第29話 過去の影-4

ユリアンから受け取った竜の眼は魔力を抽出した後、ヴェアトの墓標に埋めた。

生き物に宿る魔力は血液に似ている。

死んで循環が止まった時や切り離されて供給が断たれた時、持ち主の身に留まりはするが、一度使ってしまえば後は単なる残骸でしかない。

それでも、彼女のもとに返したかった。

後は復讐を果たすだけだ。ユリアンの未練はジョサイアには関係がない。無視して、彼の思いを踏みにじっても良かった。

用のある生き物が全て居なくなれば、いよいよ生存する理由もなくなる。

しかしジョサイアは村に近寄らず、秘密裏に森に住み着いた。木々の種類や動物の差はあっても、エルフの森での生活とそう変わりない。

設置と解体がたやすい、遊牧民が寝起きに使うテントを参考に仮宿を作り、息を潜めて生きていた。

ヴェアトが心の中を占めていた時期も、ぽっかりと空いた欠落を憎悪で満たして動いていた時期も、自分の行動の結果や責任について考えてはいなかった。

ただ、復讐を果たした後の虚無感を自覚すると、連鎖的にヴェアトの子に関しての悔いが呼び起こされた。

契約相手の死により、抑圧を受けていた魔力は徐々に身を巡るようになっている。

託された以上、せめて誕生させてやりたかったが、安全な転身方法は結局思いつかずにいた。

孵化しておらず、自我の芽生えすらない嬰児の魂はひどく不安定だ。

血肉を集めて仔竜に組み上げようとしても、おそらく再形成するべき肉体の情報が足りずに崩壊する。

死霊術を使うために他の仔竜や卵を狙えば、ヴェアトを殺した者たちと同類になる。他の魂と混ざってしまえば、それはもはや別の存在だ。

子の魂の消滅に怯えて、どこにも出られない閉じた檻に収めたままでいる現状をヴェアトが知ればどう思うだろう。

生きても死んでもいない状態に追いやるくらいなら、卵の時に母と共に死なせてやるべきだったのではないか。

死の報いなど考えず、行動にも移さず、自分の死に場所もそこに定めればよかったのではないか。

独りで過ごす時間は長く、思考は一度として止まらなかった。

寝不足になれば気絶するように意識を失い、夢もまともに見ずに起きるのを繰り返した。

陰惨とした日々に変化を与えたのは標的であるはずのユリアンだった。

彼は日も明けきらない暗い時間に仮宿を訪れてきて、不審な物音に目覚めたジョサイアへ会釈してきた。

「エルフの家といったら浮世離れした形を想像していたが、いや、ずいぶんと地味だな」

地味という婉曲的な表現は目の前の仮宿にあまり似つかわしくない。

薄い獣の皮革と色染めをしていない安価な布地で構成されたテントは、最低限の実用に耐えうるだけのひどいものだ。

乾燥を防ぐ保革油(オイル)を使わず、布が破れても補修を行っていないため、余計に見栄えが悪くなっていた。

エルフに対して汚濁を嫌う清廉な印象を抱いている者は、間違いなく衝撃を受ける。

「同化の術を掛けていたはずだ。なぜ見抜けた?」

「座学ばかりだったが、多少、魔術の覚えがあるものでね。村人は気付かないだろうし、俺も口外はしないさ」

「……何の用だ?」

自分の命を狙っている者に会いに来るなど正気とは思えないうえ、殺される前に手を打つつもりなら、いくらでも他にやりようがある。

「用というほど大層なものじゃない。単に、君に興味がある。遠い地に住むはずのエルフが近隣にいるなど珍しいからな。冥土の土産に長命種の話を聞いておきたい」

声音こそ柔和だが、どこか有無を言わせない響きがあった。細めた目も少なからず不気味に映る。

「僕が話す必要がどこにある」

「放っといたら死ぬ気だろ、君。そういうのは寝覚めが悪いんだ。暇な奴が阻止しておかないとな」

「……は?」

急に建前のない素の言い回しを使われて、虚をつかれた反応を返すしかなかった。

言いたいことは漠然と理解できるものの話が飛躍している。

「初対面から気にはなってたんだが、いま会って確信したぞ。嫌いな相手が目の前にいるのに表情が動かない。それどころか緩慢に返答をする。ふざけるなと武器を取りに行こうともしない。怒るのも力がいるからな、そこまで気力がないのは一種の病だ」

上手く意図が伝わっていないと察したユリアンは軽く咳払いをして言葉を続けた。

「血まみれになってでも復讐を完遂するという決意があったなら少しは生きる気になれ。優しい妻と可愛い子供を残して君に殺される俺が気の毒だ」

ユリアンの推測通り、ジョサイアの殺意は虚無感に覆われて薄れつつある。

だが、それを一度会っただけの他人が理解して掘り下げようとするなど考えもしなかった。

暗殺者の今後を憂う標的など聞いたこともない。延命の嘆願をするでもなく単純に話を聞き出して、それで何の得があるのか分からない。

「どうなんだ、エルフ。復讐して、君に得はあったか?」

ジョサイアの戸惑いをよそに、青みがかった双眸が見据えてくる。

会話の主導を握る巧みさも悪意を感じさせない求心力も、おそらく天性の代物だろう。

不意に、問いに答えなければならないという思いが湧いた。自ら背負った肩の荷の重さを初めて自覚した。

「……何かを得るためにやった訳じゃない。やらなければ、もう生きている意味もなかった。この世で唯一、特別に思っていたものが失われた」

「例の眼の持ち主か。親しかったようだが、どんな関係だ?」

ジョサイアは少し返答に迷ったが、なるべく客観的な表現を選んだ。

「小さな頃に命を救われて、恩を返す対象だった。主従に近しい関係だったけれど、多少、友としての言葉を貰った。彼女も僕も同族と馴染めなかったから、哀れみと少しの庇護があった」

人間と長命種では捉え方が違うが、ヴェアトと面と向かって会話を交わしたのはほんの短い間だ。人間の世界であがいた年月の方がはるかに長い。

「どうしてそこまで竜に尽くそうとする。見返りが少なすぎやしないか」

「一方的な思いを寄せるのは楽だったし、恋をしている間は他の存在に目を向けずに済んだ。僕の方がヴェアトを利用していた。だから、あれで良かった」

自力で考えることがひどく苦手で、誰かに目的を提示されなければ何事も為せない者がいる。

側からすれば正常でない歪んだ指針に見えても、当人にとっては違った。

「エルフ。きっとそれは、恋じゃなかったよ」

統括するような一言は率直なぶん胸に刺さるものだった。

しかし暗い陰が降りたままの紫の目は、笑顔の形を作った。

「執着でも、偏愛でも、言い方次第じゃないか」

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