第11話 転送

「は、遥ちゃんが、て、転送って、ホントなんですか?」


 留学したはずの彼女が実は異世界にいる。

 悠真は相当に混乱していた。動揺のあまりうまく口が回らない。


 薫は真顔で頷いた。


「そうよ。……本当は行かせたくなかったわ。山科くんが戻ってきた後、全自衛官、そして研究者とその家族から遺伝子保持者キャリアを探したんだけど、あの子が適合するなんて思いもよらなかった。そして、先に黒木三尉が転送されて、その後再びキューブが稼働した時、あの子の派遣が決まったの。行かないように説得したわ。ただ、遥は絵を描くのが好きな、夢見がちな子でね。どうしても行くって言い張ったのよ。異世界の風景を描いてみたいって……」

「あ……」


 それを聞いて、思い出したことがあった。


『わたし、誰も描いたことのないような風景を描いてみたいの』


 彼女は、そう言っていたのだ。少しはにかんだ顔が目に浮かぶ。

 もしかして、あれは異世界のことを言っていたのかもしれない。


「それじゃ、絵を学びに留学したっていうのは……」


 スクリーンの表示に目をやる。

 転送日は今年の6月。まさに彼女が留学した時期と同じだ。


 薫が軽く肩をすくめた。


「ただの口実よ。もちろん、アヴァロンに絵を描きに行ったのだから、完全な嘘ではないけれど」

「……」


 悠真は頭がグラグラする思いだった。

 遥がフィレンツェに行ったと聞いて、この二ヶ月近くの間に、街の歴史や宗教画についてあれこれ調べた。彼女が帰国したあと話についていきたかったからだ。

 そして寂しいときには、そこに生活する彼女の様子を想像して思いを馳せていた。

 だがそれは、見当違いもいいところだったのだ。他の国どころか、地球上にすらいなかったのだから。


「……それで、遥ちゃんと黒木って人がまだ戻ってきてないって、どういうことですか?」


 気を取り直して尋ねると、薫の表情が曇った。

 

「それが分からないから困ってるのよ。黒木三尉が転送されて七ヶ月、遥は二ヶ月近く経つけど、戻ってくる気配はないわ。向こうのキューブも転送できる期間が限られるんだけど、プーカによると何回かはその周期が来ているらしいの。だけど、連絡の取りようもないから、何があったのかも……はっきり言って、生きているのかどうかも分からない。完全に行方不明よ」

「そんな……」

 

 悠真は言葉を失った。

 彼女がアヴァロンに転送されていたこともそうだが、今だに戻ってこないということが衝撃的すぎる。しかも、ただの失踪ではない。異世界である。


「だからあなたには、できる限りで構わないから、二人の行方を調べてほしいのよ」

「き、急にそんなこと言われても……。あ、そうだ」


 追い詰められた気持ちの中でふと思いつく。


「薫さんが行けばいいんじゃないですか? 薫さんなら研究もできるし遥ちゃんも探せるし、僕なんかよりよっぽど適任だと思うんですけど」


 姉妹なら遺伝子を受け継いでいるはずだ。


「……そうね。本当なら、私が行ければよかったんだけど」


 自嘲気味に、薫が目元を和らげた。


「できればそうしたかったわ。でも私にはその資格がないの。私はキャリアじゃないのよ」

「え、それって、もしかして……あ、その……」


 そこまで言ってから、突然理解が訪れ、悠真は後悔した。


「ええ。私と遥は血がつながってないわ」

「あ、ご、ごめんなさい……」


 踏み込んではいけないことを聞いてしまった思いで、慌てて謝る。


「いいのよ。本当の妹だと思っているから。……あの子の両親は小さい頃に事故で亡くなってね。父親同士が仲が良かったから、うちに引き取られたの。ただ、そういうわけで、私は向こうに行けないのよ」

「そうだったんですか……」


 悠真は、何と言っていいか分からずうつむいた。薫の悲哀が痛いほど伝わって来たのだ。たとえ血が繋がってなくても仲の良い姉妹だったに違いない。そしてまた、そんなことなど微塵も感じさせなかった遥の微笑みが胸に刺さる。


「だから、今の私たちにはあなたしかいないのよ」

「……」

「あなたに頼みたいのは二つよ。一つは、無事に戻ってくること。向こうからの転送の瞬間を観測することが研究で最も重要なの。いつ戻って来てもいいように、24時間体制で機械を動かして待ってる。そして、もう一つは……、二人の状態を確認して、もし無事なら連れて帰ってきて」

「……少し考えさせてもらえませんか?」


 すでに悠真は、自分が行くしかない気がしていた。遥の命がかかっているかもしれないうえに、助けに行けるのは自分だけなのだ。ただ、これだけの決断を『はいそうですか』と今すぐ下すのは無理である。覚悟を決める猶予がほしい。

 だが、薫は申し訳無さそうに首を横に振った。


「そうさせてあげたいのは山々なんだけど、残念ながらそうはいかないのよ。この機械は作動するのが極めて短い間だけなの。そして、次にいつ動かせるかわからない。最後に起動できたのは遥を転送した二ヶ月近く前よ。その前はさらに半年前。だから今日も急いでここまで来てもらったのよ。それに、今を逃せば研究が遅れるだけじゃない。二人の命に関わるかもしれない」

「そ、それはそうですけど……。この機械、結構不便なんですね」


 ちらりと、プーカを見る。

 彼女は、自分をけなされたと取ったらしく、文句を言った。


「何言ってんのよ。この星がこんなへんちくりんな場所にあるからいけないんじゃない。ホント、田舎の低級種族って面倒臭いわね」


 フンッと鼻を鳴らして横を向く。


「もう、あなたしかいないの。分かるでしょ?」

「……それは、そうですけど。でも、僕……」


 悠真はまだ心を決めかねていた。

 それを見て、薫は小さくため息を付いた。


「ねえ、悠真くん」

「は、はい」

「……遥は、いつもあなたの事を話していたのよ。とても仲良くなった男の子がいるって」

「え」


 意外なことを聞かされて、悠真は顔を上げた。


「話も合うし、空想ばかりしてる自分のことをよく分かってくれる、だから一緒にいて楽しいって言ってたわよ」

「……そう……ですか」


 こんな時ではあったが、思わぬ評価を聞かされて悠真は胸が高鳴った。同時に彼女に会いたいという気持ちが湧き上がる。


「それでね、遥が転送前に言ってたことがあるの。どうしてそこまでしてアヴァロンに行きたいのか私が尋ねたときよ。……あなたに異世界の絵を見せたかったんですって」

「僕に……絵を……?」

「そうよ。あの子、あなたに絵を見せる約束をしたんでしょ。それで、向こうで描いた絵を見せようと思ったらしいの。あなたがどんな顔をするか、それをとても楽しみにしていたのよ」

「……」


 悠真は唇を噛んだ。それでは、自分自身も彼女の決断に寄与しているのだ。

 その彼女が、もしかしたら今この瞬間にも窮地に陥っていて、助けを求めているかもしれない。

 しかも自分は向こうの世界を完全コピーしたゲームを3ヶ月もプレイしている。言ってみれば土地カンもあり、知り合いすらいる。

 客観的に見ても、彼女を助けることができるのは自分だけなのだ。 


(僕が行くしかない)


 心が決まった。顔を上げて薫をまっすぐに見た。


「……分かりました。行きます」

「本当に? よかった。ありがとう、悠真くん」


 薫は、心の底からホッとしたように両手で悠真の手を握った。

 その安堵の表情は、研究が続けられるというよりも妹を救うことができることに対する感慨だと悠真は察した。


「薫、そろそろ時間切れよ」


 プーカが、首を振ってキューブを指し示す。

 心なしか、青色の淡い光がくすんできたように見受けられる。


「え、もう? ま、まだ心の準備が……」


 悠真は戸惑った。このままいきなり飛ばされるとは思っていなかったのだ。


「時間がない以上仕方がないわ。それに、すでにゲームで過ごしたところに行くんだから」

「で、ですけど……」


 薫は、悠真の抗議には取り合わず続けた。


「帰りは、向こうにあるキューブから戻って来て。『ルクレス』って言えば、プーカが現れるはずよ」

「あんたの下手な発音でも我慢して出て来てあげるから、感謝しながら呼べばいいわよ」

「はいはい」

「アヴァロン側のキューブは、ウルムの村にあるって山科くんが言っていたわ。村の人に聞けば分かるそうよ。その村は、知ってるわね?」

「ええ」


 ウルムは、ゲームでは最序盤、初期街の次に訪れることになる小さな村だ。かなり近くにあるため、簡単に行けるはずだ。


「それと、何かあったら冒険者ギルドに行ってちょうだい。山科くんの顔が利くらしいから。たぶん、他の二人も最初にそこに行ったはずよ」

「分かりました」


(異世界の冒険者ギルドに顔が利くってどんな教師だよ……)

 

 こんな場合だったが、思わず心の中でツッコミを入れる。


「薫」


 プーカが再び促す。その声は、ふざけた様子はなく真面目だった。時間が押しているらしい。


「分かったわ。じゃあ悠真君、遥をお願いね」

「は、はい……」

「ほらほら、ちゃっちゃと行くわよ」


 プーカに促され、共にステージに上がる。

 先ほどと同じように、そこは転送先の草原の中だった。

 相変わらず、そよ風が吹き、鳥のさえずりが聞こえる。草の匂いまで感じられる。

 だが、まだ厳密にはそこにいるわけではない。

 これから、本当に転送されるのだ。


(何でこんなことになったんだろう)


 転送ステージに立ち、ふわふわした非現実感の中で、悠真は自分の感慨に浸っていた

 つい数時間前まで、部屋でゲームをしているだけの普通の高校生だった。

 なのに、これから異世界に転送されるなんて。


(そうだ、僕が進路希望調査に『異世界で勇者』なんて書いたから……)


 あれが事の始まりだったのかもしれない。


(でも、夏休みに行くだけなんだから、進路じゃないな)

(言ってみればインターンに行くようなものか……って、何バカなこと考えてんだ。こんなときに)


 インターンで異世界に行くというのも面白いと考えて、悠真はフッと笑みをこぼした。こんな土壇場でこんなバカなことを考えているのは、きっと実感がないからだろう。心の何処かで今だにこれが現実とは受け入れれていないのかもしれない。


「着いたわよ」

「は?」


 不意にプーカに話しかけられ、我に返る。

 小柄な彼女が、隣でこちらを見上げているのに気づいた。


「あ、あれ? もう着いたの?」


 慌てて周りを見回す。

 だが、ステージ上から見ていた風景と全く変わっていない。

 山と森に囲まれた大自然の真っ只中。

 左手には、森が広がり、右手には小川が流れ、前方はひたすら草原と丘陵地、そして、その間をうねるように進む街道がはるか彼方まで連なっている。

 昼間の空に薄く浮かんでいる大小二つの月が、ここが地球ではないことを示している


 いきなり「着いた」と言われても、転送されたという感覚すら一切なかったのだ。

 完全に拍子抜けである。


「何寝ぼけたこと言ってるのよ」

「だ、だって……」


 悠真が口ごもった。


「何か文句あんの?」

「い、いや、ほら、なんかこう、光に覆われるとか、激しい音がするとか、景色が歪んで見えるとか、『キターッ』みたいな、そんな感覚がなかったものだから……」

「ばかね。そんな古いシステムと一緒にしないでちょうだいよ」

「はあ、そういうものなんだ。なんだか、損した気分だよ……」

「へ? へんなの。まあいいわ。では、改めて。―――この世界へようこそ」


 少しがっかりする悠真をよそに、プーカはどこか誇らしげだった。


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