Soul Color

さくらねこ

鬼の覚醒

 朝が来ると眩しいのが当たり前だと思いながら、いや、曇りの日や雨の日は暗いじゃないかと考えていた。しかし、その日の朝はたしかに眩しく、目を開けざるをえなかった。その目にはじめに映ったのは暗い電球、それから電球の根本から大地のように拡がる天井であった。その大地に落ちていきそうな感覚を抑えて、ごそごそと起き上がった。いつも通りの眠い朝、あくびをしながら着替えを済ませると居間へ向かった。


「ありゃりゃ、今日は早いじゃないかね弟くん。これは今日は雪でも降るかもねって、これほどかという晴天なんだけども。暑いったらありゃしないね。」

 桐子とうこは振り返って、いたずらっ子のような笑顔とともに、いつも通りの特徴のある言い回しで朝の挨拶をしてきた。

 ……確かに暑いな。季節は夏を過ぎたが、まだまだ暑さの残る日々が続いていた。

 桐子はいとこであるが、戸籍上は義理の姉である。

 この七幸なゆき家には桐子の他に桐子の妹で俺の義理の妹のさくら、そして、祖母が住んでいる。俺も桐子も両親はいない。

「桐ねぇ、ばあちゃん、おはよう。桜は?」

「桜なら部屋にいると思うよ、じょう」と、優しく答える祖母。

「お兄様とのデートが嬉しくて、服が選べないんじゃあるまいか」と、対照的にニヤニヤと意地悪そうにつけくわえる桐子。

 五歳上の桐子と比べると、桜とは一歳違いなこともあって、兄妹というイメージは持っていない。生まれたときから一緒にいたという感覚さえ覚える。今日はその桜と街へ出かける約束をしていたため、早起きができたということだ。

「俺も朝飯食ったら着替えないとな。着替えるって言っても、いつも通りの服装だけどさ」

 その言葉に桐子ががっかりという顔で言った。

「ありゃりゃ、デートなんだから格好良く決めてもらわないと桜がかわいそうじゃないか。今日は丞も服を見繕ってくるのだよ」

 俺はそれほど服装にこだわることはないのだが、たしかに隣を歩く女の子にとっては重要なことかもしれない。

 だが、見繕ってこいと言われても、俺にはセンスがないので似合うものを手に入れられるとは到底考えられなかった。

 そうすると、桜に選んでもらうしかない。隣を歩く女の子が良いといえば問題ないであろう。情けないことではあるが。

 桐子は桜をとても可愛がっている。その少しの愛情でも俺に降り注いでほしいものだと考えながら、朝食をとり、テレビを見ていると、あるニュースが流れた。


「続いて本日未明、女性が殺害される事件がありました。容疑者である夫は警察に逮捕されましたが、夫婦間で何が合ったか、捜査中です」


 急激に頭が重くなり、自分がどこか違う世界へ紛れ込んだような違和感とともに吐き気を感じた。TVの音が遠くなっていく。

 このまま倒れてしまうのではないかというとき、俺の頭をぽんぽんと叩く手があった。

「隣の市じゃないかー、まったく。ほら、顔が怖いよ弟くん」

 桐子にそう言われ、現実世界へ引き戻された感覚がした。

 このような状態になる原因はわかっている。

 ──両親のことだ。

 俺が生まれて間もないころ、なぜかはわからないが、父は母を殺害し、今も逃亡していると亡くなった祖父から聞いている。そのことと重なる話を聞くと、ひどく気分が悪くなる。


「昨日、K県神島市の工場跡地で男性の死体が見つかりました。男性の死体には獣に襲われたような痕跡があり、現在、警察が死因を調査中とのことです」


 吐き気がおさまり、朝食をなんとか腹に収めてからも、なんとなく続けてニュースを見ていたが、気持ちが萎えるような内容ばかりである。

 ニュースは、最近注目されている連続猟奇殺人事件のことを伝えていた。

 主に神島市で起こっている事件で、すでに被害者は十人を超えているだろうか。しかし、犯人の足取りは一向に掴めておらず、わかっていることといえば、アナウンサーが言っているとおり、死体の損傷が激しいということだけらしい。


 朝食を食べ終え、古い廊下をギシギシと鳴らしながら、自室に戻る途中だった。

「あ、丞ちゃん、起きてたんだ!」

 廊下で出会った声はとても柔らかく、明るさを伴っている。俺はいつも通り心地よさを感じていた。

「桜、おはよう。今日は約束があるんだから早起きぐらいするさ」

 俺の言葉に階段から降りてきた桜は満足げだった。

「今日は一緒に出かけてくれるんだもんね。嬉しいな」

 桜は満面の笑みで俺を見つめている。

 桜が俺に好意を抱いているのは周知の事実であり、俺も桜のことを大切にしたいと思っている。なので、桐子の言う、街へデートに行くというのもまんざら嘘でもない。

「ねぇ、この服変じゃないかな?」

 桜はその名にふさわしい、淡いピンク色のワンピースを着ていたが、似合わないはずがない。背は低めだが、スタイルも良く、ショートカットが似合う学校でも人気の女の子である。学校では大人しい方だと思うが、そこがまた男女の気持ちを惹きつけるだとか何とか。

 桜は俺の表情を見て嬉しそうに言った。

「いい時間だし、出かけよっか」

 俺たちの住む村から街まではかなりの距離がある。公共交通機関はバスしかない。早めのバスに乗り、ちょうど良い時間に街へ着くように出かけたいと思っていた。


「お姉ちゃん、おばあちゃん、行ってきまーす」

 桜が元気に桐子と祖母に出かける挨拶をすると、俺と桜は手を繋いでバス停に向かった。子供の頃から繋いできた手である。とても小さくて柔らかい手。小さい頃には恥ずかしいなどと思ったことはないが、今では少し照れてしまう。

 バスの中で、今日は何を買うのかと聞いたら、何を買うか考えたり、実際に行って、決めるのも買い物の醍醐味なんだよと、桜は言った。そういうものかと感心しながら、とても上機嫌で楽しそうな桜を見るのが俺の楽しみだと感じていた。


 バスが終点の駅前に到着すると、人の多さにまず飲まれてしまう。大都会とは言えないが、村に比べれば天と地の差である。いつも人混みだけは苦手だと思いながらも、お姫様をエスコートすることだけは忘れてはいけない。

 散々、買い物を済ませてから、桜がクレープを食べたいというので、荷物番を任せて、小さなお店に買いに行った。女の子は甘いものには目がない。という俺も甘いものは大好きだ。

 トッピングを選んでクレープを受け取ったあと、桜を待たせてはいけないと小走りに待ち合わせ場所に戻った。


 ──しかし、桜の姿はなく、荷物だけが置かれていた。


 トイレでも行ったのかとしばらく待ったが、帰ってこない。さすがに心配になって、目の前の店舗に尋ねてみた。

「あー。桜色のワンピの子ね。ガラの悪いのに声かけられて、嫌がってたんだけど、無理やりに連れて行かれちゃったよ。あなた彼氏? 心配だね、早く追い掛けたほうがいいよ。あっちの方に行ったからさ」

 俺は一気に血の気が引いて、走って追い掛け、路行く人に声をかけて聞き回った。なんで桜を一人にしてしまったのか。一緒に買いに行けばよかった。そんな考えが頭を巡る。


 ある空き店舗に差し掛かったとき、中からわずかに声がした。桜の声だ。すぐに店舗に入ると、しばらく使われていないのだろう、汚れた床の上で複数の男が桜に覆いかぶさっていた。

「お前ら──」

「おいおい彼氏さんが来ちゃったよ。まぁいいか。ちょっとそこで見ていな。すぐに終わらせるからよ。ハハ」

 男はそう言うと桜の服を破った。

「いやっ! 助けて! 丞ちゃん!」

 桜が泣き叫んでいる。自分でも制御できないほどに、体が熱くなり、頭に血が登ってくるのを実感した。頭が混乱し、自分が自分でないような気がして、ただただ、怒りだけがこみ上げてくる。

「おい……なんだありゃ?」

 男が一人、俺を見て青ざめている。そんなことはどうでもよい。桜を助けなければ。

 男に向かって手を振る。それを腹に食らった男は壁まで吹っ飛んで血反吐を吐いた。まったく動く気配はない。それを見た他の男たちは顔が怯んでいる。

「あああああああああああああああああああっ!」

俺は雄叫びをあげて、次々と男たちを殴る、蹴る、なぐる、ける、ナグる、ケる……。

 なんで、こんなに目の前が赤いんだろう。そのことばかりを考えていた。

 桜に襲いかかっていた男が小便を漏らしながら後ずさりしている。

「な、なんなんだよ。こいつ何なんだよ! 死にたくねぇ! 死にたくねぇよ!」

 男のそばへ寄り、顔を掴んで持ち上げた。自分でも何をしようとしているのか不思議だったが、男の口から自分の口へ霧のようなものを吸い上げた。

 ──まったく経験したことのないイメージが頭の中を覆い尽くした。

 頭痛を覚え、深呼吸を繰り返した。意識がだんだんはっきりとし、掴んでいる男の重さを急に感じた。

 男を離したが、男はまったく動く気配がない。殺してしまったのかもしれない。そう思ったが、まったく感傷はなかった。とにかく桜を守らなければ。

 周りを見渡すと、あらわな姿の桜が座り込んでいた。服は破られているが、怪我などはないようだ。

「桜、無事で良かった」

 やっと助けられたという安堵とともに、手を差し伸べた。

「いや……」

 桜は俺の目を見てはっきり言った。


「ば、ばけものっ――」


 桜の発した言葉の意味が一瞬分からなかった。しかし、血の海の部屋を見渡し、血で染まった自分の手を見た。

「どうして……どうして! どうして! 桜、俺はばけものなんかじゃないよ。ほら、今はちょっと汚れてるけど、いつもの俺じゃないか。そんな目で見ないでくれよ」

 震える声でそう訴える俺を、桜は怯えきった目で見ていた。

 叫びたい衝動に耐えきれなくなった俺は桜をおいて、その場から逃げ、急いで外にある公衆トイレに駆け込んだ。

 手を何度も何度も洗う。血のようなものは流れていくが、その臭いがいつまでも取れない気がして狂いそうだ。そして、あの意味がわからないイメージ……あれは何だったのか。俺は本当に化物になってしまったのか。混乱する頭を沈めることはできない。


 桜に再び会うのが怖くて、悪いと思いながらも俺は一人で帰路を急いだ。

 家に帰ると桐子が何かを言ったが、耳に入ってこない。今回のことは事件にもなるだろう。俺は人を殺したかもしれない。きっと警察が俺を追ってくる。家族に迷惑をかけるわけにはいかない。すぐに荷物を整え、家を出る決心をした。祖母が不思議がって桜のことを聞いてきたが、また出てくるとだけ伝えて、家を出た。

 当てはない。とにかく遠くへ。その気持だけが逸る。

 桜の言葉が何度も頭を駆け巡る。


『ばけもの』


 血の匂いはまだ消えない。

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