情報流出しちゃったみたいです


 ハルちゃんからの連絡を受けた後、ネオタアリ社まで急行する。途中でタクシーを拾って夜の首都高を走っていく。車窓から見えるカラフルなネオンが、車内を鮮やかに照らしていた。

 その明かりに照らされている花村さんの表情は、かなり焦燥しょうそうしていた。眉間にシワを寄せて、祈るように手を強く握っている。

 さっきの電話の後から花村さんはずっと険しい表情のままだった。BMIの情報流出はそれほどまでに深刻な事態だった。


 本社の会議室の中に入ると、すでにハルちゃんと湯川さんがいた。


「花村と丸福、ただいま到着しました!」

「……ちょっとこれを見てみろ」


 深刻そうな顔をしてパソコンの画面を指差す湯川さん。画面に映っているネットニュースには真っ赤の文字で見出しが書かれていた。


『ネオタアリ社、フルダイブ型ゲームを発売か!! 今秋の東京ゲームショウまでに発表も!?』


 見出しの下にはツラツラとフルダイブ型ゲームの情報が書かれていた。BMIの事も、クエストドアのことも、秘密裏に開発し続けていたということも。


 どれもこれも本当のことだ……。デマカセの記事ではない。湯川さんがスクロールしていく画面にはBMIの写真も掲載されていた。


「内部の人間しか知らない情報だ。開発の一部を委託している会社にはただのVRゲームとしか教えていないから……」

「ネオタアリ社の誰かがこれを漏らしたということじゃな」

「そんな……」


 それを聞くと花村さんは顔を真っ青にして頭を抱えてしまった。

 

 この記事を書いたのは大手の週刊誌だった。芸能人の不倫や交際などの記事を、特ダネとして取り上げる影響力のあるメディア。

 記事が出てから1時間も経っていなかったが、ツイッターなどのSNSは蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていた。


『フルダイブ型ゲーム発売ってマジ?』

『夢の世界きたー』

『これ本当かな』

『内部リークらしいよ』

『やっちまったな』

『早く2次元にいきたい!』


 すごい勢いでタイムラインが流れていく。フルダイブ型ゲーム発売の情報はどんどん拡散されていっている。もはや歯止めが効かない状況だ。

 流れていく情報の中には、「発売するのはアダルトゲーム」だとか「ゲームを通して日本国民を洗脳するプロジェクト」だとか、訳のわからないフェイクニュースも出回っていた。


「すぐに公式発表をした方が良さそうですね……」

「東京ゲームショウの情報も漏れている。そのことも一緒に言及しよう」

「……問題は技術流出されていないかどうかじゃな。他社にBMIの情報まで漏らされていたら、かなりマズイぞ。下手したら今までの苦労が水の泡じゃ」


 顔を突き合わせて、大急ぎで対応策を相談している3人。これからの開発のスケジュールにも影響が出ることは避けられなさそうだ。


 ネットニュースを改めてチェックする。開発状況などの情報もさることながら、BMIの写真が決定的だ。床に置いてある機材を撮った写真は、ぶれぶれで焦点もあっていなかった。犯人はおそらく急いで撮ったのだろう。


 じっくりと写真を注視していると、俺はBMIの他に写真に映っている見覚えのある物体を見つけた。


「これ、俺の座椅子だ……」

「なんだと?」

「ここに見切れている座椅子、俺のなんです。前につけたコーヒーのシミがある」

「本当だ……」 


 写真の右隅にいつもプレイ時に使う座椅子の一部が映っていた。そこに茶色くついたシミは間違いなく俺が無限増殖少女事件の時にこぼしたコーヒーのものだった。

 湯川さんが俺のスマホを覗き込んで、鋭い視線を送る。


「犯人はデバッグルームでこれを撮影したのか……」

「俺がこぼしたのは4月の初めです」

「犯人はその時期に写真を撮ったんだな。それなら犯人を特定できるかもしれない」


 そう言うと湯川さんはパソコンを操作して別のIDでログインした。デスクトップに貼り付けられているフォルダを開けて、中にあった動画ファイルを再生した。


 再生されているのはデバッグルームの室内だ。俺たちがクエストドアをプレイする様子が映し出されている。


「検証用に撮影している動画だ。人の動きがあるとセンサーが感知して自動的に録画されている。怪しい奴がいれば……」

「これで分かりますね!」

「俺も手伝います!」

「頼む」


 湯川さんの隣に座って撮影されている動画を手分けしてチェックする。

 花村さんとハルちゃんは公式発表の内容について対応している。フルダイブ型ゲームを開発中で東京ゲームショウで発表する予定ということと、クエストドアというゲーム名まで発表することになった。

 

「これでますます締め切りが破れなくなってしまったのう……」


 ハルちゃんが大きくため息をついた。

 9月に行われる東京ゲームショウまでに、なんとしてもクエストドアを形にしなければならない。特ダネのせいで今後の業務はますます苛烈かれつになりそうだ。


「これは連休明けから荒れるなぁ……」

 

 湯川さんの予想通り、連休明けからネオタアリ社は大騒ぎだった。ゴールデンウィークの与太話をする暇もなかった。

 鳴り響く電話の応対、ただでさえ遅れているスケジュールを取り戻そうとする人たちの悲鳴で、社内は敵の急襲を受けた塹壕ざんごうみたいになっていた。

 

 我々デバッグ部も緊急事態として、一旦プレイを中断して情報流出元の特定をすることになった。

 俺はサクラさんと手分けして動画のチェック。1ヶ月分もある動画を監視するのはかなり大変だった。映っているのはデバッグ部の他にも開発部やデザイン部、清掃業者や保険販売のおばちゃんなど沢山の人が出入りしていたが、カメラで撮影しているような怪しい動きをしている人はなかなか見つからなかった。


 怪しい、といえば大きな異変が連休明けに起こった。1人の社員が姿を現さなくなったのだ。電話も全くつながらない。


 それは俺もよく知っている人物だった。

 ノーランが連休明けから出社してこなかったのだ。




◇◇◇


 


「ダメです、繋がりませんね……」


 花村さんが困惑した表情で受話器を置く。

 情報流出騒動から一夜明けて、世間はフルダイブ型ゲームの発売で持ちきりだった。ネオタアリ社の前にも多くの報道陣が集まっていた。

 凄まじい熱狂で世界が一変したようだった。ネオタアリは突如として世間の注目を浴びる的となってしまった。


「いっぱい人がいるなぁ……」


 ビルの入り口の前に集まっている報道陣のせいで、お昼ご飯も食べに行けない。せっかく今日は来来軒で肉なしカレーを食べようと思ったのに。

 そんな非日常な状況だったが、未だに内部リークの犯人が見つからないことと、ノーランと連絡がつかないことは変わっていなかった。


 人数が揃わないと通しプレイができないので、俺たちは内部リークの犯人を見つけるために奔走していた。どこまでの情報が漏れているのかを確かめないと、今後の対策も立てることができない。

 

 ハルちゃんが動画をチェックしながら、画面越しのノーランを見つめている。


「電話もつながらない、家にもいない、これは完璧に黒じゃな」

「ま、まだ決まったわけでは……」


 そうは言ってみたものの俺にも確証が持てない。このタイミングでの失踪は疑われてもしょうがないと思う。

 

 でも、あのノーランが? 

 あんなに嬉しそうにゲームのことについて話していたのに。BMIのことだってあんなに一生懸命質問していたのに。


「今となってはそれも怪しいのう。情報を聞き出そうとしていたという可能性もある」

「どこからか送り込まれた企業スパイかもな。俺も信じたくはないが」


 湯川さんはそう言って机の下から1枚の紙を取り出した。

 それはノーランの署名が書かれた誓約書だった。『当社の機密を漏らした場合、懲戒解雇処分、相応の賠償請求を行う』と赤い文字がチラリと見えた。


「ちょっと行ってくるわ」

「ちょっと、どこに行くんですか?」


 封筒に誓約書を入れて出て行こうとした湯川さんを、花村さんが止める。彼女は不安そうな顔で湯川さんの前に立っていた。


「警察のところだよ。これ以上待っていてもしょうがない。法的な手段を取るしかない」

「まだ犯人と決まったわけでは……」

「そうだとしても、もう時間は無駄にはできない。すぐに欠員を補充しよう」


 厳しい言葉を言いながらも、湯川さんの顔は無念そうだった。

 湯川さんは花村さんを置いて、デバッグルームから出て行った。なすすべなく立ちすくむ彼女の瞳は、涙でうるんでいるように見えた。


 欠員の補充。それはノーランの解雇を意味する。新しい人員が来ると同時に、ノーランの椅子は無くなってしまうのだから。


「ヒカリ、こればっかりは仕方がないぞ。1人の社員より399人の社員の生活じゃ。ここで厳しい処罰をしなければ社員の皆だって納得しない」

「ノーランくん……」


 ハルちゃんの言葉に悔しそうな顔をしながら、花村さんは自分の席へと戻っていった。


 これで良いのだろうか。


 俺は以前、ノーランと交わした会話を思い出していた。『魔法少女☆アライズプリンセス』のことを嬉しそうに話していた時のこと。彼が最初からスパイだったとしたら、あの言葉も嘘ということになる。


『このゲームのおかげで日本語を覚えて、友達もできました。忘れられない思い出です』


 ……いや彼が犯人のはずはない。

 あんなに嬉しそうな目でゲームを語る人間が、ゲームを作る人間の苦労を踏みにじるようなことが出来るわけない。俺の知っている彼はそんな人間ではない。


 気がついた時には走り出していた。


「湯川さん、待ってください!!!」


 エレベーターのボタンを押した湯川さんに向かって叫ぶ。自分でも思った以上の大声が出た。封筒を持った湯川さんは怪訝けげんそうな顔で俺の方へ振り向いた。

 

 湯川さんを説得する根拠はない。ノーランがやっていないという証拠はない。


 でも俺はノーランを信じたい。


 嬉しそうに好きなゲームのことを語った彼を放っておけない。懸命にデバッグ作業をこなしていた彼の気持ちを無駄にできない。同じゲーム好きとして、彼と一緒に仕事がしたい。

 

 息を吸って気持ちを静めながら、湯川さんに語りかけた。


「ノーランは犯人じゃないと思います。彼はこの会社のことが好きでした。だからリークなんてするはずがないです」

「……俺もそう信じたいが、それをどうやって証明する?」


 ピン、と乾いた音がなってエレベーターが到着した。湯川さんは俺から目をそらして、エレベーターに乗り込んだ。慌てて扉を手で塞いで、エレベーターを無理やりこじ開ける。


「俺がノーランを見つけてみせます……!」

「見つける?」

「見つけて連れ戻します!」


 まっすぐ湯川さんの目を見つめて、そう言った。

 その言葉にも何の根拠も保証もない。


 でも出来ることがあるなら、最後まで諦めたくない。ノーランを見つけて連れ戻す、そしてノーランに真実を語らせる、証明するにはそれが1番手っ取り早い。

 

「……私も手伝います。ノーランさんを見つけて連れてきます」


 いつの間にか俺の後ろにはサクラさんが立っていた。サクラさんは湯川さんの方へとペコリと頭を下げた。俺を追いかけて走ってきたらしく、彼女の息は上がっていた。


「お前ら……」


 湯川さんは俺たちを交互に見た後、天井を見上げて1つため息をついた。そしてポケットからスマホを出して時間を確認した。


「今日1日だけだ。それ以上は待てない」


 そう言って湯川さんはエレベーターから降りた。俺たちの方を見て呆れたように肩をすくめた後、嬉しそうに湯川さんは微笑んだ。


「俺も手伝う。そこまで言ったからには絶対に見つけろよ」

「……ありがとうございます!!」

 

 封筒を抱えて歩き出す湯川さん。その後ろ姿を見て、サクラさんと俺はホッとため息をついた。


 とりあえず一安心だが、今日中にノーランを見つけなければ意味がない。ここからが正念場だ。


 こうして俺たちのノーラン捜索が始まった。

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