第25話 人喰い竜の真意

武器の類を何一つ持たずに口角を上げるジョサイアの思惑が掴めない。呪いに等しい祝福に強い苛立ちを覚えた。

骨格自体が変わり、蛇のように長くなった首を曲げなければ相手の顔すら伺いにくい。

「……見上げんと顔が分からんかったのに、今はあんたが小そう見える」

上下の牙の形が噛み合い、言葉を話すのは容易になっていた。口同様、声帯の形も前と異なっているはずだが、耳に届く声音は同じだった。

怯える人々の中に、ほんの数時間前まで接していた親友たちがいる。

頭では分かっていても身体の変化に思考や感覚が引きずられて、どんどん見分けがつかなくなっていく。

竜の眼には、人間が布を被った没個性的な動物に映っていた。

背丈は低いのにこちらに敵意を示し、理解出来る言語をうるさくがなりたてているのをうっとうしく感じてしまった。

腕や尾を少し振るうだけで、それらは弾き飛ばされて血だまりを作る。

しかしマーリャは、燃え盛る教会内部を少しでも鎮火しようと薄い皮膜のついた翼を羽ばたかせた。

ガラスが散り、出入り口の扉が開かれて火の手がわずかに弱まる。

風圧をもろに受けたジョサイアはふらついて片膝をつく。式服のベールが外れて、ひび割れた床に落ちた。髪を結ぶ紐がちぎれたのか、編み込みが解けて肩に垂れかかる。

それでも慈愛の目を向けてくる彼の底が知れない。マーリャは不気味に思った。

「自分は竜の餌にならんて思うとるんか?」

半ば脅すつもりで歯ぎしりを行い、ジョサイアの頭上で大口を開いた。

髪色や耳の長さで一応区別はつくが、頭や胴体を砕けば死ぬのは一緒だ。ひととき理性をなくせば終わる。

ジョサイアは間違いなく真相を知っていた。知りながら黙秘し、表向きは協力するふりをしていた。

恐怖を与えれば本音を漏らすかと見越したが、ジョサイアは殺傷力に優れた歯列を目の当たりにしても動じなかった。

「殺してくれるのかい?」

死を望む一言は嬉しい報せを聞いた時のように明るい。

命の軽視に胸が軋んだマーリャはあぎとを閉じ、ジョサイアを口内に押し入れた。

首根などの急所は傷つけず、あくまで口に含んだに過ぎなかったが遠巻きに見ていた人々はそう受け取らない。

教会に集った半数以上が命惜しさに逃げたが、残りは竜の存在を無視できずに火の及ばない地点に留まっていた。

「一人、喰われたぞ!」

人喰いマンイーターだ!」

誤解を解く術はなく、このまま狭く動きづらい場にいれば、いかに力の差があってもやられてしまう。

マーリャは脚で床を蹴って舞い上がり、煙で黒ずんだ曲面天井(ヴォールト)を体当たりで崩した。

眩しく暖かい昼の太陽を浴びながら翼を広げ、人里離れた地を目指して飛び立っていく。

「……なるほど。彼も、どうしようもない恋をしたものだ」

竜の化身と、竜に執着するエルフの謂れの端を知るクードレットが崩壊しかけた教会を見上げ、呆れたような独り言を漏らす。

だが、さほど長い時間ではなかった。

すぐさま身をひるがえして建物への立ち入りを禁じ、待機していた騎手へ怪我人を最優先で運ぶよう指示を出し始める。

領主の鶴の一声で我に帰った群衆は逃げた竜の行方を後回しにして対応を行い出した。

取り残されたように立ち尽くしているのはマーリャを知るリジー村の面々、特に幼馴染の二人だった。

「マーちゃん……」

セルマは燻されて痛む両目をこすりながら涙を流した。

目の前で起きた現象はとうてい信じられるものではなく、現実として受け止めづらい。

動けずにいる彼女を、腕に軽い火傷を負ったディアンが転ばないよう支えていた。


故郷へ戻れないと知りながらも、マーリャは無意識にリジー村の方角へ飛んでいた。

何十倍もの大きさに膨れ上がっていながら、もはや手足に違和感はない。本来なかったはずの翼も自在に扱えて、地を歩くより身が軽かった。

それでも一息に着くことは出来ず、山中の生い茂った森で不時着を余儀なくされた。口内に収めて連れてきたジョサイアをようやく吐き出す。

歯に引っ掛けたのか長過ぎる髪の一部が切れており、全身余さず唾液で濡れそぼっていた。

ややあって起き上がり、目立った負傷がないことを確認して息をつく男にマーリャは凄みを効かせる。

「知っとったんか。最初から、吾が人間やないて」

「うん。君をあそこに置いたのは僕だからね」

「せやったら、何で取り替え子チェンジリングの話をしたん?」

人間の一種のハーフエルフであった方が心の傷は少なかった。あの後、母親から生まれを聞いて深い安心を覚えていた。

間違いなくここにいていいのだと確信を得たのに、望まずして権利を捨てさせられた。

「血の繋がりを疑えば、人間に不信感を持って村を出るかと思った。そもそも、君があそこまで人間と関わって仲良くやれてるなんて予想してなかったんだ。何年経っても村が消えたって報せが届かないから見に行ったら、すっかり可愛い女の子になってるんだもん。驚いたよ」

たびたび人助けをしてきたジョサイアの発言とは思えないほど、マーリャの心象を軽んじている。けれど苛立ちは起こらない。

真実をごまかし、わざと不快な言い回しを使っている予感がした。

「……いま怒って、あんたを噛みちぎっても意味ない。あんたが息せんことなったら、吾(わ)は自分の正体も分からんまま生きてかんといけん。挑発には乗らん」

マーリャの手にかかることが彼の望みだとしても、叶えてやる道理はなかった。

あくまで冷静に問いただそうとするマーリャにジョサイアは力の抜けた苦笑を返す。

「君は聡いね」

推測が正しかったと察しながら、マーリャはなおも言葉を紡いだ。

「あん村に届けられたけ、吾は人間になろうやち願った。どっちつかずの化け物になった。産まれ損ないで悩まんとあかんくなった。こんな思いをするくらいやったら、捨てられた方がマシやったかもしれん。何で、吾が足掻くようにしてんか……」

「人を嫌って欲しかったのは本当だけれど、村に住み出してからは違う。君を願いを叶え、人として生かすために居た」

まともな答え方をされないと半ば諦めていたが、ジョサイアは意外なほどしっかりとした口調で返してきた。

「全て明かそう。君の母は愛しいヴェアト。僕の運命の女ファムファタルだった」

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