怪談五、六:謎の輪ゴム

11. 一人称で書いても結局語り手に離人感が出ちゃうんだよね俺




「うっわ、ゴミトコ」


 不注意ふちゅういな男子の一人が食後のひまつぶしに教室をうろついて、けんちん汁をすする友達のトッコの肩にぶつかり、いやみっぽく呟いた時。


 ユキエはキレた。


「……」


「な、何だよ?」


 無言むごんで席から立ち上がり、その男子を睨みつける。

 はしを机に投げ捨てカランと音が響き、正月ボケを引きっていたお昼の教室がピキリときしんだ。


「ゆ、ユキちゃ……」


 トッコが大きい目をしばたたかせて戸惑っている。どもる口元は男子がぶつかった時こぼれた汁で濡れていた。


 ユキエは怒りで満杯まんぱいの頭で、事態じたいをどうすべきで、その為にはどう言えばいいのか必死に考え、口を開く。


「何その態度たいど


 それはやっぱりクラスでの彼女の不愛想ぶあいそう印象いんしょうのまま、キツく喧嘩腰けんかごしな言い方になった。


「は?」


 相手も気色けしきばむ。それほど強情ごうじょうな者ではないが、舐めている相手を舐めただけなのにとがめられると、舐められた気がする。瞬発しゅんぱつ的な反応だ。


「人にぶつかっておいて……ふざけてる!」


「うるせーなお前」


 ユキエは困った。おびえたのではなく、面倒なことになったと感じている。ただでさえ口下手くちべたなのに相手は強硬きょうこうだし、クラスの連中は興味津々きょうみしんしん横槍よこやりが入るかもしれない。


 同じく困り顔のトッコの白い顎からにごったつゆ一滴いってきつたってワイシャツをよごす。

 自分が立ち上がらねば、伝う前に拭き取れていたはずだ。


 ユキエの心に後悔こうかいが湧き出す。

 同時に、普段ならこうはならない、と違和感も抱いた。


 普段ならこうなる前に――。


 そう思って対面の机のミハルを見ると、どこかをぼけっとながめている。

 ユキエの視線に気付くと、幼馴染は騒ぎに一瞬目を丸くしたが、すぐに男子に向かっておだやかに呼びかけた。


「ヤジマくん」


「んだよ」


そで、汁でみが」


 言うやいなやミハルは男子に駆け寄り、取り出したハンカチを彼のシャツの右袖に当てた。


「え? 嘘」


「ちょっとだけね」


 拭き取りながら男子を見上げるミハルは本気で心配しているように見える。

 一方の男子はされるがまま。異性いせいに触れられる緊張きんちょうと、幼子おさなごのように丹念たんねんに世話される気恥きはずかしさで身動みうごきが取れない。


 本当に染みがあるかどうかは怪しい。が、相対あいたいしていたユキエも、本人さえ確認していなかった。


「はい取れた。でも、ぶつかっちゃ危ないよ?」


「あ、ああ、悪い、悪い……」


 男子はばつが悪そうにミハルやユキエ、そしてトッコと視線をさまよわせ、うわ言のように謝った。


 それで落着らくちゃくとばかりに男子はその場を離れ、周囲の視線も無くなる。

 ミハルは今度はトッコに声を掛け口元を拭きに行った。


 後にはユキエの納得なっとくいかなさだけが残されたが、形式的けいしきてき謝罪しゃざいでも多少は溜飲りゅういんは下がってしまう。


 いつもどおりだ。

 いつもどおりにミハルにやりこめられてしまった。


 いや、でも、とユキエは思う。

 普段は彼女が事を荒立あらだてることさえふせがれてきた。

 特にここ一年は過敏かびんだと感じるほどに。


 どうして?

 最近ちょっと変とは思っていたけど……。


 ユキエは席に着き、幼馴染がずっと見ていた方をこっそりのぞく。


 そして彼女は、いつもうるさい女子のれ――彼女にとっては――にまぎれて、まわしいフジモリマナが教室に復帰ふっきしていることを初めて知った。







「休み中フジモリさんと仲良くなれたんだね、すごいじゃない!」


 アルガ先生はボクの話を聞いてから、そう褒めてくれた。


「え、そうなんでしょうか……わかりません」


「ううん、前はまるで解けない問題みたいに彼女のことを話していたもの。今はちゃんとクラスの友達のことを話せてる」


「はい……」


 先生は安心したように息を吐くと机に向き合う。机の上にはたくさんの書類や部活の関係か丸めた画用紙がようし卓上たくじょうカレンダーにはたくさんの書き込み。放課後の国研は他にも先生が二人いて、そちらもいそがしそうに事務じむ作業さぎょう中だ。


 あまり仕事の邪魔したくはないのだけど。


「でも、フジモリさんはやっぱりまだ何か抱えていると思うんです」


 言いながらハルカちゃんの顔が頭を過る。


「そうかなあ。教室でも問題なく打ち解けていたし、モロズミさんなら幾らでもリカバーできると思うよ。今日のお昼も助かったし」


 先生は改めてこちらを向き、ボクをまっすぐ見つめ微笑む。


「モロズミさんの誰とでも仲良くしようするところはとてもいいことだからね。大人になってからとても大事。貴方あなたは今、勉強より大事なことを学んでいるの。いっぱい悩んで、できる限りのことをすればいいから」


「ありがとうございます」


 はげましてくれるのは嬉しい。

 だけど、マナちゃんを止める為には先生の協力も必要だ。

 ボクは覚悟かくごを決め、ずっと組んでいた両手の指を解き、拳を握る。


「先生、実は」


 その時、後ろからガララと扉の開く音がした。

 振り向くと、通学カバンを背負ったソコツネさんが立っていた。


「おっと、もういいかな?」


「あ、はい」


 間が悪い。

 ボクは軽く頭を下げ、そそくさとその場を後にする。


「ソコツネさん、実はね……」


 先生の声量せいりょうはすぐにしぼられ、内容はわからない。


 すれ違いざま、ソコツネさんからは温泉かで卵みたいなにおいがした。







 国研を出たボクは女子トイレの個室に入った。

 タイルの壁にもたれ、スマホを出してツイッターを開く。


 目標もくひょうのアカウントを見る為だ。



teilor

@HfuTsmZ2HGAiHTD

イラスト/サックス/ヒロアカ/伊東歌詞太郎/まふまふ/ウォルピス



 teilorテイラー絵師えしで、楽器をたしなみ、歌い手好きで、ソコツネクラスタの重鎮じゅうちんだ。


 画力がりょくを活かしてソコツネさん㊙情報のツイートをイラスト化してRTをかせぎ、クラスタの考えたにも引用RTで辛口からくちコメントするなど界隈かいわいで発言力を高めた。

 ついには㊙情報とリプで頻繁ひんぱんにやりとりしながら、現実で起きたことまで操作そうさしていたような口振くちぶりをし始めている。



teilor@HfuTsmZ2HGAiHTD

今朝のは「靴よりシャツにやった方が面白い」って言ったんだけどなあ



 こんな具合ぐあいに。

 ボクとうーみんさんはクラスタへの潜入をあきらめ、情報提供者じょうほうていきょうしゃを作る方針に切り替えた。クラスタの実働部隊じつどうぶたいから先に進むにはどうしてもしなければならなかったからだ。それではボクの顔がれてしまう。


 teilorをターゲットにしたのは、よくソコツネさんの名義で教室の掲示板けいじばんに脳の出た牛とか解剖かいぼうされたゴキブリの絵を貼っているからだ。絵柄を見ればすぐわかる。

 この絵を貼っているところを確保かくほし、で㊙情報に迫る――そういう作戦だ。


 お昼からteilorの新規ツイートは無し。

 ソコツネさんが帰ったら、もう一度先生に相談にしに行こうか。でも失礼かもしれないし……明日にして図書室のユキ達と合流しようか。


 そう悩んでいるとドアがノック。


「トントン、ここWi-Fi飛んでんな?」


 マナちゃんの声。

 スマホを取り落としかける。


「つつ、使ってないよWi-Fi!」


 変な返事に彼女はクスクス笑い、早く出てきなよ、と言うのでしぶしぶ出た。

 今日も彼女はマスクの奥からニヤニヤしている。


「何でここにいるって」


「マナは放課後一番にアルガさんに呼ばれて、去り際にミハルちゃんがコソコソやってくるのを見てね。待ってたわけ」


 ボクを、わざわざ?

 さっと身構える。


 確かに彼女とは大分仲良くなった。それは本当。

 でも、信用はできない。


 ここ数日、ソコツネクラスタの間でコイトさんの失踪が話題になっている。びじんきょくでヤクザにさらわれたとか、ソコツネさんに食われたとか、適当だけど場所は必ず『マタイ塚で』だ。

 ハラダもそうだ。五限の前にはもう『呪われて消えた』と噂になっていた。爪に傷がつき、草が生えて消えた、と。


 マナちゃんが広めているのだ。

 理由はわからないけど、意図的に話をいじって。


 ボクの反応は彼女を喜ばせたようで、うんうんと頷いてから口を開いた。


「新しいが入ったんだ」


「……どんなの?」


 マナちゃんは後ろ手を組んでっくり返り、壁に背中のカバンを押し当てる。


「今度は“妖怪ようかい”ね」


 と言って、話し始めた。


 話し終わると期待を含んだ目でボクの顔を眺め回す。


「どう、ミハルちゃん。これ怖い?」


「あんまり……」


 正直な感想を言うと、彼女はブーとうなる。


「えーつまんない。いつものリアクション芸見せて」


「あの、ボクはそこまで怖がりじゃないよ」


「嘘。いつもスゴイ顔してピョーンって飛び上がってんだから、かわいい」


 そんなはずない……多分。

 反論するより先にマナちゃんはボクの手を掴み、出口の方に引っ張りだす。


「その顔見たいから、今から探しに行こうよ!」


 完全に彼女のペースだ。

 今日はユキ達を優先ゆうせんするって決めてたのに。

 扉を開ける彼女を立ち止まらせたくて踏ん張る。


「ちょ、ちょっと待って!」


「え?」


 振り向いたマナちゃんより先に衝撃的なものがボクの目に入る。


「ミハル」


 ツヤのある髪を一つ結びで肩に垂らし、やっと松葉杖がとれて自由に歩けると今朝喜んでいた幼馴染。 

 ユキだ。


 うっ。


「あ、あ、あの……どうしたの?」


 マナちゃんから手を放しユキの近くに行く。

 ユキは一歩下がり、ボクから距離を置いた。


「先生のとこ行って長いな、と思って。気になった」


「そう。もう終わったよ」


 ボクはマナちゃんの方を向く。


「今日はユキ達と勉強する約束があるんだ」


 マナちゃんはさっきまでとは別の種類の笑顔でボクらを見てから口を開く。


「ハハ、また明日ね」


 そう言ってその場から去って行った。


 マナちゃんが角を曲がって姿が見えなくなると、ボクが何か言うより先にユキはボクの両肩を掴んで、じっとする。

 しばらくお互い黙って見つめ合ってから、ユキはボクに質問をした。


「あいつに何かされてるの?」


「違う。 ……かもしれない」


 自分でもわけわからない返答。

 ユキはそれ以外は何も聞かなかった。







 パィン。


 後ろから弾かれたゴムが何かに当たる音。


 二限数学の授業中、ユキエはその気の散る騒音そうおんともう一つの問題に頭を悩ませている。

 小テストの問題ではない、とっくに解き終わっている。

 昨日のミハルのことだ。


 パィン。


 なんでなんかと。

 アズマハルカの腰巾着こしぎんちゃくで、悪口ばっかり言っていて、こないだシバタの腕を折ったキチガイ。

 ミハルの異変いへんの原因に違いない。


 ユキエはそっと首を幼馴染の方に回す。その際、どこかから発射された輪ゴムが後ろの同級生――ソコツネさん、だっけ――に当たるのが見えた。


 パィン。


 ミハルは小テストに夢中だ。


 彼女は今あいつのことで困っているのだろうか。

 いや、あいつに困らされているのかもしれない。

 わからない。


 パィン。


 ミハルは何も話してくれなかった。

 一人で抱え込むのは気に食わないが、ああいう奴なので、誰かに何かあるとすぐ飛んで行ってどうにしかようとする。去年からは偏執へんしつ的な程に。

 しかも、その恩恵おんけいを一番受けているのは自分だ。


 パィン。


 彼女が困っているなら何かしてあげたい。

 しかし、ユキエは短気たんきで頭の回転が遅く、愛想よく振舞ふるまうこともできない。保育園の頃からミハルに甘えてきたせいだ。

 その結果がテニス部のあれで、今なのだ。


 このままでは、感情のままではいけない。

 冷静に、慎重に。頭を使わなきゃ。


 そう思ったユキエが首を元に戻すと、その際にソコツネさんに輪ゴムが当たりパィンと音を立て、彼女の足元の輪ゴムの山に落ち重なるのが見えて。



「うるさい!」



 ユキエはキレた。



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