いざや妖怪退治
厄介ごとの予感
藍たち三人が本館の東階段を昇り始めたのと同時刻。
別館四階、生徒会室前に、窓側の壁に背を預け一人佇むかずいの姿があった。
腕を組み、足を軽く交差させ、俯き気味に目を伏せている。明かりは無かった。かろうじて差し込む月光が、彼の輪郭をぼんやりと闇の中に写している。
静寂の中、戸が締め切られた生徒会室からは、がさごそと何かが動く音が聞こえる。
(もう少しか……)
絢香がかずいの差し出す懐中電灯を遠慮気味に受け取り生徒会室に入っていってから、かれこれ五分近くが経過している。すぐ戻りますから、と、絢香は言っていたが、そうはならないことを、その時のかずいは知っていた。
(あと四十秒……)
かずいは心中で秒読みをしながら、窓越しに本館の様子を窺った。
夜闇の中、僅かな月明りに照らされて浮かび上がる校舎は、全ての教室のカーテンが閉められ、中の様子は分からない。
ただ、何かしらのトラブルが起きている様子も見受けられなかった。
本音を言えば、藍には申し訳ないが、かずいは向こう側でトラブルが起こる事を期待していた。
蓮と響がいるのだ。多少の、いや、起こりうる限りのトラブルならば、直ぐに決着がつくだろう。それで今晩の、この奇妙な事態が解決してくれれば、それが一番だと思っていた。
ただ、問題なのは藍のメンタル部分の危険のほうだ。
どうにもあの幼馴染は周りに気を使いすぎるきらいがある。平素はそれが自身の助けになることもあるのだろうが、今宵行動を共にしているのは、彼女の常識の埒外の人物だ。藍が二人相手にコミュニケーションを試み空回りしているところを想像しただけで、かずいは暗澹たる気持ちになった。
あとで八つ当たりを受けるのは、どう考えても自分だ。
そんなことを、つらつらと考えていた時。
「ない……!」
その時、生徒会室の中から、絞り出すようなか細い声が聞こえた。
かずいの待っていた声だった。
「どうした?」
かずいが扉越しに声を掛ける。
「ないんです! 捜し物が!」
絢香の声が甲高く響く。
「入っていいか」
かずいが遠慮がちに(聞こえるように)訊ねると、中から肯定の返事があった。
扉を開けると、散乱するファイルや書類の中に、ぺたんと腰を下ろした絢香の姿があった。懐中電灯は無造作に転がされ、絢香の足元を照らしていた。
絢香の顔は真っ青で、小刻みに震えているのが分かる。
「見つからなかったのか」
「どうしよう……あれが、あれを誰かに見られるわけには……」
声を掛けられたことにも気づかないように、ぶつぶつと譫言を吐き出す絢香に、かずいは少し強めに問いかけた。
「何処にあるはずだったんだ?」
絢香が、目の前のロッカーを力なく指差す。開かれた扉の中には何もない。どうやら足元に散らばる書類の大半は、ここに入っていたものであるらしい。
「それは何に入ってる?」
「ふ、封筒です。A3の」
「それを最後に見たのは?」
「生徒会の最中です。その時ここに入れて、それきり動かしてません」
「誰かここを開けた人は?」
「今日は誰も、使いませんでした。ずっと気にしてたから、間違いないです」
単純な問答の繰り返しで、徐々に絢香が冷静さを取り戻していく。
「今日、この部屋を閉めたのは、私です。その後、役員全員で下校しました。完全下校時刻です。誰も、戻れるはずないのに……」
「顧問は?」
「このロッカーの鍵は、役員しか持ってません」
「顧問なのに?」
かずいの問いに、怪訝そうな響きが混じった。
「うちは、極力先生方とは分権した体制をとってるんです。最終的には先生方に合意と許可を頂くにしても、会議中に先生がここにいることはありません。このロッカーは、本来会議中の事案を機密保持するためのものなんです。実際は、役員の私物なんかも入ってたりするんですけど……」
「今、鍵は掛かってたのか?」
「はい……」
「ちょっと見せてくれ」
そう言って、かずいはロッカーの扉の前に屈み込んだ。絢香が体を引いて場所を空ける。
かずいは鍵穴に刺さったままの鍵を抜き取ると、ライトの光を当てた。
「見てみろ」
そういって差し出された鍵は微かに汚れが付着していた。
「これは……土、ですか? でも、どうして……?」
絢香がますます混乱する中、かずいは、先程の藍の話を思い出していた。
髪の毛の妖怪の噂……。
確か二つの話では、両方共、痕跡に土のようなものが残っていたのではなかったか。
かずいの顔から、表情が消え失せた。
能面のように固まった顔の二つの眼窩から、周囲の闇よりもなお深い暗黒が覗く。
急に黙り込んだかずいに、絢香が不審そうな顔を向けた時、かずいの腰から、携帯の着信が鳴った。突然の音に絢香がびくりと肩を震わせる。
(そろそろ来るか。厄介事が……)
かずいは思考を中断し、通話ボタンを押した。
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