株式会社MBM―3

 推定総資産額五十億円以上とうたわれる韓国財閥の御曹司、キム・ムヨン。

 そんな男が経営する会社『MBM』は、財力を持て余したボンボンが遊び半分で立ち上げた慈善事業みたいなものだ。儲けを出すことは一切考えられていないといっても過言ではないだろう。

 騙される奴が悪い。金は得た者勝ち。割りに合わない仕事には手を出さない。自分が儲けるためなら他人がどうなろうと構わない。──そんな俺の主義と、ムヨンの会社の経営理念は真向から対立している。

 大勢の人が行き交うJR博多駅の前で、俺は大きなため息をついた。なんでこの俺があいつの仕事を手伝わなきゃいけないんだ。まったく気が乗らない。

 とはいえ、ムヨンは力技で勝利をもぎ取りやがった。俺のイカサマは通用しなかった。負けは負けだ。ここは我慢して、おとなしく奴の言うことを聞くしかない。たった一度、この仕事さえ終われば、今度こそ奴とはおさらばなのだから。

 駅ビルの壁の大時計は二十時を差している。約束の時間になると、一般車両が停車する駅のロータリーに一台のベンツがまった。見覚えのある車の運転席から見覚えのある男が降りてくる。スキンヘッドの男──ムヨンの運転手、ノブだ。

「大金様、お迎えに上がりました」

 ノブが後部座席のドアを開け、声をかけてきた。俺は渋々その車に乗り込み、座り心地のいいシートに体を預けた。

 運転席に戻ったノブに尋ねる。「なあ、どこ行くの?」

「会社のオフィスです。ムヨン様もそちらでお待ちです」

「あ、そう」

 車が発進した。

 高速道路に入ったところで、不意にルームミラー越しにノブと目が合い、名前を呼ばれた。「大金様」

「なに」

「先日は、手荒な真似をして申し訳ありませんでした」

「ああ」と、思い出す。

 たしかに、あのときはひどい目に遭った。殴って気絶させられた上に、去勢うんぬんと散々脅されたのだ。だが、彼を責める気にはなれない。悪いのはキム・ムヨンだ。あいつこそが諸悪の根源。

「いいよ、別に。どうせ主人の命令だろ?」

 ノブは頷いた。「噓を吐くのは苦手でして……大根役者だったでしょう?」

「いやいや、アカデミー賞ものだったよ」

 あのときは、ノブの迫真の演技に、さすがの俺もすっかり騙されてしまった。

「ノブはさ」ハンドルを握る男に、後部座席から声をかける。「いつからあいつの下で働いてんの?」

「二年ほど前からです。その前は保育士をしていました」

「その顔で!?」

 びっくりしている俺に、「似合わないでしょう」とノブが苦笑を浮かべる。ルームミラーに映る彼の笑顔は意外と優しかった。案外、子どもに好かれるたちなのかもしれない。

「過去にわき見運転で、交通事故を起こしてしまったんです。遠足中の幼稚園児の列に突っ込んでしまった。園児がひとり死にました。俺のせいで」

「えっ」

 ただの世間話のつもりが、なんだか急に重い話になってしまった。まさか、その頰の傷にそんなつらいエピソードがあったとは。

 戸惑う俺に、ノブは淡々と話を続ける。

「事件がきっかけで仕事も失い、自暴自棄になっていた俺の前に、ムヨン様が現れたんです。彼は言いました。お前がころした子どもの両親が金銭トラブルに巻き込まれて困っている。償う気はあるか──と」

 ノブの話によると、その頃はまだ『MBM』は存在しなかったそうだ。会社という形はとらず、ムヨンが個人的に人助けをしていたという。

「その両親を助けてからは、ムヨン様は私を運転手として雇ってくださいました」ノブが俺を振り返り、うれしそうに言う。「俺様でワガママで、困った性格のお坊ちゃんですが、意外と優しいお人なんですよ」

「前見て、前! 前見て運転して!」

 そうこうしているうちにベンツは百道浜に到着した。ムヨンの自宅兼MBMのオフィスは、その一角にある超高級タワーマンションだった。しかも、ムヨンの部屋は最上階、メゾネットタイプだ。

 ノブが合鍵を使ってドアを開けた。玄関の床、飾り棚、かまちはすべて大理石でできている。入り口からいきなり高級感全開で出迎えられ、俺はたじろいた。

 廊下を進むと、広々としたリビングにたどり着く。ここを会社のオフィス代わりにしているようで、黒革のソファとローテーブル、100型のテレビが置かれた応接用のスペースがあった。さすが最上階、窓からは街の夜景が一望できる。ライトアップされた福岡タワーもよく見える。花火大会の日はいちばんの特等席になりそうな高さだ。

 羨ましいな、とちょっとだけ思ってしまった。一度でいいから俺もこういうところに住んでみたい。今の立場では無理な話だが。

 窓際にはデスクがあり、ムヨンはそこにいた。絶景を背にしてパソコンと睨み合っていたが、俺に気付いて顔を上げた。

「来たか」と、高そうな椅子から腰を上げる。「ノブ、コーヒーでも出してやれ」

「承知しました」

「あ、いいよ。いらない。すぐ帰るし」

 長居する気はない。答えながら、ソファの真ん中に腰を下ろす。座り心地がよすぎて、予想以上に体が沈んだ。

「今回は仕方なく手伝うけど、一度きりだからな」

 釘を刺すと、ムヨンはさっそく本題に入った。淡々と説明する。「今回の依頼人は、おおさきまなぶ。五十歳。自営業の男だ。被害者はその母親の大崎、八十五歳」

 それから、ムヨンは「ノブ、頼む」と部下に声をかけた。ノブは部屋の照明を消し、プロジェクターを起動させた。真っ白な壁に、大きな写真が映し出される。

 その写真には、ひとりの老女が写っていた。

「このバアさんが、大崎多江?」

「いや、これは今回のターゲットだ」ムヨンが説明を続ける。「ばやしミサヲ、八十五歳。子どもはおらず、旦那は十年前に他界している。現在は西区の持ち家で独り暮らしだ」

 ターゲット? ということはつまり、今回はこのババアから金を奪い取る、ということだろうか。

「多江氏と小林ミサヲは隣人で歳も同じ、互いに旦那に先立たれた身ということもあり、仲のいい友人関係にあった。ミサヲが十年前にひざを痛めて外出が困難になってからは、多江氏がミサヲの家を訪れ、二人でお茶を飲むのが日課だったらしい」

 ところが、とムヨンが続ける。

「数年前から、多江氏は認知症を患うようになった。それを知っていながら、あえてミサヲは多江氏に金を借りた。多江氏が返済を迫ると、『この前返したじゃないか』と噓を吐いた。多江氏は彼女の言葉を信じてしまい、自分が物忘れしたものと思い込でしまった。味を占めたミサヲは同じ手口で、何度も多江氏から金を巻き上げている。息子の話では、二年間で総額五十万を騙し取られていたそうだ」

「あくどいババアだなぁ」

 それにしても、貸した金も忘れてしまうなんて、けとは恐ろしいものだ。

 俺はふと、お袋のことを思い出した。

 大金まどか──早死にした俺の母親も若年性アルツハイマーだった。亡くなる直前はひどいもので、母は『お父さんはもうすぐ帰ってくる』と意味不明の発言を繰り返していた。父は大昔に借金を抱えて蒸発したというのに。

 脳がやられてしまったら、どうすることもできない。正常な判断能力を失った人間の財布は、金の流出を阻止することが難しい。お袋も俺が見ていない隙に、高級羽毛布団の訪問販売に引っかかってしまったことがあった。俺は騙された母親に腹が立ち、口汚くののしった。俺の怒号を浴びる母親の寂しそうな顔は、今でも忘れられない。

 嫌なことを思い出してしまった。まあ、そんなことはどうでもいい。頭を仕事に切り替え、ムヨンの話に耳を傾ける。

「定期的に貯金が引き出されていることを不審に思った息子の学氏が、多江氏に事情を訊いたところ、今回の詐欺が発覚したという次第だ」

「認知症を利用した詐欺か」俺はプロジェクターに映し出された老人の顔を眺め、わらった。「このバアさん、いいセンスしてんなぁ」

 このミサヲというババアはなかなかの詐欺師だ。目の付け所がいい。被害に遭ったことを忘れてしまう相手をカモにするなんて、詐欺における完全犯罪といえるだろう。

「息子がミサヲを問い詰めたが、彼女は『金は返した』の一点張り。証拠もなく、民事不介入の警察が捜査してくれるわけもない。友人に騙され、大事な金を失ってしまったショックで、多江氏はすっかり塞ぎ込み、認知症も悪化した。困り果てた学氏が俺の会社に依頼してきた、というわけだ」

「たかだか五十万ぽっちの被害でも、お前は動くんだな」

 意外だった。てっきり、金持ちだけを相手にしているものだと思っていた。

「客は選ばない」

「ご立派なことで」

 それにしても、このキム・ムヨンという男は、どうしてこれほどまでに人助けにこだわるのだろうか。いまだに不思議だ。

「ミサヲは膝が悪く外出が困難だ。食料品も日用品もすべて宅配を頼んでいる。つまり、金のやり取りは彼女の自宅で行われるはずだ。そこで、ノブに小林宅へ侵入させ、コンセントに盗聴器を設置させた」

「ノブに何やらせてんだよ……」

「ミサヲはタンスの中に現金をしまっている。半年に及ぶ調査の結果、彼女は金を借りるばかりで、やはり返済したことは一度もなかった」

 ミサヲが依頼人の母親から金を騙し取っている裏が取れたところで、詐欺師である俺に出番が回ってきたわけか。

 それで、とムヨンが問う。「どうやって取り返す?」

 ターゲットは八十代のババア。それなら簡単だ。

「年寄りを騙すには『オレオレ詐欺』って相場が決まってんだよ」俺は答え、ムヨンに告げた。「用意してほしいものがある」



【次回更新は、2019年7月20日(土)予定!】

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