の胸に飛び込み、


「おい、何してんだ!」


「最後に、ちょっとだけ……、思い出ちょうだい」


 俺は、冷たい雨を全身に浴びながら、木下の温もりを感じていた。 

 寒さに震える肩にそって手を添えようとしたそのとき、木下が俺をどんと突き放して距離を取り、何かを言いかけたところでやめ、


「ばいばい、……孝之先輩」 


 と、ひと言だけ残して走り去っていく。



 月曜日の朝 新生徒会長就任式全校集会前


 俺は生徒会任期満了のメンバーたちと体育館に続く屋外廊下を歩いていた。

 隣には楓と、新生徒会長に贈る花束を抱えた会計の高蔵佳乃かくらよしのが仲良く並んで歩いている。


「そういえば、木下のやつはどうした?」


 俺たちは打ち合わせのため、一度会議室に集まってから来たのだが、彼女とは先週の件もあったので、いないと分かっていながらも口には出さなかった。


 就任式は俺たちの退任式も兼ねて行われる。二年の高蔵と木下も続行の意思はなく、今回で役を退くので、楓以下四名は、全校生徒の前で退任スピーチをする手はずとなっていた。


 高蔵が立ち止まり、


「先輩たち、美香ちゃんから何も聞いてないんですか?」


 金曜日のことが頭に過る。


「ひょっとして風邪で休んでるの?」


「違います。美香ちゃん、親の都合で転校するんです」


 ――ッ!


「……そ、それ本当なのか?」


「嘘言ってどうするんですか。知ってないことにこっちが驚きですよ」


 あまりの衝撃的な出来事にめまいを覚える。楓は下を向いたまま何もしゃべろうとしない。


 高蔵は、今日の午前8時26分発の特急で小田原駅を出発すると言った。

 いつしか木下が言った言葉が頭の中に蘇る。

 ――お互い時間が限られる身ですので。

 彼女のこれまでの行動原因がようやく理解できた。


 だからといって、もう、どうすることも……


 腕時計を見た。

 8時20分。


「楓……」


 面を上げた楓の目に、決意の炎が宿っている。

 言葉は必要なかった。


「元役員が揃ってスピーチすっぽかすとか、前代未聞なんだろうな……」


「最優先すべきは近しき友の義理……里の掟は、校則よりも絶対でござる!」


 楓がそう言って、体育館とは真逆の方向に走りはじめる。

 俺は高蔵に両手を合わせ、


「すまん高蔵。先生たちには、今朝食った玉子かけご飯にあたったから早退したとでも言っといてくれ」


 と、高蔵から花束を奪い取り、返事を待たずに楓の後を追った。

 生徒の流れを逆走して校舎を出て、一目散に天正川を目指した。


 計算上では、電車は8時30分頃に天正川に掛けられた小田原鉄道橋を通って、西に下るはずだ。


 わざと雨に濡れていたのは、泣き顔を見られたくなかったからだ。

 走る足に鞭打つように、速度を速める。

 贅沢は言わない。最後にひと目だけ。どうか、間に合ってくれ――。


 天正川の土手を下りて、河川敷の遊歩道を走る。

 鉄道橋まで100メートルもない。

 学校から近かったことに感謝した。


 スマホを取り出して操作したとき、現時刻が目に入った。

 8時29分。

 走りながら片手で木下にラインを飛ばす。


 ―――――――――


 左に流れる景色を虚ろげに眺めていると、スマホが何かを着信したのでアプリを開いてみた。


「……あれ、先輩だ。……橋北、みろ……」


 ――ッ!


 木下美香は、暗号めいたその文章を瞬時に理解した。

 跳ね起きるように席を立ち、混雑する車内を横切って、北に面する車窓から外を見た。


 ちょうど鉄道橋に差し掛かるところ。そして――、


 ―――――――――


「楓、来るぞ!」


 楓は俺の手から黄色いバラの花束を取って複雑な印を結び、その花束を空に向かって放り投げた。


「風魔忍法――奥義、錦上添花きんじょうてんか!」


 渦巻く強風に無数のバラの花びらが舞いながらやがて収束し、瞬く間に一輪の巨大なバラが形成された。


 鉄道橋を渡る電車の甲高い通過音が鳴り響く。


「湛えよ花たち、舞い上がれ黄金の薔薇!」


 楓の号令でそのバラが、車窓に向けて花火のように放たれ、一気に弾け散る。

 黄色い花びらのアーチの中を電車が通り抜けていく。

 それはまるで、彼女のこれまでの功績を讃えるかのように、彼女の門出を祝福するかのような、祝いと感謝の花びらの雨だった。


 花びらの雨の隙間から木下が見えた。

 忍者の身を顧みず、年下の友のために打ち上げた黄色い花火。

 楓が泣きながら叫んだ手向けの言葉は、残念ながら電車の音にかき消されてしまったが、木下の心には確かに届いたはずだ。


 電車が通り過ぎ去った今でもなお、楓はその方角を見つめながら、名残惜しそうに立ち尽くしている。

 そこで楓のスマホが短い音を立てて鳴った。

 楓はそれを取り出し、アプリを操作する。

 僅かな時をおいて、楓に久しぶりの笑顔が、戻ってくれた。

 木下からのラインに違いない。


「で、木下はなんて言ってる?」


 楓は頬を赤く染め、スマホを抱きしめながらちっちゃく舌を出してこう言った。


「孝之氏には絶対に内緒の、二人だけの秘密でござる!」


 週明けの雨上がりの空に、まったくといってマッチした晴れやかな顔で、楓は笑顔を弾けさせた。

 そのあと木下に、楓になんて送ったのかを聞いたのだが、元気が滲みでるような文章で、楓が言った瓜二つの言葉を返してきた。

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