7.外出許可

 外出許可が欲しい。一年以上引きこもり状態だった息子がおずおずと申し出てきた。


 時刻は午前零時。既に息子は床に就いているだろう。夕食時を思い出し、母親は戸惑いと喜びの入り混じった感情を覚えていた。比率としては戸惑いのほうが大きい。

「どうしましょうか」

 伺うように夫を、息子の父親を見る。彼は腕を組みうなっている。

「うーん。普通だったら保健室登校から、とか。まずは学校に行かせるな、たぶん。不登校状態なのに外に出すっていうのは色々問題あるよな……」

 そう、律の言う『外出』には学校は含まれていない。そのことが彼の両親の頭を悩ませていた。しかしずっと引きこもっていた息子が自分から外に出たいと言い出したのだ、無下に扱いたくない気持ちも当然あった。

「俺としては、できれば律の意思を尊重してやりたいとは思ってる。ただ、な」

 ある種の信念を持っているかのように頑なに外出を拒んでいた息子が、突然外に出ると言い出した。そのきっかけを考えると、両親は手放しには喜べなかった。

「やっぱり村瀬さんのことが影響しているのかしら……」

「……君のせいじゃないさ」

 言った母親も、聞いた父親も、一様に悲しげな表情を浮かべる。


 両親とも、若いながらも親身に、熱意を持って息子に接してくれる皐月を大変慕っていた。彼女の死は両親にも大きなショックを与えた。

 皐月の訃報はあの事故の翌日に届いた。律のもとへ向かっていた彼女は、路地でスピードを出しカーブを曲がりきれなかった乗用車と、激突したブロック塀の間に挟まれた。ほぼ即死だったそうだ。

 訃報を受けたのは母親だった。皐月の死が息子にどれほどの影響を与えるのか、そんなことを考える余裕もなく、蒼白になりながらもその事実を息子に伝えた。皐月の死を知ったとき、息子はどんな表情をしていたか思い出せなかった。今思えば、家庭の事情で引っ越したなど方便を使えばよかったかも知れない。それだけ余裕がなかったということだが、母親は今更ながら自分の短慮を呪った。

 一方で、通夜での息子の様子は両親の印象に強く残っていた。そもそも両親は引きこもりの彼は家で待っているものだと思っていたのだが、自分から一緒に行くと言ってきた。斎場では泣き喚いたり顔を伏せたりすることもなく、椅子に腰掛けたままじっと待ち、淡々と焼香を行った。自分の息子ながら、少々不気味なほどに冷静だった。時折あらぬ方向へ向けられる視線が皐月の姿を探しているようで、いたたまれない気持ちになった。


 機械的に別の人物を雇うことに、律の気持ちを考えても、また両親自身も抵抗があった。皐月の後任が見つかるまでは、自主学習を進めながら、カウンセラーの定期診断を受ける形をとっていた。

 父親がぽつり、ぽつりと言葉を紡いでいく。

「……村瀬さんのことは本当に残念だった。彼女なら、律をまた学校へ通わせてくれたんじゃないかと思っていた。だが生きている俺たちは、悲しくても、切り替えていかなければいけない。亡くなった人とはもう会えないし、話せないからな……案外律も、そう思って変わろうとしているのかもしれないな」

「……そうね。村瀬さんのためにも、努力しているのかも」

 あれだけ慕っていた人の死を乗り越えようと健気な努力をする息子を想像して、両親は胸を痛めた。息子の精神こころが既に壊れかけていることなど、彼らは露程も思っていなかった。


 *


 両親から外出許可が下りた。

 自分たちが許可しても他人はそうはいかない。無用なトラブルを避けるためにも、土、日、祝日の日中のみに限るという条件であり、律もそれに同意した。

 さらに、もし何らかの原因で帰宅が遅れそうな場合必ず連絡をすること、また両親からの連絡にはすぐに対応することなども約束した。不登校の息子を外出させるのだ、ある意味当然だろう。本来なら両親のどちらかが付き添う場合に限る、なんて条件が付いていてもおかしくはないのだ。寛容とも放任ともとれる措置に不満はなかった。

「随分ゆるい条件じゃない? それだけ信頼されてるのね」

「……その信頼を裏切らないようにしないとな」

「それはきみ次第ね」

 微笑む皐月に苦笑で応えながら、律は目の前に視線を向ける。そこには玄関の扉があった。物言わず鎮座するそれは、重々しく大きな存在感を放っている。

 あの事故の日もそこを通った律だが、意気込みは大きく異なっていた。今回は明確な『外出』だ。家の傍の通りへちょっと様子を見に行くのとはわけが違った。

「……行ってきます!」

 既に母親には外出を告げてある。しかし自らを鼓舞するために、律は再度居間の方へ声を掛けた。

 そして額に滲み出た脂汗を袖で拭い、扉に手をかけた。

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