第11話 「行って来ます。」

「行って来ます。」


 翌朝、少し早めに家を出た。

 生活も少し変えていこうと思って、バスをやめて歩くことにしたからだ。

 健康の事や新しい発見に繋がると思うと、それも楽しみに思えた。

 …何日続くか分からないけど。



 だけど…

 空を見上げると青いし。

 今まで気付かなかった街灯の形や、舗道に咲く花。

 時間が違うと見える物も違う。

 ましてや…気持ち新たに自分を見つめ直そうとしてるあたしには、今日が新しい朝に思えた。



 会社に着くと、バスで通勤するより5分ほど遅い事に気付いた。

 んー…明日はもう少し早く出てみよう。

 うちは制服じゃないから、ロッカーもない。

 あたしは徒歩通勤用に履いてた靴を脱いで、持参した社内用の靴に履きかえた。



「おはようございます。」


 もう席についてた真島くんに声をかけると。


「…おはようございます。」


 真島くんは意外そうな顔で、あたしに返事をした。

 机の下に置いている私物用のカゴに、シューズケースを入れる。

 朝礼までの間に、今日やる事リストをまとめておこう。


「…あのさ。」


 あたしがパソコンを立ち上げていると。

 真島くんが遠慮がちに声をかけて来た。


「はい。」


 真島くんの目を見て答えると。


「…あー…いえ、何でもないです…」


 真島くんは、しどろもどろにそう言って、自分の机に向き直った。


「桐生院さん、三番に電話。」


「はい。」


 あたしが電話を取って話してる間も、真島くんは視界に入る程度で…あたしを見てる。


 …気になるなあ。


「はい、ありがとうございます。失礼いたします。」


「……」


 さて、リストはこれでよし…


「……」


 あ、昨日課長に提出した書類、チェックしてくれたかなあ。


「……」


「……」


「……」


「…何ですか?」


 耐えきれず、真島くんに顔だけ向けて言うと。


「…なんか、元気になったのかなと思って。」


「……」


 きっと、悪気はないんだ。

 二階堂という世界の中で生きてきて、人との関わり方が上手くできない人もいると思う。

 特に…こういった、デリケートな部分は。

 きっと彼らは、外の人間とはうわべでしか付き合わない。


「大丈夫です。」


 そう答えて、席を立った。

 やっぱり…いきなり普通に話すには無理があるけど…

 大丈夫。

 あたしは、大丈夫。

 うん。


「朝礼始めまーす。」


 課長の声と共に、みんなが窓際に集まる。

 連絡事項や、今日の大まかな予定が告げられて、いつもより短い朝礼となった。


「あの、これ…」


 席に戻る途中、真島くんが小さな包みをあたしに手渡した。


「…何ですか?」


「…別に、もう何かあるわけじゃないから。」


「…?」


 包みを開けてみると…


「……」


 しーくんの前で、ゴミ箱に捨てたはずのネックレス。


「…真島さん。」


「…は…い。」


「こういうの、あなた達の中ではどう思うのか分からないけど…」


「……」


「あたしは今、傷口に塩を塗り込まれてる気分です。」


「え…」


「これは、捨てた物ですから。迷惑です。」


「……」


 真島くんは、少し眉間にしわを寄せて、納得のいかない顔をしていた。


「あたしと、この先も隣の席である以上は…」


「……」


「…あの人の話は、出さないで下さい。」


「………分かりました。」


「…まだ、全然…思い出に出来ないんで。」


「………」


 真島くん、サクちゃん。

 なんて、やりとりをしてたのが嘘みたいだ。

 あたしの目の前にいるこの人は、あたしの夢をぶち壊した男だ…


 …はっ。


 夢をぶち壊しただなんて…

 夢から覚めただけなのに。

 むしろ、覚まさせてもらったのに。

 …方法は酷かったけど。



「何話してるの?」


 ふいに、浜崎さんがあたしの肩にもたれかかるようにして言った。

 …なんだろ、この距離。

 あたし達、こんなに仲がいいわけじゃ…


「…あ…ちょっと…」


 あたしが席につこうとすると。


「桐生院さん。」


 真島くんが真顔で言った。


「僕と、付き合って下さい。」


「……」


「……」


「……」


 あたしと真島くんと浜崎さんが、三竦みの状態になっている周りで。


「い…異動して来て、いきなり告白か?」


「え…こういうのって、またどっちかが異動になるの?」


「あれ?桐生院さんて、彼氏がいるんじゃなかったっけ…」


「真島は年上が合うだろうな。」


 みんな、好き好きに何か言ってる。


「…まだ、この部署に来て分からない事だらけなので、教えてもらえたらな…と…」


 真島くんが資料を手に、大きな声でそう言うと。


「なんだよ真島~。言葉の使い方間違ってるって。」


「僕に付き合って下さい、だよ。僕、。桐生院さん、勘違いするだろ?」


「はは…すみません…」


 真島くんは苦笑いしながら、席に座った。


「ああ…ビックリした…」


 浜崎さんがあたしの肩に頭を乗せて。


「いきなり失恋かと思っちゃった…」


 溜息と共に、小さな声で言った。


「……」


 あたしはもやもやする気持ちを何とか鎮めながら、席に着く。


 …振り回されないのよ、咲華。

 大丈夫。

 なんて事ない。



「これ、聞いてもいいですか?」


 真島くんが資料を片手に、椅子に座ったまま近くに寄って来た。


「…何でしょう。」


 渡された資料の片隅に。


『本当にすごくゴメン。またサクちゃんって呼ぶ関係に戻りたい。何でもするから許して。』


「……」


 あたしはその字を消しゴムで消すと。


「これは時間がかかりますね。今すぐには出来ない事だと思います。」


 小さな声で、そう言った。


「…そんなに、時間がかかるものですか?」


「真島さんが思うより複雑だと思います。簡単な事だと思ってるなら、考えを改めて下さい。」


「…正直、簡単な事だと思ってました。答えは出てるのにって。」


 …それは…

 終わらせたから。って事?


「…答えが出てるって分かってるなら、なおさら慎重になって下さい。」


「え?」


 あたしは声を落として言う。


「…人の気持ちは、単純かもしれませんが…」


「……」


「恋が絡むと、複雑なんです。」


「………そうですか。」


 真島くんは少し残念そうな顔をして。

 だけど、あたしの目を見て。


「分かりました。時間がかかっても、ちゃんとします。」


 何をだよ。

 何をちゃんとするんだよ。


 って、ツッコミたくなるような事を言った。



 お互い席について仕事を始めると。

 真島くんの席からはすごくリズム感のいいと言うか…気持良いほど速いスピードで、キーボードを滑らかに操作する音が聞こえた。

 チラリと様子を伺うと、真剣な顔で回って来た書類を打ち込んでる。


 …使えない派遣社員じゃないって、すぐバレちゃうわね。


 * * *


「桐生院さん、お昼行きましょ。」


 最近…浜崎さんがあたしをランチに誘う。

 ランチと言っても、お弁当だけど。

 そして…そこには必ず、真島くんもいる。



 徒歩通勤を始めて一週間。

 気のせいか、体調がいい気がする。

 何となくだけど、体力もついたのか、階段を使っても苦しくなくなった。



「新しいピアスになったのね。」


 浜崎さんが、あたしの耳元を見ながら言った。


「ええ。やっと18金から卒業。」


「あたしは冬にあけたから膿まなかったけど、夏は膿みやすいって言うしね。大丈夫だった?」


「うん。しつこいぐらい消毒してたし。」


 今日のあたしの耳には、父さんが買ってくれた小さなラピスラズリ。

 高原さんに買ってもらった物は、つけて写真に撮った物を送った。

 あれは会社用じゃなかったから、普段身に着ける物は自分で買おうとしてたんだけど。

 早速高原さんに張り合った父さんが。


「邪気除けらしい。」


 なんて威張りながらくれた。


 …邪気…ね。



 母さんとおばあちゃまも、出かけてはあたしに似合いそうだったから。なんて買ってきてくれるもんだから…

 あたしのジュエリーボックスは、すでに新しいピアスがいっぱいだ。

 …幸せ者だな。



「…改めて思うけど、桐生院さんて美人ですよね。」


 真島くんが、食べてたサンドイッチを置いてまで言って。

 浜崎さんのお箸が止まる。


 …んー…


 空気読んでくれないかな…真島くん…



「…うん、美人よね。髪切って、ますますきれいって思う。首も長くてきれいだし。」


「…ありがとう。」


 なんて答えていいか分からなくて、お礼だけ。

 …明日はお弁当持たずに、一人で外に食べに行こうかな。



「真島くんて、彼女いないの?」


 浜崎さんて、積極的だな。


「僕?いませんよ。」


「そうなんだ。いるみたいに見える。」


「どうしてですか?」


「オシャレも優しさもさりげないから、雰囲気的に彼女持ちって感じ。」


「いえいえ…僕なんて、女性の気持ちも分からない若輩者ですから…」


 オシャレは認めるけど、優しさがさりげない?

 とことん気が利かない男と思っているあたしは、心の中で目を細めた。

 黙々とお弁当を食べながら、二人の会話を聞く。


 うん。

 こうやって、二人で喋ってくれてればいいのよ。

 できるだけ、あたしに話を振らないでくれれば。



 あれから、浜崎さんも『彼氏は?』なんて聞いて来なくなった。

 もしかしたら、真島くんが何か言ってくれたのかもしれないし…自分で空気を読んだのかもしれないけど。

 聞かれないで済むがいいに越したことはない。



「浜崎さーん、いる?」


 休憩室の外から、課長の声。


「あ、はーい。」


「悪いけど、ちょっと会議室に来てもらえる?」


「え…今…?」


 浜崎さんは小声でそう言いながら、眉間にしわを寄せた。


「早く早く。」


 ついには課長が休憩室にまで呼びに来て。

 浜崎さんは渋々と。


「はーい…」


 唇を尖らせて、お弁当箱をしまった。


「……」


「……」


「何でしょうね。」


「…桐生院さん。」


「はい。」


「…聞いてくれるだけでいいから、黙って聞いててくれる?」


「……」


 あたしのお弁当箱には、まだ半分ぐらい残ってて。

 よし。

 食べる事に集中していよう。

 そう思いながら、頷いた。



「…僕と志麻って、兄弟みたいに育ったんだよね…」


 …あの人の話は出さない。って約束したのに。

 この男…


「だから…すごく…なんて言うか…」


「……」


「僕の考え方は志麻の考え方。志麻の考え方は、僕の考え方。って思ってて…」


 ぱくぱく。

 うん。

 筑前煮、美味しい。


「だから…まさか、志麻が貴女に本気になるって思わなくて…」


 ズキズキ。

 また塩をすり込まれてる。

 擦り込んでることに気付かない真島くんと、擦り込まれても平気な顔をしてしまうあたし。


 だけど、ちょっとこれは…


「…何が言いたいの?」


 あたしは箸を止めて、低い声で言った。


「…本当に、貴女には申し訳ない気持ちでいっぱいです…」


 真島くんはうつむき加減に、小さな声でつぶやいた。

 そして、額をテーブルに当たるぐらいお辞儀して。


「…信じてもらえないかもしれないけど…」


「……」


「今は本当に…純粋に、貴女に嫌われるのが怖い…」


 泣きそうな声。


「傷付けたって、分かってる…だけど、どうしたらいい?僕、仕事以外の事は本当に…狭い世界でしか生きてなくて…」


「…人を思いやることも、出来ないの?」


「僕の想うそれと一般的なのは…たぶん違うと思うから…」


「……」


「お願いします…僕を許して下さい…」


「……」


「……」


「…あたしに、どうしろって言うの?」


「…僕を…」


 真島くんはゆっくり顔を上げた。

 本当は、信じられない気持ちでいっぱいだったけど…

 何かを我慢して震える唇。

 みるみる溢れる涙。


「僕を…そばで見てて下さい…そして、僕があなたに恋をする事…許してください…」


「……」


 …同情は…する。

 だけど…

 恋なんて…


「…恋されても、あたしは応えられない。」


「……まだ…志麻の事好き?」


「……」


「…志麻がやった色々な事は…最初は捜査のだめだったけど、途中からは…貴女を守るためだった…」


「……え?」


「貴女の携帯から西野のデータを消したのも、発信機のついたネックレスをプレゼントしたのも…」


「……」


「僕は…そんな私情を挟んでる志麻を見て…イラついた。二人の仲を壊したかった。でも…」


 頭が混乱して、真島くんの言葉を耳に入れるだけで精いっぱいになった。

 何?


「…今…告白したって、何の力もないね…」


 真島くんはうつむいてしばらく黙ってたけど。

 大きく溜息をついて。


「今までも、僕と志麻は、大事なものは共有して来たんだよ。」


「…共有?」


「うん…恋人もね…」


 涙を拭きながら、とんでもない事を言った。

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