裏カジノをぶっつぶせ―2

 福岡市早良区百道浜にある高級タワーマンション。この最上階に、あの男は住んでいる。厳重なオートロックに守られた豪勢なエントランスから、上層階用のエレベーターに乗り込み、俺は奴の部屋のインターフォンを押した。

 すぐにドアが開いた。運転手のノブが出迎え、俺を中に招き入れる。何度来ても嫌味なほどいい部屋だ。豪華で、広々としていて、眺めも最高。タワーやドームなど福岡のベイエリアが一望できる。

 ムヨンはオフィスにいた。デスクチェアに腰かけ、韓国語の新聞を読んでいる。俺に気付くと、掛けていた眼鏡を外し、

「やっと働く気になったか」

 と、勝ち誇ったような顔で言った。

 違う。そうじゃない。お前の仕事を手伝うつもりでここに来たわけじゃない。俺は首を振った。「頼みがあって来た」

「頼み?」ムヨンはデスクにりようひじをつき、手を組んだ。「なんだ、言ってみろ」

「金を貸してほしい。現金で百万円」俺はさらに要望を付け加えた。「それと、あのベンツとノブも借りたい」

 突然要求を突き付けられ、ムヨンは怪訝そうだった。「何を企んでるんだ。説明しろ」

 俺はつまんで事情を説明した。「俺の古い友人が、裏カジノで金を巻き上げられた。その仇を討ってやりたいんだ」

 すると、「へえ、お前でも人のために働こうと思うことがあるのか」とムヨンはわざとらしく目を丸くした。嫌味な奴だ。

 少しむっとしたが、こいつの言葉は的を射ている。たしかにいつもの俺なら、こんな話には見向きもしなかっただろう。わざわざ助けてやるのは、相手がヤスさんだからだ。

「ヤスさんには恩がある。俺は、あの人に命を救われた」

 俺がまだ詐欺師になる前の話だ。十六のときに母を亡くしてからというもの、俺は賭場に入り浸り、小遣いを稼いで生活していた。そんなある日、怖いもの知らずの馬鹿なガキだった俺は、賭場で使われているものと同じ種類のトランプを入手し、こっそり持ち込んだ。イカサマで効率的に稼ごうとしたわけだ。

 ところが、びっくりするくらいすぐにバレた。

 そして、賭場を仕切るヤクザたちに捕まり、ボコボコにされてしまった。

「そんなとき、俺を助けてくれたのが、ヤスさんだったんだ」

 ギャンブラー歴の長いヤスさんは、そのヤクザたちとも顔見知りだった。『まだガキだ、許してやってくれ』と、彼は俺のためにヤクザに頼み込んでくれた。ヤスさんの顔に免じて、俺はおんしやを与えられた。彼がいなければ、俺はあのまま連中に指を切り落とされていたかもしれない。

 それから俺はヤスさんとつるむようになり、ギャンブルの極意を教えてもらった。俺が無一文で困っているときには、いつも飯をおごってくれた。兄貴肌で、面倒見のいい人だった。

「俺にとって、鶴山康雄は兄貴みたいな存在なんだ」

 いつも助けてもらっていた。今度は、俺が彼の役に立ちたかった。

「どうしても、ヤスさんの仇を討ちたい」

「なるほど」と、ムヨンは唸った。「事情はわかった」

「だから、百万円貸してくれ」

「嫌だ」

「はあ!?」

 予期せぬ返事に、思わず声を荒らげてしまう。不本意ながらも下手に出てやったというのに。

「なんでだよ! 百万くらい貸せよ! いっぱい金もってんだから! ケチか!」

 すると、ムヨンは小馬鹿にしたような表情を浮かべた。「俺には関係ない。お前のために動く理由もない」

「なっ」

 さっきの俺の台詞せりふだ。

 ムヨンが肩をすくめて言う。「俺の頼みを断る奴の言うことを、どうして聞いてやらなきゃいけないんだ?」

 ……たしかに。

 こいつの言う通りだ。我ながら虫がいいな、とは思っていた。

 だが、簡単に引くわけにはいかない。「頼むよ、この通り」と、俺は両手を合わせて頼み込んだ。

「フン」ムヨンが鼻で嗤う。「知らん」

「ヨン様、お願いします、そこをなんとか!」俺はさらに頭を深く下げた。

 ムヨンはわざとらしくそっぽを向き、俺を無視した。なんだそれ、ガキか。このワガママお坊ちゃんが。

 とはいえ、頼み事をしている俺の方が圧倒的に立場が弱い。ムヨンがどんな悪条件を押し付けてくるかもわからない。借金の代わりにこいつの会社で働くことになるような事態だけは避けたかった。

 なので、俺は先に交渉に入った。

「お前、投資家だろ? だったら俺に投資してよ」

 という俺の提案に、

「ほう」ムヨンの視線が動き、俺を見た。興味をもったようだ。「お前に?」

「ああ、そうだ。俺に百万投資すれば、一晩で倍にして返してやる。悪い話じゃないだろ?」

「それはつまり、それだけポーカーの腕に自信があるということか?」

 俺は自信満々に頷いた。「こちとら十六の頃から賭場を出入りしてんだ。年季が違うんだよ、年季が」

 借りた百万円を全額チップに替え、あの裏カジノで荒稼ぎしてやる。そうすれば、店に一泡吹かせ、ヤスさんの仇が取れるだろう。さらに、こいつの借金も儲けた金で完済。名案だ。

 しばらく黙り込んでいたムヨンが、「いいだろう」と席を立った。

 オフィスの奥にある金庫から、ムヨンは金を取り出した。百万円の札束を手にすると、長い脚で俺に歩み寄り、顔を近付けた。そして、低い声で脅す。「だが、もし返済できなかったときは、体で返してもらうぞ」

 さらに、俺を見下ろし、にやりと笑う。

「二百万円分、きっちり働けよ」

 俺は眉間に皺を寄せた。まだ働くと決まったわけじゃない。俺がカジノで金を稼いでくればいいだけの話だ。

「明日、楽しみにしてろよ」俺はムヨンの顔を指差して言い放った。「倍どころじゃないかもしれないぜ」

 何はともあれ、交渉成立。現金百万円を受け取ると、俺はすぐにムヨンのオフィスを後にした。


【次回更新は、2019年8月2日(金)予定!】

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