第21話:理由と後悔

「どうだった? 面白い話でしょ?」

「……そうですね。でも少年少女って絢香さんと先輩の事じゃ……」


 意図的に隠していた核心をつこうとした僕の頭に、絢香さんが軽くチョップをした。

 なんで絢香さんは僕に今の話をしてくれたんだろうか。

 最初は断固として口を開こうとしなかったのに……


「これはただの少年少女のお話だよ。それをどう捉えるかは君次第だけどねっ」


 絢香さんは、軽くウィンクをして、イタズラな表情で全てを曖昧にしようとした。

 そしてソファから立ち上がり、麦茶の入ったコップを片付けるためにキッチンへと向かった。


 何故だか、上手く言葉が出てこない。

 互いに沈黙したまま、ただ絢香さんがコップを洗う音だけが鳴り響いている。

 そんなひと時の静寂の中、流れる水道の音と共に絢香さんが小さな声で呟いた。


「でも、その少女と涼太くんは似ているのかもね」


 似ている、か。でも、その通りなのかも知れない。

 少女は弟のために全てを尽くし、僕は少年に全てを託している。

 僕と少女は二人とも、その少年に依存しているんだ。


 そして、その執着心が引き金となり、依存者はお節介をやこうとする。

 少女は頼まれてもいないのに行動を起こし、僕は望まれていない真実を追求しようとしている。

 少年のため、ではなく、どちらかと言うと自分達のため。そしてそれは……


「似ているかも知れませんね。少し気になったんですが、その少女は後悔しているんですか?」

「……多分、ね。やっぱり、守り続ければ良いって訳じゃないんだよ。困難を乗り越えるのに、人の手助けはないほうがいいのかも知れない。そっちの方が多くを学べるし、それに少女みたいな強引なやり方じゃ、他の人まで巻き込んじゃうからさ」


 そう言って、絢香さんは謝罪を込めた視線を僕に向けてきた。

 中三のあの時の喧嘩は、恐らく神崎先輩が目をつけられていた不良グループとの間で起こったもの。

 そして、僕はそれに巻き込まれてしまった。

 当時の神崎先輩の態度からは見当もつかなかった。でも、実際にはこんな裏があったのか。

 それがなかったら、僕は先輩と出会えていなかったかも知れない。

 感謝するべきだけど、やはり何処と無く複雑な感情に苛まされる。

 

 神崎先輩が僕に親しくしてくれたのは、やはりそう言う理由なのかな……

 同情、とは少し違う。僕と言うヘタレを利用して、過去の後悔を払拭しようとしていた。

 いや、神崎先輩のような尊敬すべき人に、こんな疑いの眼差しはむけちゃダメだ。

 

 ……でも今、少しだけ後悔しそうになったな。


 隠されていた真実を知ることによって、知らない方が良かったと、少なからず思ってしまった。


「きっとその巻き込まれた人は何とも思っていないと思いますよ。どちらかと言うと、感謝をしているんじゃないでしょうか?」


 後悔を誤魔化す為の嘘。

 それでも、僕は神崎先輩に出会えたことに幸福を感じている。

 例え、それが愛情など一欠片もなかった動機だったとしても、僕は先輩に感謝している。


「そうだといいね。でも、巻き込まれた人は複雑な心境になってるんだと思うんだよね。知らなくていい事を知っちゃったし、少年が助けた理由が何となく分かっただろうからさ」


 自分の心境を全て読まれた気がして、返す言葉が見つからなかった。


「でも、誰にでも行動する理由はあるもんさ。涼太くんだって、理由もなしに誰かを好きになったりする事はないでしょ? それと同じだよ。理由なんてただのキッカケ。それに縛られるかどうかは、その人次第。でも、お話に出てくる少女は、残念ながらそのキッカケに飲み込まれちゃたみたいだけどね」


 笑顔で言った絢香さんの口振りは、まるで自分の全てに後悔しているような感じだった。

 でも、絢香さんの言葉に、不思議と心が救われたような気がした。

 理由は誰にでもある。それが不純なものでも、汚らわしいものでも、大切なのは今だ。

 今自分がどう思っているか。それが最も重要な気持ち。


 僕は、現在の先輩を嫌いにはなれない。寧ろ感謝しかない。

 絢香さんが教えてくれた自分の後悔。きっと僕に同じ道に進んで欲しくないんだろう。

 だからこの話を語ってくれた。過保護な少女が、自分と同じ過ちを犯して欲しくないと言う、切実な願い。


「何となく分かった気がします。ありがとうございました」

「私はただ小話をしただけさ。それ以外は何もない。でも、同胞が増えるのは嫌だからさ」

「そういえば、絢香さんは、僕に対して何のキッカケを持っているんですか? 僕は先輩じゃないですし、それに……」

「君は何でも知りたがるんだね。でも、それは知らない方がいいと思うよ。私にとっても、涼太くんにとっても気持ちの良いモノじゃないからさ」

 

 今絢香さんの真実を知る必要はない。

 それは正しい。そして、絢香さんはそれを望んでいないし、僕も今知りたくなくなった。

 

「そうですよね。ごめんなさい。でも、色々とありがとうございました。絢香さんはやっぱり優しくて頼りになりますね」

「全く、涼太くんは無意識でそんなこと言ってるのかな? それともお姉さんを狙ってるのかな? だったら大歓迎だよ〜」

「狙ってはいませんよ。ただの本音です。それに、絢香さんには僕なんかじゃ相手にならないくらいカッコいい人がお似合いですよ」


 そう言えば、絢香さんは神崎先輩が自立した後はどうするつもりなんだろうか。

 弟に依存し続けてたら、きっと廃人のようになってしまう……


「そう? でも私はね、涼太くんみたいな子が好きなんだよ。なのに、みんな成長していっちゃうからちょっと悲しいんだ。涼太くんも、一生そのままヘタレでいてくれればいいのにね」

「それは……ちょっと、嫌ですね。できれば先輩みたくカッコいい男前になりたいです」

「色々知った上で、男前、か。涼太くんはきっと篤なんかよりもいい男なるよ。二十五歳になっても、相手がいなかったら私がお嫁さんになってあげるね?」

「え、えーと。なんて言えばいいのか……」


 コップを片付け終えた絢香さんが、続いて料理を始めた。

 どこまでが本音で、どこまでが冗談なのか。

 相変わらず謎が多い人だな。

 でも、少し絢香さんの事が知れてよかった。恐怖の対象ではなく、元同胞。

 やはり、絢香さんは心の優しいお姉さんだった。


「じゃあご飯作っちゃうから待っててね。もう少しで篤が帰ってくるから、それまでごゆっくりどうぞ」

「あ、ありがとうございます」


 先輩が帰ってきたら何を聞けばいいんだろうか。

 いや、先輩の現状を教えて欲しいのは分かっている。でも、どうやって聞けばいいのかが分からない。

 

 そうやって悩んでいるうちにも、時間は無情に進み続けた。

 気がつけば日は暮れかけ、キッチンからはカレーのいい匂いが漂ってきている。

 そろそろ先輩が……


「ただいまー」


 帰ってきた。


 そして、僕は何故か体を縮こめてソファの上で体育座りをし始めた。

 何でここにいるのかとか聞かれたらどうしよう。先輩の事情を聞きにきた、とか言ったら一番避けなきゃいけないド直球な質問になってしまう。

 絢香さんが言っていたように、がっつかない方がいいんだろうし……


「あれ、何で涼太がいんだ?」

「そ、それは……」


「涼太くんは私を襲いに来たのよ〜。だから気にしないで」

「ち、違いますよ! 僕はただ先輩の事が心配で来ただけで……ぁ」


 絢香さんの不敵な笑みと、先輩のポカンとしている表情が、妙に心に刺さった。

 流石に間抜けすぎたかな。先輩を怒らせたらどうしよう……


「ったく。そんな事頼んでねーだろ? ヘタレは先輩の言葉を信じてねーのか?」


 神崎先輩が、ソファから少し身を乗り出した僕の頭を乱雑に撫でた。

 怒ってない、のかな?


「でも、心配してくれてありがとな。何も言わなかった俺も悪かったよ」

「そんな、先輩は僕のために……」


 つい口を滑らせそうになってしまった。

 先輩が格好つけて、僕に語らないでいようとした現実の話を。

 

「何だ何だ? 涼太にしては色々と勘がいいみてーじゃねーか」


 そう言って、先輩は着ていたジャケットを脱ぎ捨て、笑顔で口を開いた。


「よしっ。じゃあ風呂入るか。行くぞ、涼太」

「え、僕もですか?」

「いいから行くぞ。楽しいお話を聞かせてやるよ」


 やっぱり、姉弟は似るものなんだな。

 半分しか血が繋がってなくても、これだけ長い期間一緒ならそうなるのは必然か。

 そして僕は、少年と少女の物語を知らない程でいかなければならない。

 自分から話してくれてないって事は、秘密にしたい部分なんだろうから。



 大きな浴槽に浸かると、先輩と絢香さんに元気付けてもらったあの日を思い出す。

 あの頃は一方的に助けてもらっていたばかりで、それが当然のように感じていた。

 それと比べれば、今は成長したと言えるのかな?

 いや、まだまだ何もできてない、か。


「はぁ〜。疲れたな」

「お疲れ様です、先輩。家の事はやっぱり大変ですか?」

「そうだな。まぁ、実際そこまで大変じゃないんだけどよ。色々あって、無駄に疲れてるって感じだな」


 僕は、先輩が家で何をしていたのかは分からない。

 でも、極道の家系で、両親とも微妙な関係なら、何があっても疲れるだろう。

 もし、それが僕に関係している事なら、尚更罪悪感を抱いてしまう。


「涼太は最近どうだ? 遊園地、楽しかったか?」

「はい。それはもう楽しかったですよ。でも、千野先輩に引きずり回されて少し疲れましたかね」

「まぁ、愛はそんな感じだからな。しょうがない。それにしても、お前は随分愛に肩入れしてるみたいだけどさ、もしかして好きになったのか?」


 まだ確定はしていないと思っていた気持ちだったけど、他人に指摘されるとどうしても反応してしまう。

 

「おっ、顔が赤いじゃねーか。何で愛なんか好きになっちまうんだか。俺には理解ができねーな。でも、案外お似合いなんじゃないか? 愛も弟欲しいって言ってたしさ」

「そ、それは、その……まだ、分からない気もします。でも、そうなんでしょうか?」

「俺に聞かれても分かんねーって。それはお前次第だからさ」


 つい、先輩を頼ってしまいそうになる。

 僕にとっては、何でも知ってる凄い先輩だから、なかなか独り立ちできそうにない。


「そうですよね。何言ってるんだろう、僕は。あははは……」


 そんな僕の苦笑いの合間に、先輩が僕には聞こえない声量で何かを呟いた。


「やっぱまだ残ってんのか……」


「どうしました?」

「いや、何でもねーよ。それより変な事聞くようで悪いけどさ、もし浮気したやつに事情があったら、お前は許せると思うか?」


 その質問は僕に対してなのか。それとも先輩のお父さんについての事なのか。

 先輩が、わざわざ香澄の話を持ち出すとも考えにくいし、て事は……

 まぁ、普通に答えた方がいいのか。


「僕は、大人じゃないので冷静に状況が受け止められないかもしれません。でも、両者が納得できるなら許せるかもしれません。なんか矛盾してますけどね」

「大人、か。ヘタレにしてはいい答えだったと思うぞ? 俺よりもずっと頭がいいんだな」


 先輩は笑っていたけど、何処と無く後悔の念が瞳の奥に宿っているような気がした。

 

「そんな事ないですよ。僕はまだダメダメです。先輩に支えられてばかりで、この前の和人の時だって、先輩が僕の代わりに……」

「……やっぱその事気にしてたか。本当にあれは大丈夫だって。もう後始末は済んだからよ」


 後始末。神崎先輩は、絢香さんがやっていた事を今度は自分でやったのか。

 

「この際だから言うけどさ、俺の実家、結構力持ってんだよ。それで色々と揉み消すのに俺が親父に会いに行って頼んできた。それで三週間潰れちまったんだけどな」

「それって、やっぱり僕のせいですよね? 僕があの時もっと冷静でいられたら先輩はこんな苦労をしなくて済んだのに……」

「ちげーって。俺はお前のためにやったんじゃない。自分のためにやったんだよ。完全な自己満足だ。それに、俺はお前に違う道を進んで欲しかった。人生の先輩として、できる限りの手助けをするのは当然だろ?」


 先輩が僕のためにしてくれているのは、過去に絢香さんが後悔したのと同じ事。

 僕のせいで、先輩も理由に縛られてしまうのだろうか。

 

「でも……」

「それにな、俺も昔浮気された事あんだよ。あずさって名前の元カノにな。その時、姉貴が色々してくれなかったら、俺はあのままダメになってたかもしれねぇ。結果として何も残らなかったけどよ、いろんな事学べたし、誰かが救ってくれる事がスッゲー嬉しかったからさ。俺もお前を初めて見た時から助けてやろうと思っただけなんだよ」


 え、それだと絢香さんは何で後悔をしているんだろう?

 あぁ、そうか。先輩が自分の気持ちを伝えてないからか。

 そして、先輩は僕のために罪を被った事も後悔していない。

 僕を助けたキッカケにも縛られる事はなく、ただ善意から、自分の経験から他人を導こうとしているだけ。


 それは千野先輩が花ちゃんを支えようとする想いと同じくらい、純情なものだろう。

 自己犠牲により自分の欲は満たされる。けど、それはただのおまけに過ぎない。

 本心は、他人に幸せになって欲しいと願う、切実な想い。


 僕の汚れた心のレンズは、色々と間違った物の外見を、僕に投影していたようだ。

 でも、それをどうやって綺麗にすればいいのかはまだ分からない。

 先輩の言う、経験が僕にその方法を教えてくれるのかもしれないな。


「やっぱり先輩の事は尊敬します。本当に、いつもありがとうございます」

「こんな全裸の時にそんな事言うなよ。なんか気持ち悪いからさ。俺にソッチ系の趣味はないから、勝手にやっててくれ」


 そう言って、先輩は浴槽から出て、シャワーで体を洗い始めた。

 その背中は大きく、僕の目指すモノ。

 

 でも、僕も先輩の事をできる限り支えていこうと思う。

 神崎先輩は、複雑な家庭事情と言う名の壁を乗り越え、自分から向き合った。

 僕も、今まで遠ざけてきた真実を知る事で、神崎先輩と対等になっていきたい。

 

 そう言えば、あの別れの日に、香澄はこう言ってたっけ。


「涼太はいつも自分の事ばかり」


 今思うと、そうだったかもしれないな。 

 自分だけ助かればいい。守られていればいい。

 そして、香澄の事も考えられていなかったのかもしれない。

 神崎先輩は、僕は十分に香澄を想いやったって言ってくれた。

 でも、そうじゃなかったのかもな。


 それに気が付いた僕の心の中で、厳重な南京錠が開けられたような音が鳴り響いた。

 今なら分かる。その正体は解放された心の蟠り。

 

 残りいくつあるのかは分からない。

 でも、それは僕が初めて感じた、心の成長だった。


 

 



 

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