第31話 人らしく在るもの

「じゃあ、父さんに言われて……吾(わ)を作ったんか」

秘められた過去を聞き終えたマーリャの声は、複雑な心境を映すように静かだった。

その呟きにジョサイアは頷きを返す。

「蘇生させた、と言うべきかな。魂を移すのも定着させるのも不思議なくらい上手くいって……あの男は、産声をあげる君を大切に抱えて連れ帰った」

赤子はごく普通の人間として育て、成人の日に真実を明かすとユリアンは語っていた。村の人間だけでなく、実母のカミラにも言わずにいたらしい。

死産という結果を隠し、竜と混ざった存在を娘として扱うためにはやむを得なかったのかもしれない。

「そこまで関わりがあったなら、どうして村におらんかったん?」

「あの頃は揉め事が起きていたし、君たち家族と僕は側から見れば無関係の他人同士だ。秘密を共有するなら、同じ場所にはいない方が良い。もうユリアンをどうこうする気もなくなっていたから用がなくて、何年も放浪したよ」

対等な目線を持て、というユリアンの言に沿う気はなかったが、結果的には従う形になっていた。

人との接し方や柔らかい口調、人として正しいとされる行動を覚えていくにつれ、尽きないはずの恨みと怒りに虚しさを感じた。

それでも、ヴェアトの忘れ形見の結末を知るまではと思っていた。

「器と魂が合っていない以上、完全な融合は果たせない。いつ破綻がきて暴走してしまうか、僕にも分からない。せめてその時、君を庇うくらいはしたかった。でも、パルトラン家の男が早世したという噂は届いたけれど、何年経ってもリジー村で厄災が起きたという報せはなかった」

折を見て村に足を運んだジョサイアは、ヴェアトとーーユリアンの墓参りを行った。帰りしな、村の少女に声をかけられた。

〝あんた、神父か? 生憎やけど、ここにはもう人がおるよ〟

「名前を聞かなくても、あの時の子だとすぐに分かった。君は本当に、父親に似てる」

ユリアンと同じ癖のある黒髪に、ヴェアトより暗く濃い赤眼。柘榴石(ガーネット)を連想させるその色を見て、カーバンクルと呼んだ。

多くの命を救った伝説の船の灯火。燃える石炭の如き輝石。

「君は当たり前のように隣人を愛し、愛されていた。人間の社会に順応して生きていく気でいた。だったら、近くでそれを助けてあげたいと思った」

「……父さんの代わりに?」

「いや、そんな大層なものじゃない。罪滅ぼしにもならない、ただの自己満足だよ。どうにかできる保証もなかったからね」

身体の成長にともない、魂は竜としての本能に芽生えていった。髪や爪が自然と伸びていくように、マーリャの意識しない部分で肉体が変質し、元の姿を取り戻そうとした。

肌の赤いひび割れは鱗の形成であり、噛み合わなくなった歯は肉食の竜に備わる牙。

宿屋から出て宙に浮き、空を飛んだ感覚もまた夢ではなく、実際に飛行能力を得かけていたのだろう。

墜落を免れたのも、ジョサイアと会って引き留められたのも全て現実だったのだ。

「引き留めきれなかったし、せめて儀式が終わるまで保たせたかったけど、それも失敗させちゃって……ごめんね。力不足だった」

頭を下げる動作と共にマーリャのそばで膝をつき、動かなくなる。

急に押し黙ったジョサイアの意図が読めず、マーリャがわずかに身じろぐ程度でいると彼は困ったように顔を上げた。

「……噛まないのかい?」

「何で、そないなことせなあかんの」

「だって、話は終わったじゃないか。君に知らせておくべきことは全部伝えたし、秘密にしていたことも、もう何もない。僕を生かしておかなくてもいいはずだよ」

明るく、すらすらと淀みない語り口に反して、まるで危害を加えられるのが当然と言わんばかりの内容だった。

しかし、過去の彼の行動と結果を思えば驚くほどでもない。想いを寄せていたヴェアト以外の一切をーー自分のことさえも気に留めずに生きている。

緩慢な足運びや教会で見せた傷跡を見るに、竜への転身が果たせなくなった後も手指の麻痺や全身の負傷をろくに治してはいないのだ。

「あんた、本当に……執着せんのやね」

マーリャはため息混じりにジョサイアと視線を合わせる。

接するたび感じていた価値観のずれの正体を知ったせいか、そこはかとない恐怖心は薄れていた。

伝わるかどうかはさておき、今の自分が思ったことを伝えておこうと思った。

「人よりだいぶ長生きしとって疲れとるんやろし、竜の母さんとこに行きたいんかもしれんけど、吾(わ)はあんたを憎めん。殺そやなんて思わへんし、死んだら困るわ」

「何人も殺した悪人でも?」

「殺人やか盗みやか、確かに罪は重かろけど、それは吾が裁くことじゃなか」

マーリャの常識の定義はリジー村で培われた。

狭い村でも人同士のいさかいがないわけではなく、時として事件が起きる。そこですら、一方的な私刑で加害者を傷つける行為は許されていなかった。

「母さんを売買の道具にされて許せんかったんやろ。吾も同じ立場やったらきっと腹を立てた。そこを咎める気にはなれん」

たとえマーリャが人の姿のままであったとしても、人間たちの前にジョサイアを突き出したりはしない。

「確かなんは、あんたがおらんかったら吾は生まれてこれへんかったってことだけ。せやから、ありがとう」

境遇や状況の複雑さを抜きに、余分な部分を削ぎ落とすと純粋な感謝が残った。

ジョサイアはひどく驚いて目を見開き、何か言いたげに口を薄く開けては閉じる。

紫眼の表面が潤い、かすかに光ったように見えた直後、伏せがちな目じりから一筋の涙がこぼれた。

「ど、どうしたん?」

声をあげるわけでもなく、手で拭うような仕草もなく静かに泣く様子にマーリャが困惑していると、ジョサイアは軽く頭を振る。

「……ごめんね。悲しくないのに、止まらない、みたいで」

途切れ途切れの声も段々小さくなっていき、無理に口角を上げてみせるが、それもどこか痛々しく映った。

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