春にして、君を離さない

優しい先輩たち

渡り廊下にご用心  1

 ねずみ色のコンクリートが細く続く渡り廊下を、二人の男子生徒が歩いていた。

 一人は中学生らしからぬ、縦にも横にも大きな体を揺らして歩く坊主頭。

 もう一人は一目で染色と分かる茶髪をだらしなく伸ばした、顔色の悪い痩せぎすの少年。

 

 どちらも細められた目がぎらぎらと不穏な光を宿し、背筋は丸く、不自然なガニ股で、手はスラックスのポケットに収まっている。誰の目にも分りやすい不良スタイルで、二人の男子生徒は、ずんずんと渡り廊下を歩いていく。

 踵を履き潰された上履きは爪先のゴムが青色に染められ、彼らが今年入学したばかりの一年生であることを示していた。


 彼らの歩く渡り廊下は各クラスの教室のある本館から中庭と特別教室棟を横切り、体育館まで続いている。それを半ば程まで歩いた所で、彼らの眼に特別教室棟から歩いてきた二人の男子生徒が映った。

 一人はすらっと伸びた長身に遠目からでもはっきりとわかる美人顔。隣を歩くもう一人は、これといった特徴のない中肉中背で、その特徴のない平凡な顔を無表情に保ったまま、長身の生徒と何事かを話していた。二人の上履きは緑色。二年生だ。

 浅黒い痩せぎすの少年は隣の巨漢の腕をつつくと、顎をしゃくって、自分達の横からこちらに向かって歩いてくる二人の男子生徒に目を遣らせた。

 周りに人目はない。

 二人の顔が見合わせられ、その唇が三日月の形に吊り上がった。 



「あの、先輩」


 日本語で正しく表記すると上のようになるが、実際なされた発音は「あのぉ↑、せんぱぁい」だ。

 顔をにやつかせながら大股で近づき、痩せぎすは右の無表情男、巨漢は左の美男子の前に立ち塞がると、シンクロするように左右の柱に手をかけた。

 美男子の顔が引き攣る。

「えーっと、何、君達、一年生?」

 その声が震えていることに、巨漢の男は一層顔をにやけさせながら、あえて自分からは何も言わない。痩せぎすの少年はたっぷりと溜めを作ってから、相変わらず無表情を崩さない、しかしこちらに目線を合わせようとしない男子生徒に上目遣いで話しかけた。


「俺たちさ、(おれたちさぁ↑)入学したばっかでちょっと(ちょぉぉっと)お金に困ってるんだよね(こぉまってんだよねぇえ)」

 くちゃくちゃ。

 にやにや。

「先輩たち優しいでしょ(やさしーっしょ)。可愛い後輩をちょっとだけ(ちっっとだけ)助けてくれないかな(くんねぇかなあぁぁ)?」


 相手の表情は変わらない。俯いたままだ。

 左手を、その、かすかに膨らんだ右ポケットに伸ばす。


 彼らは確信していた。

 目の前のこの二年生は、これまで自分が食い物にしてきた連中と同じ人種だ。

 教室の隅でじめじめと徒党を組んでは、恨めしそうにこちらを睨んでくる連中。それでいて自分たちにスポットライトが当たると貝のように口を閉ざし、一人では何もできない。そしてまた、蛞蝓のように暗がりに集まってはへらへらと湿った声で傷口を舐め合うのだ。


 そんな連中から小遣いを巻き上げるのは簡単だった。奴らは奴ら自身がどんな人間かをきちんと理解しているし、それを搾取する側の人間――自分たちのような人間のことも熟知している。

 ちょっと脅せばおずおずと金を差し出すし、抵抗するなら小突き倒せばそれで済む。

 そして今、自分には新たな力がある。

 中学入学と共に身に付けた、暴力以外に使い道のないこの力。

 相手が上級生でも関係ない。羊の年を気にする狼などいないのだから……。


 ぱしっ。


 乾いた音が、その夢想を打ち破った。

 それが、自分の手が振り払われた音だと気づくのに、痩せぎすの少年は少し時間がかかった。

「行こう、衛」

 無表情男は踵を返すと、美男子の服を抓み、元来た道を引き返そうとする。


「うおぉぉい、ちょっとちょっとちょっと、どこ行くのさせんぱぁい」

 唖然としたのも束の間、痩せぎすの少年は、慌ててその後を追った。獲物が無関心を装って逃げ出したパターンに頭を切り替えると、無表情男の肩を掴んで強引に振り返らせた。

 カツアゲは相手の心を折るまでが勝負だ。痩せぎすの少年は一気にまくし立てた。

「ちょっとさぁ、酷くない? 俺ら助けて欲しいっつっただけじゃん。何で逃げんの、ねえ? それにさ、さっきさ、暴力振るったよね、暴力。ばしっ、つってさぁ、傷ついちゃったなぁ、俺。どうすんの、ねえ。せん、ぱ――」


「やめときなよ」


 その、あまりに無感動な瞳と冷めた声に、思わず痩せぎすの少年の言葉が止まった。

 自分の隣で、巨漢の相方が訝しげにこちらを伺っているのを感じる。

(何だ、こいつ……?) 

 少年は、自分の中に焦りと戸惑いが沸き上がるのを感じた。今までに感じたことのない、正体不明の違和感。

 心のどこかで、警報が鳴っている。しかし。


「ここは中学校だ。いつまでも小学生気分じゃ、痛い目見るよ」


 その哀れむような口調に少年が逆上するのに、一秒も掛からなかった。

「はあぁぁん? 中学校だ? んなこたとっくに分かってんだよ! こっちだってもう中学生なんだ。てめぇこそ舐めた口聞いて後悔すんなよ、俺の能力はなぁ――」

「へえ、爪が武器になるのか」

「!?」

 痩せぎすの少年の目が、今度こそ驚愕と戸惑いに見開かれる。


(こいつ、何で俺の能力を……)

 不気味な男は、次いで隣の巨漢の少年をちらりと一瞥した。

「そっちの君は……ああ、あんまり暴力的な能力じゃないんだな。でも、内ポケットにナイフが入ってる。没収されるよ」

「なっ!?」

 こちらが思考する間を与えない、ぶっきらぼうな声。

 巨漢の少年がびくりと肩を震わせた。


「てめえ、どうしてそれを」

「てめえ、どうしてそれ――……っ!?」

 巨漢の少年は、自分と全く同じタイミングで、全く同じセリフを口にされ、二の句が継げなくなる。

 どこまでも無表情なその顔。光を宿さぬ目。

 まるであの世でも見ているかのような……。


 二人の少年の背に悪寒が走った。


 僅かに無言の時が流れ、無表情男はいかにも面倒臭そうに溜め息をついた。そして、おもむろに左肩に背負ったスクールバックを漁り始める。

「てめ、何やって――」

 取り出されたのは、ミネラルウォーターのペットボトルだった。

 二人の不良少年に緊張が走る。


(何する気だ、武器か? じゃあこいつは水流操作能力者? けど、さっきのは明らかに読心能力……いや、内ポケットの中身を当てたのは透過視……?)


 混乱する不良少年を余所に、無表情男は三歩後ろに下がると、ペットボトルを傾け、自分の足元に水をこぼし始めた。

 右から左へ。

 渡り廊下を横一線に区切るように、細長い水溜まりが出来る。


「何のつもりだこら」

(何してんだ? あれをどうする気だ? あいつは結局何の能力者なんだ?)

 低くドスを効かせた声と裏腹に、痩せぎすの少年はますます混乱に陥っていたが、無表情男は最早自分たちに興味をなくしたように、再び踵を返した。


「そのラインを越えないことだ」


 そんな捨て台詞を残して。

 その一言で、不良少年たちは混乱から脱することに成功した。


「上等だごらぁ!!!」

 理性を放棄することにしたのだ。

 痩せぎすの少年の両手の爪が、十センチ程に伸びる。

 巨漢の少年は内ポケットから愛用のバタフライナイフを取り出した。


 そして、彼らが残した水溜まりに踏み込んだ瞬間。


「「ぶっほぉ」」


 二人の視界が、白く染まった。


「ぶっは、ごほっ、何だこれ。見えない、くそっ。どこ行きやがったごらぁ!」

「あぎゃっ、あ、足が、何でだ、くそっ、足が動かねぇよ、おい!」

「ぎゃん! てめぇ、引っ張んな!」

「いっだ、おいっ、刺さってる! 爪! 刺さってるって!」

「くそがぁぁぁぁぁ!!」


 突如渡り廊下の中に現れた真白い霧の中で、二人の少年の叫び声が響き渡った。

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