第4話 車窓から覗く世界と偽りの永遠

 私たちは特急に乗り込むと、すぐ列車は動き出した。

 私たちはそれから無言だった。

 私は下を向いたまま、自分の足元を見つめていたし、老紳士は外を見ながら、流れる景色を見つめるのでも無しに眺めている。

 電車の中は休日の家族連れで賑わいを見せていたが、私たちの小さな世界は、沈黙した空間のように時が止まっていた。

 暫らくして、私がうっつらと眠りそうになると、老紳士はこっちらを見て、私の肩に手をかける。

「眠ってはいけない。眠ると目的地に着けない。」

 そう何度も私の肩をゆすった。

 何度もまどろんだが、結局、眠ってしまうことはなかった。

 私は、特急からローカル線に乗り換えると懐かしい地元の空気が、まわりを囲む乗客の言葉から感じられた。

 それらは懐かしい響きで、この不思議な帰郷の目的を徐々に思い出せなくした。

 気づくと列車は静止し乗客の話し声も物音さえも何も聞こえなくなっている。まるで時が止まったような不思議な感覚を覚えて、何か呆然と私は何も考えられなくなった。

 まるで身体も心も知らず知らず固まってしまうように……。

 私は知らないうちに我を忘れていたようだ。

 ふと我に帰ったのは老紳士が私の肩を揺さぶったからであった。

「まどわされては駄目だ。お嬢さん、君の目的は何だった?」

 彼は私の目を鋭く見据えている。

「私の目的?」

「そうだ。君はやり直しに来たんじゃ無いのかね。」

「やり直って、何を?。」

「私の目的?」

「そうだ。君はやり直しに来たんじゃ無いのかね。」

「やり直って、何を?。」

 ぼんやりと答える事しか出来ない。

 まだ頭が巧く回らない……。

「忘れてはいけない。それを思い出さなくては越えられない。もう少しなのだよ。」

「私にはわからない……。何も思い出せない。貴方が知っているなら教えて。」

「私が答えても、何の解決にもならない。答えてしまえば、それは既に答えではないのだ。このままなら、この先に列車が動く事はない。ただ、君が思い出せば道は自ずと開ける筈だ。」

「何を思い出せば良いの?」

 私は弱々しく呟くと彼はいたわるような瞳を向けて

「それは君にとって思い出したくない事実なのだろう。けれども君はこの列車に乗ったのだ。すべてを思い出す為に。このまま思い出せなければ、約束の時が満ちてしまう。そうすれば君はあの人を永遠になくしてしまうだろう。」

「あの人って……。」

 私は俯いて考え込んでしまう。

「君にとって大事な人だ。たぶん、最愛の人だろう。」

 言葉を言い終えると彼は急に輪郭が曖昧になって薄らと後ろが透けて見えた。

 私は錯覚を見ているのかと我が目を疑った。

 けれど、それは錯覚ではなく彼に何かしらの変化が起きているのが漠然と感じ取れた。

 至る所の深い皺の一本一本が後を残さず若い張りのように徐々に消えていく。

 それは空の映像を納めたテープの巻き戻しのように有り得ぬ方向へ太陽が進み逆に沈み込んでいくような深く神秘的な恐ろしさを秘めているようだった。

 それは異様で誰もが夢見るものだが、実際に見てみると気味が悪い異界への門に嬉々として進むような不純な感動に思えた。

「あなた、顔が……。」

「たいしたことじゃない。いつもこうなのだよ。いつも苦しのだ。この壁を越えるのに莫大な時が必要なのだから……。見せ掛けの、偽りの時など、やはり本物の時にとっては偽者でしかないのだな……。」

「あなたは何者なの?」

「私か? 偽りの永遠とでもいっておこうか……。」

「偽りの永遠?」

「そうだ。わかるだろう。私の時が逆さにまわっている事を……。」

「若返っているの?」

「ああ、時を喪失している。だからそれ以上の記憶が綺麗に切り取られたようにすっかり無くなっていく……。今の私は君を解決できる記憶を既に失してしまった。だから君自身が何か答えを得なければ私は消滅して――君の存在も無くなってしまうだろう。」

 そう呟く間にも、彼の顔は驚異的な早さで若返っていくのが見て取れる。

「私は消えてしまうの?」

「そうだよ。君は僕の世界に既に入っているから……。抜けるにはそう、すべてを忘れるか、君の大事な何かを思いだす事だけだ……。」

「思いだせば上手くいくのね?」

 そう答えてみたもののまったく見当がつかなかった。

 けれど暗闇の中で良く知った入れ物の中身を調べるように歯がゆく思えたことも事実のような気がした。

 真実はすぐ近くに存在するが私の目には映らないようだ。

「そうとも言えるが、それは辛い事なのかもしれない。今の僕では君の過去に何が在ったのか、わからなくなっている。ただ、今は君の心が真実を知っているのだ。」

「私の心……。」

「ああ、君の心だ。どちらを選択するか君が決めてくれ。私は、その答えに異議を挟む立場にはない。」

 私は考え込んだが曖昧なイメージが頭を駆け抜けるだけでわからなかった。まるで酷く散らかした部屋から大事な鍵を探し出すようなことと似ていた。

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