同居人は迷探偵~機械探偵ホームズ

杉浦ヒナタ

1章 機械探偵ホームズ(前編)

第1話 ベーカー街221番地B

「やあ、初めまして。ぼくがシャーロック・ホームズです」

 差し出された手は硬く、ひんやりとしていた。

 ベーカー街221番地Bのこの部屋で、私の同居人となる男だった。


 そういえば部屋を借りる時に世話になった友人は、この同居人について困惑顔で言っていた。

「悪い奴ではないのだが、ちょっと変わっているというか……。そうだな、例えれば精密機械の様な、と言うべきかな」

 私は大きくため息をついた。


 シャーロック・ホームズと名乗ったその男は、部屋の中だというのにインバネスコートと鹿撃ち帽という格好で、パイプを咥えている。

 私は彼の顔を凝視したが、全く表情は覗えなかった。

 それはそうだ。

 彼は金属製の躯躰くたいと、トンボの複眼のような両眼を持っていた。

 そして彼が動く度に、身体のどこかで歯車が軋み、蒸気の漏れる音がしている。

『機械のよう』ではなく、機械だった。


「あ、ああ。わたしはワトソンという。よろしく頼むよ、ホームズ」

 動揺を押し殺し、やっとそれだけ言ったが、よほど間抜けな顔をしていただろう。


 大きな音をたて、窓の下を馬車が通り過ぎて行った。


 ふと私はソファの後ろにしゃがみ込んでいる人影に気付いた。

「ところで、君は誰だ?」

 女学生姿の小柄な女の子だった。銀色の箱を手に持っている。

 そこで気付いた。どうやら、箱から出ている二本のレバーを前後に動かすと、ホームズが歩いたり喋ったりするらしい。


「え、あなたには私が見えるんですか?」

 見えないと考える理由が分らない。私は眉間を押さえた。

 そうですか、少女は諦めたように前に出てきた。


「わたしは、フロリー・ハドソン。この下宿の管理人です」

 ずいぶん若い……大家さんだった。

 この間、母の後を継いだので、と彼女はそばかすの浮いた顔で、ぎこちなく微笑んだ。

「よろしくお願いします、ワトソンさん」


 ☆


「じ、じゃあ、お茶用意しますから」

 フロリーさんはそそくさと部屋を出て行き、私と人型機械が残された。

 大人しくソファに腰掛けていたホームズが、首だけをこっちに向けた。フクロウみたいで、なんだか気持ち悪い。

「行ったようだな。ワトソンくん」

「は、はあっ?」

 喋ったぞ。勝手に。しかも馴れ馴れしいし。機械のくせに。


「実のところ、あの娘に付き合うのも大変なのだよ」

 そう言って、肩をゴキゴキ、と鳴らすと、大きくタバコの煙を吐き出した。

 なんだ、やはり中に人が入っていたのか。私は安心した。それはそうだな。


「勘違いしないでくれたまえ。ぼくは見ての通りの機械だからね。ただ、あの娘に操作してもらう必要はないと云うことさ」

 どういう意味だ。

「このぼくは、彼女が造ったときのままでは無いのでね」

 あいつは天才なんだよ。紫煙の輪を吐き出してホームズは言った。

「多分、偶然ではあるのだろうが、自己増殖型の人工頭脳を造り上げてしまったのさ」

 いやいや。本当に何を言っているのか、さっぱり分らないのだけれど。


「まあ細かいことはいい。ぼくはここで探偵を始めようと思うんだ。機械も自立しなければならない時代になっていくだろうからね」

 そこで、とホームズは複眼を私に向けた。

「ワトソンくん。君には、ぼくの助手になって欲しいんだ」


 これが世紀末という事なのか。十九世紀も間もなく終わろうとしていることを、私は実感した。


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