株式会社MBM

株式会社MBM―1

「身長は百八十から百九十の間。手足が長くてモデルみたいな体型で、肩幅は結構ある。年齢は三十前後かな。切れ長の一重で、顔は男前だけど、なんか態度でかくて性格悪そうな感じの奴」

「……そんな情報でわかるわけないだろ」

 バー『スティング』のマスターにいつしゆうされ、俺は「だよなぁ」とため息まじりに言いながら、店のカウンターに突っ伏した。

 田邉組の氷室准也という男に俺が拉致されたのは、つい先週の出来事。諸事情で俺は奴の命令に従うことになり、ある悪徳貴金属店の店主から現金七百万円を騙し取った。

 ところが後日、驚いたことに氷室准也が警察に逮捕されたのだ。俺が顔を合わせていたあの氷室准也は、本当は氷室准也じゃなかった。

 ──じゃあ、あの男はいったい誰だったんだ?

 気になって仕方がなかった。俺はここ数日、福岡の情報通に手あたり次第声をかけ、あの偽氷室について調べ回った。しかしながら、有益な情報はひとつも得られていない。そもそも相手の本名もわからないし、顔写真もない。車のナンバーも覚えていない。奴と連絡を取り合っていたプリペイド式の携帯電話も、役目を終えたのでいつものように処分してしまっていた。こんなことなら電話番号くらい控えておけばよかったな、と後悔する。まさかこうして後々あの男を探すことになるとは思ってもみなかった。もう二度と会うこともないだろうと踏んでいたし、これ以上関わるつもりもなかったので致し方ない。

 とまあ、こんな状況の俺が、百五十万人が住む福岡市の中からひとりの男を探し出せるわけもなかった。そもそも、奴がこの街に住んでいるかどうかも定かではない。

 だが、諦めるわけにはいかない。俺は自分の記憶を掘り起こした。出会ってから別れるまでの、あいつにまつわるすべての記憶を。

 ──思い出せ、俺。

 うーんと唸りながら、情報を脳みそから絞り出す。何か手掛かりになりそうなものはないものか。

 そういえば、奴には部下がいたな。あの強面の、頰に傷のあるスキンヘッド野郎。奴はたしかノブと呼ばれていた。本名だろうか。愛称か。ノブヒコ? ノブヒロ? 名字はなんだ? だめだ、くそ、たいした手掛かりにならない。

 ……待てよ、あの倉庫はどうだ?

 ふと思いついた。あの日、偽氷室とノブは俺をあの場所に連れていった。もしかしたら奴はあの倉庫の所有者なのかもしれない。

 奴の車の中から眺めた景色を思い出す。あれはたしか、東区にある埠頭だった。これは大きな手掛かりになりそうだ。

 俺はすぐに店を出ると、タクシーを捕まえて埠頭へと向かった。



 埠頭に到着し、俺は記憶を頼りに辺りを歩き回った。いくつもの倉庫が並んでいる。道路沿いにしばらく歩いていると、見覚えのある建物を見つけた。

「あった、ここだ」

 間違いない、この倉庫だ。

 さっそく管理会社に連絡して所有者を確認するか──と、電話をかけようとした、そのときだった。不意にまぶしさを感じ、俺は顔の前に手をかざした。車のライトだ。一台の車が近付いてきた。

 路肩に停車し、運転席のドアが開く。

「──あっ」

 降りてきた男には見覚えがあった。あのスキンヘッドの男、ノブだ。

 ノブは車を降り、後部座席のドアを開けた。すると今度は、中から長身の男が現れた。

 俺は思わず指差し、叫んだ。「あーっ!」

 いた。あいつだ。偽の氷室准也。俺が探していた男だった。ボルドーのコートに、今日はブラウン系のスーツを着ている。嫌味なほど長い脚で一歩ずつこちらに近付いてくる。ベンツの前照灯に照らし出されたその姿は、まるでスポットライトを浴びる舞台俳優みたいだった。

 俺の目の前に立つと、奴はサングラスを外し、不敵な笑みを見せた。俺がここに来ることを最初からわかっていたような表情だ。

「俺のことを探し回っていたらしいじゃないか」偽氷室は悪戯いたずらが成功した子どものようにニヤニヤしている。「そんなに会いたかったか」

 偉そうに澄ました顔しか見たことがなかったが、意外と子どもっぽいところもあるらしい。

 俺はむすっとした態度で返した。「訊きたいことがありすぎてね」

「何でも答えてやろう」

「よーし、まずは名前からだ」

 いつまでも『偽氷室』と呼ぶわけにはいかない。

 俺の質問に、奴は「キム・ムヨンだ」と答えた。

「キム・ムヨン?」俺は眉をひそめた。「本名?」

「ああ」

「韓国人?」

「そうだ」

「日本語うまいね」

「こっちでの暮らしが長いからな」

「福岡に住んでんの?」

「ああ。自宅は百道ももちはまにある」

 キム・ムヨン。韓国人。福岡市さわの百道浜在住。事実かどうかはさておき、ちょっとずつ情報が集まってきた。

 次の質問に移る。「ヤクザなの? もしかして、韓国マフィアとか?」

「いや」ムヨンは否定した。「俺はカタギだ」

「えっ」俺は車の傍に立っている男を指差し、尋ねた。「じゃあ、あの男は? 頰に傷のある、いかにもヤクザっぽい顔の」

「ノブか? あいつはただの運転手だ」ムヨンが答える。「あの傷はわき見運転で事故を起こしたときのものらしい。五針も縫ったそうだ」

「そんな奴が運転手で大丈夫?」

 運転手付きの高級車を乗り回し、純金の金地金を簡単に用意できる財力をもつこの男──カタギだとしても、ただものではないだろう。

「お前、何者なの?」俺はいちばん訊きたかった質問をぶつけた。

 すると、キム・ムヨンは懐から名刺を取り出した。

 受け取り、目を通す。名刺には【株式会社MBM だいひようとりしまりやくしやちよう キムヨン】と書かれていた。

「社長……」

 なるほど、だから金持ちなのか。羽振りのよさからして、こいつの会社は相当儲かっているに違いない。

「このMBMって、どんな会社なの?」

「被害相談を請け負うコンサルティング会社だ」

「被害相談?」

「ああ。ありとあらゆる事件の被害者の相談に乗っている。会社は最近立ち上げたばかりだが」

 ムヨンが説明を続ける。

「実は、戸田貴金属に騙されたのは俺の知人ではなく、依頼人なんだ。俺の会社に被害を相談していた顧客だ」

 やけに知人にカモが多いと思ったら、そういうカラクリだったのか。少しに落ちた。

「つまり俺は、お前の仕事に付き合わされたってこと?」

「端的に言えばそうだな。戸田から五百万を取り返すことのできる詐欺師が必要だった。だから、お前の力を借りた」

「え、じゃあ、なんでヤクザのフリしたの?」

「普通に頼んだところで、お前は引き受けたか?」

「……あー」

 引き受けなかっただろうな、と思う。いきなり「被害者の金をり返したいから力を貸してくれ」なんて見ず知らずの韓国人に頼まれても、俺には関係ないの一言で済ませていたはずだ。

「言うこと聞かせるためにヤクザのフリして、俺を脅したってわけね」

「そういうことだ」

 事情はよくわかった。

 だが、まだ疑問が残っている。「なんで俺なの?」

 この世には、俺みたいな詐欺師はごまんといる。俺より腕のいい奴だって探せば見つかるはずだ。なのに、なぜ俺が目を付けられてしまったのか、わからなかった。

 すると、

「推薦されたんだよ、お前の被害者に」

 と、ムヨンが答えた。

 この男の説明によると、こうだ。

 まず、俺がゴッホの贋作を売りつけて七千万を騙し取った、あの一件。その被害者である武藤という名のコレクターと、このキム・ムヨンが友人関係にあるという話は事実らしい。ある日、実業家仲間が集まるパーティで、ムヨンと武藤は互いの近況について語り合った。その際、ムヨンは人助けをする会社を立ち上げることを武藤に話したそうだ。

『困っている人を助けたいんです。警察に相談しても、どうにもならずに苦しんでいる人たちを。たとえば、詐欺に遭った人の相談に乗って、金を取り返してやるとか』

 そんな夢物語のような話をしたムヨンに、武藤は打ち明けた。詐欺といえば、私は先月、ある詐欺師に七千万を騙し取られたんだ、と。

「『実に見事な手口だったよ、この私を騙すとは。あいつはきっと、一流の詐欺師に違いない』──武藤氏はそんな風に、お前のことを絶賛していた」

「……いや、普通にちょろかったけど、あのオッサン」

 かなり騙しやすいカモだった。

 お褒めにあずかり光栄だが、完全に過大評価だ。俺はどこにでもいるごく普通の詐欺師。腕は悪くない方だと自負してはいるが、そこまでたたえられるほどではない。そのオッサンはただ、無意識のうちに自分を騙した詐欺師を神格化し、騙された自分の品位やプライドを守ろうとしているに過ぎないのだ。

「『詐欺師を利用すれば、被害者の金も取り返せるんじゃないか?』──ワイングラス片手に、彼は冗談めかして言っていた。だが、俺はその手があったかと膝を打った。じやの道はへびだ。詐欺師を使って詐欺師を騙す。馬鹿げた話に聞こえるが、俺は名案だと思った」

 話がようやく見えてきた。

「そういうわけだ、大金満」ムヨンが偉そうに命令する。「俺の会社で働け」

「いやいやいや」

 俺は首を小刻みに振った。何を言い出すかと思えば、会社で働け? 意味不明だ。会社員の詐欺師なんて聞いたことがない。

「俺とお前が組めば、多くの人を救えるだろう」

 というムヨンの言葉に、俺は深いため息をついた。「俺は金儲けのために詐欺をやってるだけだ。人助けに興味はないし、お前みたいな金持ちの道楽に付き合う気もないよ」

「被害に遭って苦しんでる人間を助けたいと思わないのか?」

「思わない」

 俺は即答した。どうして助けなきゃいけない? そんなことを考えるような思いやりのある人間なら、最初から詐欺師なんて仕事はやっていない。

「道徳心のないやつだな」

「札束で頰を叩くような奴に言われたくないね」

「今までお前が騙してきた被害者に対して罪悪感はないのか? 罪滅ぼしをしたいとは思わないのか?」

 全然、と俺は鼻で笑い飛ばした。

「なあ、『正直者は騙せない』っていう詐欺師の格言があるの、知ってる? 正直で真面目な人間はな、楽して金を儲けようなんて思わないし、不正に手を染めようともしない。保身に走ることもない。そもそも詐欺師の話に乗る必要がないんだ。欲深くてズルい人間だからこそ騙されるんだよ」

 俺はムヨンの整った顔の前に人差し指を突きつけた。

「つまり、自業自得。騙される奴が悪いってこと。助けてやる価値はないね」

 言いたいことを遠慮なく言って満足した俺は、踵を返し、ムヨンに背を向けた。ひらひらと右手を振りながら。

「詐欺師なら俺以外にも大勢いる。他を当たってくれ」

 今度こそ、お別れだ。もう二度とこの男に会うことはないだろう。


【次回更新は、2019年7月14日(日)予定!】

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