五年目八月 喫茶maple、本日のお客様

 俺のバイト先、喫茶mapleには色んな客がやってくる。

 白雪姫に天才の親友、不幸少年から万能少女まで一癖も二癖もあるやつらばかりだ。どいつもこいつも知り合いなのは愉快だが、あいつらは相手をしてる俺の気苦労を知っているだろうか。知っていてなにも言わないどころかわざと面倒な話を持ってくるやつらばかりな気もするが。

 さて、そんな喫茶mapleの本日のお客様は。


「最近の私って色んな奴らから舐められてる気がするのよね」

「今更かよ」

「なにか言った?」

「いいやなんでも」


 大親友の彼女。ていうか嫁。高校時代に白雪姫のあだ名を取りその毒舌と身勝手さで俺たち文芸部を振り回した白雪桜。

 無表情のまま手元でストローをぐるぐる回しているコップの中には、白雪さん専用の特製カフェオレが入っている。超がいくつあっても足りないほどの甘党である彼女のために、マスターの中岸さんが考案したカフェオレだ。

 すでに四、五年ほどの付き合いではあるが、この人はいつ糖尿になるかとヒヤヒヤさせられる。


「で? またなんで、んなこと言い出したんだよ。智樹に馬鹿にされたりしたか?」

「馬鹿にされただけならどれだけよかったでしょうね……」


 フッと笑った彼女の表情に影が差す。そうやってアンニュイな笑みを浮かべていると本当に美人なんだと思い知らされるが、その実態がいかに残念であるかを俺は知ってしまっている。出来れば知りたくなかったけど。

 しかし実際、この人は人から馬鹿にされた程度でここまで落ち込むような人間でもない。いや、人から馬鹿にされればその三倍以上の毒舌で相手を返り討ちにするような人だ。それは高校時代からちっとも変わっていないし、智樹が相手でも同じことになるだけだろう。さてではどうしてこんなことになってるのかと言うと。


「これは智樹に限った話じゃないんだけどね。なんというか、みんなから子供扱いされてる気がしてならないのよ……」

「あー……」

「納得してんじゃないわよ」


 いやだって、納得するしかないだろこんなん。完璧に万能な妹の小梅ちゃんと違い、姉の白雪さんには意外と弱点が多い。なんて話を前に智樹や椿とはしたが。その弱点やら欠点やらが本当に子供みたいなもんなのだ。

 例えば朝に弱かったり。かなり負けず嫌いでわりとすぐムキになったり。運動神経絶無だったり。

 我が親友が恋人を可愛がるあまり子供扱いしてしまうのは、容易に想像できてしまう。


「つか、その言い方だと智樹以外からもそんな扱い受けてんのか」

「……」

「受けてるんだな……」


 バツが悪そうに顔を逸らしたのを見るに、その現実を認めたくないし教えたくない、と言ったところか。そこから推察するに、相手は小梅ちゃんやら小泉やらの歳下と理世や井坂の友人からって感じだな。

 それはまあ、たしかに。プライドの高い白雪さんからするとキツイもんがあるかもしれない。特に見てくれが完全に子供な小泉からってのは結構精神的ダメージが大きいんじゃなかろうか。あの小さな後輩は成人しても一センチも身長伸びてないらしいし。


「誰からとかはどうでもいいのよ。私、もう二十一よ? お酒も飲めるしタバコも吸えるし選挙権もあるれっきとした大人よ?」

「あんた酒は飲んでるけどタバコは吸わないだろ」

「そんなことどうでもいいのよ。そんな大人のレディに対して子供扱いって、失礼がすぎるのよねあいつら。特に綾子なんか歳下な上に見た目完全に子供のくせして。この前なんて一緒に飲みに行った時年齢確認されてたし。ざまあみやがれよ」

「大人のレディって言葉使うあたりが子供っぽいんだよなぁ」

「……」

「自覚あるならなんで使った?」


 なにはともあれ、この人が高校時代の友人知人と今も交流を絶やさないでいるのはなによりだ。白雪姫なんて呼ばれて周りからは半ば畏れられていた白雪さんは、しかしあいつと出会ってから変わった。

 俺自身、この人に対する第一印象はあまりよろしいものとは言えなかった。初めて目にしたのは入学式の新入生代表挨拶。そして入学から間もなくして流れた毒林檎を好む白雪姫の噂。誰も寄せ付けず、誰にも近寄ろうとしない孤高の存在。

 馬鹿なやつだと思った。人間なんてのは一人で生きていくことが出来ない生き物なのに。あの学校という閉鎖された空間の中ではなおさら。

 そんな白雪姫と我が親友がお近づきになったと聞いた時には、本気で嘘だと疑ったもんだ。でもそれから二人でいる姿を見続けているうちに、この人は悪いやつじゃないんだと知って。無表情の奥に秘めた優しさや思いやりを知って。

 気がついたら、俺たち文芸部は全員が白雪さんの虜になっていた。もちろん俺と紅葉さんは色恋の意味ではなく。

 そして気がつけば今に至る。ただの友人とは少し違う。お互いが恋人の友人という認識で、元部活メイトというだけ。だからこそちょうどいい距離感なのだろう。

 恋人とも親友とも違う、近くもなく遠くもない距離感。小っ恥ずかしい言葉を使うなら、仲間、と定義するのが一番か。


「つかよ。別にいいじゃねぇか子供扱いされてても」

「よくないわよ。歳下にそんな目で見られる屈辱があなたに分かる?」

「考えても見ろ。高校時代のあんたからは考えられない扱いを受けてるんだぞ? そんだけ白雪さんが丸くなって親しみやすくなったってことだろうよ。そして、そういう扱いをしてくるやつらはそれだけあんたとの距離が近いってことだ。そういう存在が何人もいるってのは、悪いことじゃないだろ」


 心持ち軽い笑みを浮かべて言えば、目の前からため息が一つ落とされる。はてさて、そのため息はどう受け取るべきか。


「随分と楽観的というか、プラス思考よね、あなたって」

「悲観的になっても人生楽しくないだろ?」

「智樹の親友をやれるわけだわ」

「まあな」


 二人して同じ男の顔を思い浮かべて笑い合う。あの妙に悟った気でいる馬鹿の親友をやるのだったら、これくらい楽観的に生きてる方がバランスも取れる。


「それはそれとして、やっぱり私の扱いに対しては納得いかないのよね」

「そういう強情なとこも原因だと思うんだがなぁ」


 さて。この妙なところで鈍感なお姫様は、相談相手の俺からすら似たような扱いされていることに気づいているのだろうか。気づいてないだろうなぁ。






 喫茶mapleは日付が変わる直前まで営業している。というのも、夜になれば酒も提供しているからだ。昼間は閑古鳥がどれだけ鳴いていようと経営に問題ないのは、夜の方でそれなりに稼いでいるから。

 バーと呼べるほどではないが、この店の雰囲気を気に入ってくれたサラリーマンなんかが夜だけの常連になってくれたりしている。その中には中岸さんの知り合いもいるらしい。

 今日も今日とて数少ない知り合い以外の常連が何名か来店し、静かに酒を飲んでいた。

 が、そんな中で一人。カウンター席に座り全力で負のオーラを醸し出している小さな女性が。


「いい加減鬱陶しいから聞いてやるが。なんかあったのか、小泉」

「……別に」


 中学からの後輩、小泉綾子。後輩とは言っても、俺は中学高校と同じだっただけで、正確には智樹の後輩なんだが、まあこいつともなんだかんだで長い付き合いだ。初めて見た時から変わらない身長が、今はさらに小さく見える。

 そこまで落ち込んでますよオーラ出しといて、別にもなにもないと思うが。生憎ながら俺はどこかの誰かさんみたいに優しくはないんで、本人が言わないのなら追及はしない。


「どうでもいいけど、今日の昼に白雪さんが来てな。お前のことめっちゃ文句言ってたぞ」

「桜さんが?」

「……」

「な、なんですか」

「いや、なんでも」


 いつの間に名前で呼ぶようになったのか。前に白雪さんと小泉が揃ってここに来た時は、まだ白雪先輩、と呼んでいたはずだが。

 まあいい。あの人が同性からやたらモテるのは今に始まったことじゃない。


「それで、桜さんがどうしたんです?」

「ああ、そうそう。あの人、お前らからの扱いに不満ダラダラだったぞ。子供扱いされてるって怒ってたな」

「実際子供みたいなもんじゃないですか」

「小泉も似たようなもんだった気がするが」

「私はもう大人ですからね。諦めるってのを覚えたんですよ。だから桜さんのあれやこれやもスルーできるようになりました」


 諦める。

 小泉は何気なく口にした言葉だが、俺としては思うところがある。俺たち元文芸部の高校生活を語る上では欠かせないキーワードの一つだ。


「ま、諦めようと思って諦められるんなら、所詮はその程度のもんだったってことだからな」


 この小さな後輩は、変わってしまうことをなによりも恐れていた。とは智樹の談。いつか大人になって、周囲の環境や人間関係が変わってしまい、そんな中で自分自身すらも変わってしまう。それを心の底から恐れていたと、俺よりもずっと長くこの後輩を見てきた男は語った。

 さて、では。諦めることを覚えてしまった小泉綾子は、果たして変わってしまったのだろうか。


「全部が全部、簡単に諦められるものだったら楽だったんですけどね……」


 答えは否だ。

 一度完全に諦めてしまった智樹や、既に諦めたことすらも思い出の中で風化してしまった俺とは違い、小泉は自身の胸に抱いた想いを諦めきれない。おそらく、そのつもりもないのだろう。

 だから、こいつの本質はなにも変わっちゃいない。上っ面の変化はあろうとも、その中身までが変質してしまったわけではないらしい。

 変わりたくない自分自身と、変わらざるを得ない幼馴染との関係。どうせ今回落ち込んでたのも、樋山が関係してるんだろう。


「修二、引っ越すらしいんですよ」

「樋山が?」

「はい。一人暮らしするとかで、実家を出るらしいです」


 小泉の幼馴染であり、智樹の後輩兼元相棒の樋山修二。あいつは高校卒業と同時にプロ野球の世界へ入り、智樹の親父さんがかつて所属していた地元のチームに入団した。

 たまに家でテレビをつけると、試合にもちゃんと出て活躍している。智樹が我が事のように自慢してきたことだってあったし、逆に樋山が野球雑誌のインタビューで智樹の話を出したこともあった。

 ただでさえ遠くなった幼馴染が、物理的にも離れてしまう。生まれてから二十年、ずっと隣の家で育ってきた二人が。


「いつ引っ越すんだ?」

「今季のシーズンが終わった後らしいですよ。だから、あと二、三ヶ月ってところですね」

「まだ猶予はあるじゃねぇか」

「なんの猶予ですか」

「さて、それに関してはお前の方がよくわかってるはずだがな」


 小泉が樋山のことをどう思ってるかなど知らない。しかし伝えたいことがあるなら伝えるべきだ。諦めきれないのなら、なおさら。


「今更なにを言えっていうんですか……」


 呟いた小泉が、グラスに入っていた酒を一気に呷る。会話相手の俺に向けたというより、自分自身に言い聞かせるような、自嘲気味の呟き。


「三枝先輩、おかわりください」

「ダメだ。お前酒弱いだろ。てか俺はもうお前の先輩じゃない」

「客の言うことが聞けないんですかー!」

「お客様に安全にお帰りいただくのも仕事なもんでな」


 これはダメだ。酔ってやがる。普段飲まないような酒飲むからこうなるんだよ。

 酒のおかわりを注ぐかわりに水を差し出せば、そのグラスには一瞥もせずにグッタリとテーブルに突っ伏する。アルコールのせいで赤らんだ頬と高校時代より伸びた髪から覗く耳は、あの頃には見られなかった女性らしさを感じさせる。いくらチビとはいえ、こいつも立派な大人の女性へとランクアップしてる最中なのだろう。


「告白に返事もせずずっと放置して、だってのに今更好きだなんて言えるわけないじゃないですか……私は夏目先輩みたいな度胸も白雪先輩みたいな大胆さも持ってないんですよぉ……」

「完全に酔ってるな」

「酔ってません!」

「白雪さんの呼び方、元に戻ってるぞ。それが証拠だろ」


 しかし、こいつをこのままにしておくのもマズイ。店の雰囲気台無しだし、さっきから周りの常連さんも心配そうに小泉を見ている。

 手伝おうかと視線で尋ねてくる客もいるが、この場にいるのは小泉以外全員男。後輩女子をどこの馬の骨とも知らんおっさんに任せるほど俺も腐ってない。んなことしたら紅葉さんにどやされる。

 さてどうしよかこの酔っ払い。智樹を呼んで家まで運んでもらうか? あいつなら酔っ払った小泉の話も聞いてやるだろうし、なんだかんだで面倒見のいい白雪さんも付いてくるだろう。

 早速親友へ連絡をしようとスマホを取り出した、その時。


「呼ばれた気がしてジャジャジャジャーン! 頼れる後輩、白雪小梅がやって来ましたよ綾ちゃん先輩!」

「お邪魔しまーす……ってうわ、マジで酒出してんだ……」


 勢いよく開かれた店の扉。そこから現れたのは完璧万能少女こと白雪小梅と、その恋人である不幸少年椿葵。

 突然の美少女襲来に店内がざわめく。小梅ちゃんは以前一度だけ夜に顔を出したことがあるのだが、その時は他に客なんていなかった。もちろんアルコールの類は出していない。問題は小梅ちゃんではなく、その後ろにいる男の方だ。


「おい、もう十時回ってんぞ高校生」

「文句なら小梅さんに言ってください」


 げっそりとした顔を見る限り、どうやら椿は巻き込まれただけらしい。デートの帰りとかそんなんだろうか。こいつらちゃんと健全なお付き合いとやらをしてんだろうな。不健全だとあらゆる方面が煩くなるぞ。

 そんな疲れた顔した椿のパートナーに視線をやると、小泉の隣に歩み寄って呑気にあちゃー、とか言っている。


「完全に出来上がってるじゃないですか。なんでこんなに飲ませちゃったんですか」

「まだウイスキー一杯しか飲ませてねぇよ。勝手に一気飲みしたのは小泉だぞ」

「止めてくださいよー。ほら、綾ちゃん先輩。帰りますよー」

「小梅のバカぁ……」

「あれ、なんであたし今罵倒されたの?」

「酔っ払いの発言に理由を求めるな」

「葵くん、綾ちゃん先輩のカバンから財布取ってお金払っといて。あたしは綾ちゃん先輩持つから」

「了解です」


 テキパキと動き小泉のカバンから財布を取り出す椿と、抵抗する小泉を無理矢理押さえ付けた後小脇に抱えた小梅ちゃん。先輩の扱いが雑すぎる。


「うちの綾ちゃん先輩がご迷惑をおかけしました」

「文句は樋山と智樹に言っとけ。んで、その酔っ払いどうするんだ?」

「お兄さん、今日はうちに来てるんですよ。だからとりあえずは家まで運んで、あとはお兄さんに任せます」

「そか。んじゃ任せた」

「はいはーい」

「椿、ちゃんと小梅ちゃん送ってやれよ。ついでに小泉も。んでお前も智樹に送ってもらえ」

「分かってます」


 会計も終わらせた後、二人の未成年と一人の酔っ払いはそそくさと帰っていった。しかし小梅ちゃんはなんで来たんだ。呼ばれた気がしてってなんだよ、第六感的な? 相変わらず恐ろしい子だ。

 小泉がいなくなったことで、店は本来の静謐な雰囲気に戻る。さっきまでが煩かったから逆に静かすぎるようにも感じるが、どうせ日中は嫌でも騒がしくなる。

 喫茶maple。はてさて明日はどんな客が来るのか。たまには知り合い以外で繁盛して欲しいもんだ。

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