いつか出逢ったあなた 26th

ヒカリ

第1話 『…また、連絡するから。』

『…また、連絡するから。』


 西野さんが、電話の向こうでそう言った。

 あたしは無言で受話器を置く。


 華道と音楽一家の家…なんて言うと変だけど。

 そんな家に生まれたあたしは、家族の中、唯一のOLで。

 父はF'sっていうバンドのボーカル、神 千里。

 母は、SHE'S-HE'Sってバンドのボーカル桐生院知花。

 双子の兄、華音かのんはDANGERってバンドのギタリスト。

 妹の華月は、モデル。


 …そんな中、本当に普通なあたし。



 だけど、そんなあたしにも恋人はいた。

 職場の先輩で、西野さんという五つ年上の男性。

 いずれは結婚も…って話も出てて。

 まだお互いの親に紹介もしてないのに、あたし達はマンションの下見に行ってしまった。

 パンフレット片手に、幸せになろう、って…

 あたしの頭を抱き寄せてくれたのに…



 会社の飲み会の帰り。

 近くの公園で西野さんを見かけて、近寄ると。


「あっ…さっ咲華さくか。」


「……」


「ちっ違うんだ。ここここれは、その…」


 目の前で、西野さんが慌ててる。

 そんな西野さんの隣で。


「あら、桐生院さん。」


 その顔には見覚えがあった。

 西野さんと同期の…椎名しいなさん。

 バリバリに仕事ができて、あたし達女性社員の憧れ的存在。

 そんな二人が…

 抱き合ってキスしてた。


「…西野さん…どういう…」


 あたしが低い声で問いかけると、西野さんは椎名さんにせかされるように。


「…おまえにはー…悪いと思ってるよ。」


 って…一言。


「悪いって…」


「……」


「あなた、ちょっと秀人の足を引っ張りすぎじゃない?」


 ふいに、椎名さんが髪の毛をかきあげながら言った。


 …秀人?


「秀人はもっと仕事ができる人間なの。あなたのフォローばかりで、全然自分の仕事ができてない。」


「おい、そんな言い方…」


「いいじゃない。本当の事ですもの。」


「西野さん…あたしの事、そんな風に…?」


「……」


 あたしの問いかけに、西野さんは無言。


 …いつも仕事でフォローしてもらってたのは確かだし。

 あたしも、甘えてた部分はあったかもしれない。

 だけど…こんな形で、それを知らされるなんて…



「秀人。今、ここで決めて。」


「え?な、何を。」


「あたしか、桐生院さんか。」


「えっ…」


 あたしは驚きのあまり、口を開けて二人を見ていたかもしれない。

 ここで…こんな所で、西野さんに選ばれるか捨てられるかだなんて…!!



「あっ、咲華!!」


 気が付いたら、あたしは駆け出してた。

 西野さんの言葉が怖かった。

 椎名さんを選ぶ。って。

 その言葉を聞きたくなかった。




 翌日、悔しい事に熱が出た。

 それも、高熱。

 仕事に行こうとしたけど、おばあちゃまに止められた。

 こんなの、どう考えても、夕べの事があったからって思われそう。

 負けた気がして…悔しい…


 ともあれ、おとなしく寝ているしかなかった。

 夕方、少しだけふらつきも取れて。

 熱も少し下がったあたしは。

 誰もいないのを確認して、会社に電話をした。

 休む連絡は入れてたけど…

 西野さんに、直接言いたかった。


「…咲華です。」


『ああ…熱って…本当か?』


「本当です…」


『確かに、鼻声だ…大丈夫か?』


 優しい声を聞いてると、夕べの事が嘘みたいで…

 泣いてしまいそうになった。


『…また、連絡するから…』


 西野さんとの電話は、それで終わった。

 受話器を握りしめたまま、あたしはその場に立ち尽くした。



「咲華?」


 ふいに、聖に声をかけられて魔法からとけたみたいに体が動き始めた。


「えっ…何?」


「電話、奴か?」


「…奴だなんて。」


「奴でいいんだよ。ったく、咲華は人が良すぎるんだよ。」


 あたしは、夕べ。

 つい…聖に全部をしゃべってしまった。

 悔しくて、どうしようもなくて…



「なんて?」


「え?」


「あいつ、なんて言ってきたのさ。」


 聖はソファーに座ると、唇をとがらせて、あたしを見上げた。


 大学四年で、あたしより三つ歳下のなんだけど…弟みたいな聖。

 妹の華月と同じ年の同じ日に生まれたから、あたしと双子の華音にとっては双子の妹弟がいるみたい。


「…また連絡するって。」


 意を決して打ち明けると、聖は一瞬息を飲んで。


「くっそ…何かすっきりしねえな。」


 って、ますます唇をとがらせた。


「仕返ししてやれよ。」


「仕返しだなんて…」


「あいつを見返すほどのいい男連れてさ、目の前で見せつけてやれよ。絶対悔しがるぜ?」


「無理よ。あたし、そんな度胸ないし…それに、そんな知合いいないもの。」


 あたしが首をすくめて笑いながら聖の隣に座ると。


「また、無理して笑う。」


 聖は、あたしの額を指ではじいて。


「おまえ、もっと自信持てよ。結構いい女なんだぜ?」


 って、真顔で言ってくれたのよ…。



 * * *


「……」


 夕暮れのダリア。

 熱も下がって仕事に復帰した日。

 西野さんは、出張でいなかった。

 だけど…デスクに電話があって。


『今日、仕事終わったら、ダリアで会えるかな…』


 そう、言われた。


 残業して待たせて、行かなければいい。なんて思ったけど。

 こんな日に限って、仕事が早く終わる。



「体調管理も仕事のうちよ。」


 目の前で、椎名さんが言った。


 …どうして、この人までいるの?

 それだけで泣きそうになった。

 あたしと西野さんの問題じゃないの?

 それとも、もう西野さんと椎名さんは始まってて、あたしは単なる邪魔者?


「この前、ハッキリしない内に、あなた帰ったから。今日はハッキリさせようと思って。」


「…あたしと西野さんだけで、話させてもらえませんか?」


 あたしが思い切ってそう言うと、椎名さんは舌打ちでもしそうな形相であたしを見た。

 あんなに憧れてたのに…

 イメージ変わっちゃったな。


 椎名さんが無言で席を立って。

 あたしと西野さんは、二人きりになった。

 何をどう…切り出そう。



「椎名さんと…付き合うんですか?」


 うつむき加減で問いかける。

 西野さんは、あたしから見ると大人で頼り甲斐があって…って思ってたけど。

 椎名さんと居ると、それも作り物だったのかなって感じてしまった。

 それとも、あたしが勝手にそう思い込んでたのかな…



「咲華には…本当に…悪いと思ってる。」


「マンションだって…見に行ったのに…」


「…家柄も違い過ぎるんだよ。」


「え?」


「だって、やっぱりさ…ほら、お嬢様だし…」


「……」


 やっと顔を上げれたけど。

 正面から見た西野さんの顔、こんな顔だったのかなって思ってしまった。


「それが、少し重荷でもあったんだ。」


「重荷って…」


「だってさ、咲華んちのお父さん、厳しかっただろ?デートしてても…なんかこう…門限の事気になって楽しめなかったって言うか…」


「そんなの…」


「やっぱり、うちみたいに奔放な家とは…合わないよ。」



 あたしと別れたい理由を、門限や家柄の事にされてる気がする。

 あたし、こんな人のこと信じて今日まで…

 頭の中で、聖の言葉を思い出す。

 仕返し…

 ううん、見返してやりたい…



「あ…あたし…」


 気付いたら、言葉にしてしまってた。


「え?」


「あたしも、そう思ってました。」


 まっすぐに、西野さんを見る。


「それに、あたしだって、西野さん以外の人と会ったりしてたし。」


 あたしがそう言いきると、西野さんはポカンとしたあと。


「冗談だよな?おまえにそんな事できるわけないよ。それに、どうせあれだろ?親のコネで業界人と会ってたくらいのことだろ?」


 って、鼻で笑った。


「ち…違う。その人は、親とは関係ないの。とても素敵な人よ。今日も、これから会う約束してるの。」


 あたしったら…何言ってるんだろ。


「…へえ、ぜひ会ってみたいね。」


「ど…うして?西野さんには関係ないじゃない。別れるんだから。」


「いや、咲華をお願いしますって言わないとな。会わせてくれよ。」


「なっ…」


 ニヤニヤしてる。

 あたしの嘘なんて、お見通しって顔。

 ああ…あたしにもっと演技力があれば…


「もういいかしら?」


 遠巻きに見ていた椎名さんが戻って来て。


「あの事は言ったの?」


 小声で、西野さんに何か言ってる。


「…いや…」


「あたし達、結婚するの。」


 西野さんが口ごもってる隣で、椎名さんがキッパリと言った。


「……結婚?」


「ええ。あなたも式には是非、同僚として出席してね。」


「……」


 目の前が真っ暗になりそうだった。


 その瞬間…



「まだかよ、咲華。」


 ふいに、後ろから名前を呼ばれた。

 西野さんと椎名さんが、眉間にしわを寄せた。

 ゆっくり後ろを振り返ると。


「こいつ?おまえを捨てるって男。」


 ……誰?


 黒のスーツに、サングラス。

 身長は西野さんよりずっと高くて…


「おまえ…咲華の何だ…?」


 西野さんがうわずった声でその人を見上げる。


「何でしょうね。あなたよりは、深い関係かもしれません。」


 あ。


「し…」


「早く用件すましちまえよ。今日は家に行く約束だろ?」


 あたしの言葉を遮って、彼は続けた。


「今日こそ親父さんを口説くぞ。」


「…何言ってるの。」


 笑ってしまう。

 これが演技だとしても…ちょっとドキドキしてしまった。

 サングラスを、はずす。

 その目を見て、少し安心した。


「あ、ご結婚されるそうで。おめでとうございます。」


 西野さんの隣にいる椎名さんが、何度も瞬きをして彼を見る。


「あ…結婚は…その、するって言うか…」


「なっ何言ってんだよ。」


「だって、ちょっと…」


 椎名さん、目がうるうるしてる。


「なんなんだよ!!」


 西野さんが、わなわなと震えて、握りこぶしを作って立ち上がった。


「やっやめて!この人、色んな武道の有段者よ?」


 あたしがそう言うと、西野さんは一瞬身構えて。


「…目障りだ。どっか行けよ。」


 ぶっきらぼうに言って、座った。


「じゃ、失礼しよう。」


 彼はニッコリ笑うと、あたしの手を取った。


 …少しだけ、すっとしたような感じ…

 二人の視線を背中に受けながら。

 あたしたちは、外に出た。




「…驚いた…誰かと思っちゃった。」


「お久しぶりです。」


 外に出たとたん、敬語。


「何年ぶりかな…あたしが高校卒業した年に一度二階堂で会ったのが最後?」


「はい。私もあのあと仕事でドイツに行って、先月帰ってきたばかりなので。」


「すごく変わったね。しーくん…あ、もうそんな呼び方しちゃいけないかな。」


 あたしが上目使いでしーくんを見上げると。


「いいですよ。昔みたいに呼んでください。」


 しーくんは、笑顔。


 ひがし 志麻しま

 通称しーくん。

 あたしより一つ歳下の24歳。


 しーくんは二階堂組という、ヤクザを装った警察の秘密機関で働いている。

 母さんの妹、麗姉がお嫁にいった陸兄の実家でもあり、家業は陸兄の双子の姉、織さんが継いでらっしゃる。

 特殊な家業。

 あたしたちは、一応親戚ということで知ることになった。


 しーくんのご両親も、二階堂で働いてらっしゃる。

 頭が良くて、身体能力の高い人材しか働けない場所。


 本来、二階堂本家の人達は、あまり外部の人と交流を持たない。

 聖と華月は、泉ちゃんという二階堂家の娘さんと仲がいいけど、あたしにとっては、華月の向こう側っていう存在だ。

 …もともと、あたしは人付き合いが下手だし…

 自分から、行くタイプでもない。


 学生時代、それとなく友人のような人もいたけれど…

 悩み事を打ち明ける存在は、皆無だった。

 …悩みらしい悩みなんてのも、なかったけど。



 そんなあたしが『しーくん』なんて、男性の事を気安く呼べるのは…

 小さな頃、二階堂本家の広い敷地内で迷子になってたあたしを、無言で助けてくれた彼への信頼でできた事。

 そう何度も行った事はない家だけど…あたしが行った時には、必ずしーくんが庭にいて。

 一緒に池の鯉を眺めたり…

 今思うと、年寄りじみてたな…


 あの頃は、『しーくん』『サクちゃん』と呼び合ってたけど…

 最後に会った時には、『咲華さん』と呼ばれて…しかも、敬語だった。

 …軽くショックだったのを覚えてる…。

 それが、彼の仕事上…仕方のない事だとしても。



「…ね。」


「はい。」


 ゆっくり歩きながら、問いかける。


「誰かに、頼まれたの?」


「え?」


「さっきのこと。」


「あ…」


 しーくんはポリポリって頭をかいて。


「実はこの間、公園でお見かけして…」


 って、小さく言った。


「…え?」


「公園で、三人がもめてらっしゃるのを…」


「……」


「今日も、咲華さんが浮かない顔して歩いてらしたから、ついて行ったんです。すると…ああいう状況になって…つい、頭にきてしまったので…」


「……」


「でしゃばったマネして、すみませんでした。」


 しーくんが、頭をさげる。


「そ、そんな、いいよ。」


 あたしは、しーくんの腕に手をかけて。


「…すっきりしちゃった。」


 って、笑う。


 しーくんは、少しだけあたしを見て…小さく笑った。


「不思議よね。あんなに大恋愛だって思ってたのに…あたしのこと、つまんない女だって思ってたなんてさ。」


「…咲華さんが優しすぎるから、いい気になってるだけですよ。きっと、そのうち後悔されるはずです。」


「ううん。あたし、本当に…何もないのよ。特に料理が上手なわけでもないし、これといって取柄もないし、顔だって、とりわけ美人じゃないし。」


 こうやって見ると…あたしって、本当につまんない。

 涙が出ちゃいそうなくらい。


「咲華さん…。」


 しーくんが、あたしの肩に手をかける。


「ご…ごめんね…こんな、泣いたりなんかして…」


 涙を拭いて、上を向く。


「あー、サッパリした。自分を見つめなおす、いいキッカケになったかも。」


「……」


「そう思うと…失恋も悪くないね。」


 しーくんに笑いかけると。


「…それなら…」


「ん?」


「俺と、恋愛しませんか?」


「………え?」


 恋はある日突然。

 終わったり始まったりするもの?



 * * *


「……」


「……」


「…そ…」


「そ?」


「そんなに…見られると…ちょっと…」



 俺と恋愛しませんか?

 しーくんにそう言われて…

 待ち合わせをした。


 天気のいい土曜日。

 しーくんは、普段とそう代わりないであろう…スーツ。

 二階堂は、スーツ着用が義務付けられている。


 あたしはー…

 デート…これがデートって言う物であるなら…と。

 春らしい色の、コーディネイト。

 スカートも…西野さんと付き合ってる時には着なかった…膝上丈。


 …なんだって、こんなにオシャレしちゃったんだろ。

 あたし、失恋したばかりなのに…

 軽すぎない?



「似合ってますよ。」


 しーくんは優しく笑うと。


「行きたい所はありますか?」


 顔を覗き込んだ。


「……」


「…?」


 あたしが何か言いたそうな顔に見えたのか、しーくんは首を傾げる。


「…あたしにも、ずっと敬語…?」


「ああ…すいません。もう、クセみたいなもんなので。」


「敬語を使わない相手って、いるの?」


「いますよ。妹と…兄弟みたいに育って来た仲間には、敬語は使いません。」


「ご両親には?」


「両親には敬語です。」


「…すごいね…」


「うちでは普通ですから。」


 その言葉が。

 何となく…あたしとは世界が違うと言われてる気がした。

 …うん。

 そりゃあ…そうなんだけど…

 ちょっと、寂しい気もする。



「あの…」


 ついでのように…気になってる事も聞いておこう。


「はい。」


「…どうして、あたしと恋愛?」


 しーくんを見上げて言う。


 …笑顔。

 しーくんは…表情が読めないな…

 って、あたしに人の心や表情を読む力なんてないけど…


「実は、女性に対して奥手過ぎて、恋愛経験がなくて…」


「え?」


「と言うのは嘘です。」


「…もう…」


「どうしてでしょうね。あの時、そう思った。それが全てです。」


「…あたしが、かわいそうだったから?」


「それもあるとは思いますが。それだけではないと思います。」


「……」


「腑に落ちませんか?」


「…よく分からないけど…」


「……」


「でも、誘ってくれてありがとう。今日…オシャレするの、楽しかったから…」


 あたしが思い切ってそう言うと。


「…お綺麗ですよ。」


 しーくんはそう言って…あたしの手を握った。


「……」


 突然の事過ぎて、無言で顔を赤くすると。


「さあ、行きましょうか。」


 しーくんは、握った手を少し引き寄せて…あたしに寄り添った。

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