第19話 湯殿の密談

なだらかな波模様のある石材で築かれた大浴場は見渡せるほどの規模で、少なくとも三十人ほどが同時に入浴できていた。

時間帯のおかげか、芋洗いというほどには混んでいない。

マーリャたちは腕で胸や下肢を隠しつつ、端の方からおそるおそる乳白色の湯船に足を入れた。

絶えず流れ続ける大量の湯など初めてだったが、勢いに任せて全身を湯に浸し、暖かさに包まれると一気に気が緩む。

ごく自然に、大きなため息が漏れた。

「これだけの水を沸かせられるくらい石炭やら木やら、いっつも燃してんかなあ」

「ここのんは温泉言うて、遠くで沸いたすっごく熱い源泉を引いてきとるらしいよ」

セルマは早口な双子の説明をよくよく聞き取り、覚えていた。

アンギナムは都市の発展にあわせて人口が増えていったが、同時に処理が追いつかなくなり現在より衛生環境が悪化した暗黒時代があった。

何代か前の領主はその問題を解決するべく、長距離の水路や下水道の整備に努めた。建設そのものに相当な時間を費やしたが、その恩恵は今なお残るほど大きい。

もしも水場が整っていなければ、路地裏で見た惨状は都市全体に広がっていたに違いない。

「偉い人が賢いと、ええよねえ」

温泉がすっかり気に入った様子のセルマは締めの言葉を述べると、湯の中で大きく背伸びをした。

付近に火山がなく、扱える木材の量にも限りがあるリジー村では湯を使った入浴は浸透しないだろう。

村に帰ればもう、この心地良さは体験できない。

色のついた湯がひどく貴重なものに思えてきたマーリャは、意味もなく手のひらで少量をすくっては落とした。

子供じみたそれを何度か行なった後、ふと、セルマの視線がよそへ移っているのを知る。

「どうしたん?」

「栄養が違うんかなあ。それとも、あのコルセットいうんで縛るから細いんやろうか」

少し細まったヘーゼルの目には他の入浴客が映り込んでいた。

ごく幼い子供やその母親、しわの目立つ年配の姿もあるが、セルマは特に同年代ほどの女性たちを注視している。

編んだ長髪を布でくるみ、豊かな胸や引き締まった腰を隠そうともせず優雅に入浴を楽しむ様子は生活の質の高さを感じさせた。

かたわらに侍女と思しき人を侍らせているなら尚更だ。

手足に細かな傷跡があり日々、労働に勤しんでいそうな精悍な女性も肌質自体は美しく、体型が優れている。

「もっと立派な身体になっときたかったわ。したら、もっと……」

自分の胸元を見下ろしながらも、そこから先の思いは口に出されなかった。

農作業の最中にも髪や肌の手入れを欠かさず、美意識を高く保っていたセルマの言とは思えないほどの気弱さだ。

心情を全て察するのは不可能でも、マーリャは何か言葉をかけたくなった。

「……吾(わ)は、同い年やのにセルマの方がずっと大人に見えるなち思うとったよ。なにかと羨ましかってん」

黒髪に赤眼という見目を誰かに揶揄された経験はないが、セルマの暖色系の髪と目に憧れを抱いていた時期があった。

男のディアンほどではないにせよ、すんなりと伸びていく彼女の背に追いつこうと影でムダな努力もしていた。

狭い村で育つ上で、幼馴染は家族の次に長く付き合う特殊な立ち位置だ。一人っ子であればなおさら、その存在は大きかった。

しかしセルマは、意外なほどあっさりと笑い飛ばしてくる。

「そんなん勿体無いよ。うちよりマーちゃんの方がモテとったし」

「えっ?」

深刻な悩みの片鱗を覗いていたはずが、急激に世俗めいた話題に切り替わった。

「美人やし、真面目で落ち着いとるんがええて。お嫁にもらいたいって年上からも年下からもよう聞いた。でも高嶺の花やって、うちに仲介役やってもらえへんかち聞いてくるん。直接言えんなんて不誠実やけ、うち何度か怒ってしもたわ」

単なるお世辞ではない証左(しょうさ)に、ごめんねと謝罪を混じえてくる。予想外のことにマーリャは面食らう他ない。

多弁な幼馴染と比べて喋るのが不得意で、聞き手に回ってばかりの自分をそんなふうに捉える人がいるなど考えもしなかった。

相手を導き、引っ張って行ける気丈な人の方がよほど希少で魅力的に思える。

無口でいたら、どう接していいか悩むばかりではないか。

人気の基準が腑に落ちず、マーリャが難しい表情で返す言葉に詰まっていると、なぜかセルマまで似通った顔になった。

「マーちゃんはジョサイアさんを好いとうけ、他の人なんて困るとやろ?」

思いつきにしては妙に確信をもった響きだ。

いきなり振られた名前にマーリャは心底驚いてしまい、身を隠すものもないまま立ち上がる。

「そ、そんなん思うてないよ! 病気やら旅に詳しいけ、よう話を聞いたくらいで……そういうんとは違う!」

周りにしぶきがかかるのも気にしていられず、首を何度も横に振った。

揺らし過ぎたせいか話し込んでいる間に湯あたりを起こしていたのか、少なからず目眩がする。一度、水飲み場で涼むべきだ。

「頼りにしとるんやない?」

「しとらんって!」

湯から上がるのを手助けされながらも、更に畳み掛けられてついムキになる。

どうして必要以上に声を張りたくなるのか、根本的な理由はマーリャ自身にもよく分からなかった。


同時刻、男湯。

垢擦り部屋から出てこなくなったダーチェスをよそに、ジョサイアとディアンは揃って湯に浸かっていた。

広さも造りも女湯と同一で、こちら側だけの特別な変化はない。向こうの声が漏れ聞こえるようなこともなかった。

「お湯に浸かるって、やっぱりいいね」

頭上に畳んだ布を乗せたジョサイアが独り言めいた感嘆の声をあげる。

量の多い金髪を後頭部で上手くまとめてあり、肩幅や首の太さはあれど一見女性めいていた。

遠目で後ろ姿のみを見て、勘違いして慌てている客もちらほらといた。

周囲はきわめて穏やかな空気をかもし出しすなか、ディアンだけは眉にしわを寄せた厳しい表情でいる。

ジョサイアはそれに気を留めたふうでもなく、ある木製の扉へ人差し指を向けた。

「あそこで頼んだらおひげとか髪の毛も切ってくれるんだよ。全部すっきりして帰れるんだ。僕は伸ばしてるから行ったことはないんだけどね」

「……せやったら、俺も気を晴らしてから帰るわ」

あたかも同調したような言い回しだったが、ディアンは湯から出ずジョサイアに向き直った。

他の客がいるものの武器の類は持ち込めず、邪魔が入りにくいこの場所でなら長く抱えていた疑念を突きつけられる。

エルフであることを差し引いても、ジョサイアはどうもーー神父、聖職者らしさが薄い。

多彩な薬学の知識から村人の信用を得た彼を、ディアンはどうにも信じきれずにいた。

早朝、教会で像へ祈りを捧げて聖書をそらんじる日常的な礼拝の時間。皆が一様に目を伏せるなか、近くで羽虫が飛び、ディアンのみが頭を上げたことがあった。

像の真横に佇んでいながら、ジョサイアは神ではなくマーリャの方をじっと見ていた。

席が遠く詳しい表情までは掴めなかったが、なぜそうするのか分からず不気味に思ってならなかった。

馬車に同席すると決まってからは、より気が休まらなくなった。

「あんたが治したっちゅう、マーリャの病気……ほんまに治っとるんか?」

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