第22話 誰よりも愛おしい兄へ


 兄は偉大だった。


 物心ついた時から兄は完全没入型VRゲームにのめり込んでいた。それと一緒になって、私も兄と色々な世界で遊んだ。二人で夢中になった。でもある時、ブレイドダンス・スフィアというゲームがリリースされてから……私たちの関係は大きく変わることになる。


「お兄ちゃん強いね!」

「有紗もなかなかだぞ?」


 BDSは初めはお遊びだった。子どもが木の棒でチャンバラをする……それの延長のようなものだった。でもこの世界はあまりにもリアルすぎて、そして競技性が高すぎた。兄は瞬く間に才能を発揮して、小学生ながら設立されたばかりのアマチュアリーグに入った。


 私はその時は別にBDSをプレイヤーとして続ける気は無かった。兄を応援できればそれでいい。その想いだけが私と言う人間の全てだった。



「すごい! また勝った!!」


 兄はアマチュアリーグで連戦連勝。瞬く間にブロンズ、シルバー、ゴールドリーグを突破してとうとうプラチナリーグにまで行った。


 嬉しかった。兄が勝つたびに私は兄と同じぐらい喜んだ。いつも勝つと、こちらに向かって手を振ってくれる兄が大好きだった。


「お兄ちゃん! また勝ったね! プロになれそうだね!」

「有紗の応援のおかげだ。ありがとう、いつも応援に来てくれて」

「うん! 私ね、ずっとお兄ちゃんのこと追いかけるね。ファン第一号は私だよ!」

「お、サインでもいるか?」

「ちょうだい!」


 そこらへんにあったノートに兄はサインを書いた。それはサインというよりも署名だったが、それでも良かった。両親が家にあまりいない、そんな私たちの絆はBDSで繋がれていた。


 でもある時を気に兄は徐々にその心を病んでいった。


「お兄ちゃん、大丈夫?」

「あぁ……大丈夫だ。俺は強い、俺は……誰にも負けない」

「……」


 兄は強い。それは間違いない事実だった。でもそれ以上に私は怖かった。兄は徐々に負けることに対してものすごい怒りを覚えるようになった。


 負けない。負けるわけがない。


 俺は……最強だ、と譫言うわごとのように呟いていた。


 そしてターニングポイントはやって来た。


「お前に何がわかる!? あの世界で戦ったことがあるのか!? 負けられないプレッシャーの中で勝つという意味がわかるのか!? いつも、いつも、いつも、いつも、いつも、いつも、いつも、いつも、脳天気に応援すれば俺が満足するとでも思っているんのか!? あぁ!!? ふざけるな!! 俺の剣は毎日鈍る。ずっと、ずっとあの時の感覚を求めているのに……徐々に遅くなって行く、その苦しみがお前にわかるのか!!? 負けることの怖さを、あの頂点に居続けることの怖さをお前は知っているのか!!? 有紗、お前に分かるのかッ!! なぁッ!!! 答えてみろよッ!! なぁ!!!?」



 その言葉を聞いて私はショックだった。でもそれは兄の言葉遣いでもなく、私に当たっていることでもなく、兄を理解できない妹の自分を恥じた。兆候はあった。気がつかないふりをしていた。兄はスーパースターで、BDS最強のプレイヤーなのだと思い込んでいた。いや、今でも兄は史上最強のプレイヤーだと思っている。でもその心は鉄で出来ているわけではない。だから私は思った……兄と同じ場所に立つ必要があると。そうしなければ……私はまた同じ過ちを繰り返す。



「はぁ……はぁ……はぁ……」


 兄は脳機能の問題と心の問題で引退を余儀なくされた。私は何も言わなかった。慰めることもしなかった。ただ、いつものように過ごした。普通の兄妹のように振る舞った。


 その一方で私はBDSでプレイヤーとしての活動を始めていた。


「兄さん……」


 ぼそりと呟く。私には才能がなかった。兄のような途方もない才能はなかった。だから努力を重ねた。毎日毎日繰り返した。基本動作を繰り返し、剣技とスキルのツリーを少しずつ解放していった。もちろん参考にするのは兄だ。兄の試合映像が私の教師であり先生だった。


 兄ならどうする? いや……レイならどうする?


 そのことばかりが頭を支配していた。兄ならこの場面はこうする。兄ならこの場面はこうしない。その全てを自分の身体に灼きつけた。才能がないなら、兄のようになれないなら、なれるように努力を重ねるしかない。そうじゃないと、また兄さんを一人にしてしまう。


 そんな想いを募らせて、私は2年間懸命に努力してある時……その花が咲いた。


「これは……?」


 自分のステータスを開いて、『新規剣技獲得』というポップアップが出ていることに気がついた。それを見ると……信じられないものがあった。


『秘剣、紫電一閃獲得』。


「私が……秘剣?」


 解放条件は知らなかった。でも剣技を10段階解放した先にあるという秘剣を私はある日手に入れていた。もちろんその時は喜んだ。今はアマチュアリーグでもやっとプラチナリーグまで食い込み、もう少しでプロになれるのだ。新しい技、それも兄の代名詞である秘剣を手にいれて嬉しくないわけがない。


 でも……私はその秘剣の恐ろしさを知ることになる。


「なによこれ……これが本当に秘剣?」


 試し斬りをして見ると、予想外のスピードに体がついてこないことがわかった。体はゲームによるアシストで動くが、アシストは所詮アシストでしかない。自分のものにするのとはわけが違うのだ。刀を振るっているのではなく、刀に振るわれている感覚とでも言えば適切かもしれない。BDSには強い剣技やスキルがあるが、やはりそれは使い手次第なのだ。どれほど強い技を持っていても、使い手がそれを巧く使えなければ意味がない。


 兄はこれを完全に自分のものにしていた。やはり、私の兄さんは偉大だと痛感すると共に、私はさらに練習を重ねた。兄の紫電一閃の映像を何千回と見てその所作を真似た。すると……やっと馴染んで来たのか、まともに振れるようになっていた。


 私は兄に、レイになれるかもしれない。微かな希望が見えたのは、その時が初めてだった。あの遥か先にある高みに、少しだけ手が届いた気がした。


 私の翼は、もしかしたら兄の高みへと導いてくれるのかもしれない。



 ◇



「ねぇ有紗ちゃん、気になってたけど……最近妙に嬉しそうじゃない?」

「そう?」

「うん。なんかいつもはクールなのに、最近は妙にニコニコしてるから」


 菖蒲ちゃんと一緒にお弁当を食べながらそんなことを話した。彼女は中学生になった時からの友達だけど、すごい気があって今は親友と呼べる仲になっている。


「実はね……私、BDSやってるの。それで上手くなって来たから、嬉しくて」

「へぇ〜、やってるってことはVReスポーツとしてやってるの?」

「うん」

「名前は」

「えっと、アリーシャで……」

「うーんと、アリーシャ、アリーシャっと……え?」

「どうしたの?」

「なんかアマチュアだけど、プラチナリーグ所属って書いてあるんだけど……それにプロ昇格圏内って……」

「実はね、私の兄さんはレイなの。その影響で始めたって感じかな」

「……ちょっと待って。レイってあのレイ?」

「うん」

「世界大会三連覇して、確かランクもずっと一位だったあの?」

「うん」

「……まじかー。あの先輩がレイなのかー」

「ふふ。意外でしょ?」

「先輩はちょっとトラウマでも抱えてるのかなぁ〜って思ってたけど、まさかあのレイだったなんて……」

「兄さんはすごいの。とっても、とってもすごいの」

「聞かせてくれる?」

「うん……!」


 それから私は菖蒲ちゃんに話した。いかに兄が偉大で、そして素晴らしいプレイヤーだったのかを。


 もうすぐだ。私はもうすぐたどり着ける。兄と同じ、あの煌めいている剣戟の世界に。


 兄を追い詰めた憎い世界。でもそれと同時に、私は兄をあそこまで輝かせた剣戟の世界に魅了されていた。でもBDSではレイの名前をもう過去のものと考えている人もいる。それは……許せなかった。兄はまだ、レイの名前はまだ、風化していいものではない。レイの偉大さを、世界はもっと知るべきなのだ。


 願わくば……私も兄のように、成れますように……。

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