三年目十二月 白雪姫は朝がお嫌いな模様

 同棲する前からどころか、恋人になる前からなんとなく察していたことではあるのだけど、僕の恋人は頗る朝に弱い。

 高校時代も登校してきたばかりの時間は比較的機嫌が悪かったし、他の時間と比べると毒も強かった。二年の文化祭の時なんかは徹夜したからそこまでだったと思うけど、一緒に暮らすようになってからは如実に感じるようになったのだ。

 恐らく、朝が弱いと言うよりは寝起きに弱いのだろう。実際、昼寝なんかした時は夕方に起きるけど、その時の桜の機嫌と言ったらもう本当筆舌に尽くしがたいものがある。

 元来、桜は僕と違って根っからのインドア派なのだ。夏は太陽の下に出たがらないし、冬は寒風に身を晒したがらない。だからと言って春には心地いい陽気のせいでそもそも布団から出てこないし、秋になると読書の秋とか抜かして部屋から出てこずずっと本を読んでいる。

 ちょっとくらい運動したらどうだと聞いても、どうやら今年の夏休みに行ったダイエットがなにかしらのトラウマになってるらしくそれも嫌がる。

 クール美人大学生として有名な桜のこんなグータラ生活、同じ大学の人が知ったらとんでもないことになるだろう。

 具体的にどれくらいグータラかと言うと、朝七時に起きてランニングに向かった僕が帰ってきた八時過ぎ、未だに布団の中でもぞもぞと寝てるくらいには。


「おーい。桜、そろそろ起きろよー」

「んんぅ……」

「今日もダメか……」


 朝のランニングから帰ってきてシャワーで汗を流し、それからまだ寝てる桜を起こす。僕の日課である。

 現在季節は冬。そろそろ聖人の誕生日を迎えるかと言う時期の土曜日。外気温は一桁をマークしており、部屋の中もそれなりに寒い。

 この時期は特に布団の中から出てこなくて大変困るのだ。それでも日曜日だけは必ず八時に起きるのだから、オタクの根性かくあるべし、と言うべきか。

 しかし、本当に起きないな。こうなれば必殺技を使うしかないか。出来れば封印しておきたかったのだけど。


「起きないんならもう知らないからな?」

「……すぅ」


 聞こえてくるのは寝起きのみ。これは仕方ないか。

 奥の手として布団をひっぺがしてやるために、そこへ手をかける。気持ちよく寝ているところ悪いのだけど、これも健康的な生活のためだ。

 いっせーので、と心の中で唱えかけたところで、眼下の桜が軽く身じろぎした。おっ、と思うのも束の間。薄っすらと開かれる両目。身の危険を感じたのかどうか知らないが、どうやらお姫様のお目覚めらしい。


「おはよう桜」

「んぅ……」

「おーい」

「すぅ……」

「おい」


 寝るなよ。今起きたじゃん。目も開いてたじゃん。

 ため息が漏れそうになってしかし、可愛らしい寝顔を見てしまえば思わず微笑が漏れてしまう。もう少し寝かしといてやるかな、なんて思ってしまうのは、さすがに甘すぎるのだろうか。

 手に持っていた布団をひっぺがすのではなくちゃんとかけ直してやろうとしたところで、中から伸びてきた腕に手首を掴まれた。

 そう強い力ではないので振り解こうと思えば出来るものの、突然の出来事に首を傾げてしまう。そうして隙を与えたのが悪かったのだろう。手首をグイッと引っ張られ、不意打ちであり更に体勢も悪かったせいか、そのままベッドの上に倒れてしまう。もぞもぞとこちらに忍び寄ってきた桜は、そのまま僕を抱き枕にして再び寝息を立て始めた。


「はぁ……」


 これは一度、しっかり話し合う必要がありそうだ。

 辛うじて動く右手でポケットからスマホを取り出し、桜が爆音で起こされるまで。

 後五秒。





「どうかと思うんだよ、僕は」

「なにが……」


 ソファの上で隣り合って座り、お互いの好物をカップに注いでゆっくりとした朝を過ごす。いつも通りの休日はしかし、今日に限って緊急会議の場となっていた。

 議題は言わずもがな、桜の寝起きについて。


「君、昨日は何時に寝た?」

「日付が変わる前には寝たわね。昨日は珍しく週末にも関わらず素直に寝させてくれたから」

「んぐっ……それは今どうでもよくて……。少なくとも八時間は寝れてるってのに、なんで寝起きはああなんだよ」


 コンタクトもせずメガネのまま、未だに完全な覚醒とはならないのか、どこかトロンとした目つきの桜。

 可愛らしくて大変よろしいのだけど、既に起きてから三十分は経っている。大きなあくびは堪えようともしていない。


「そうは言われても仕方ないじゃない。朝は眠たいし、寒いから布団から出る気にならないし、布団に入ってたらさらに眠たくなるし。その上朝起きたら智樹が隣にいないんだから、つい抱き枕にしちゃうのも無理からぬことじゃない?」

「無理からぬことじゃなくない」

「それよりも私は、あなた起こし方について異議を唱えたいんだけど」

「なかなか起きない君が悪いだろう」


 ていうか、僕がスマホをポケットに入れてたから良かったけど、その場になければあのまも二時間は抱き枕にされてたし。僕は布団も被ってない状態だったから滅茶苦茶に寒かったし。

 全面的に桜が悪いのであって僕は悪くない。

 眠気を払拭するために飲んでいるカフェオレは、本当に効果があるのだろうか。ゆらゆらと微かに体が揺れていて、まぶたは今にも落ちそうだ。


「たしかに君の寝顔は可愛いし、寝起きも可愛いとは思うけどさ」

「そんなの見せるのあなただけよ」

「他の男に見せてたら僕は返り血塗れになるだろうね」

「知ってる? 白雪姫ってずっと寝たままだったのよ? だから私がよく眠るのも仕方ない事だと思うの」

「君、そのあだ名嫌ってなかったっけ」

「気のせいよ」


 清々しいほどの開き直りである。

 まあ、実際に体質的なものもあるんだろうし、一応分担してるとは言っても家事のほとんどは桜が請け負ってくれている。同棲してまだ二年。完全に慣れたというわけでもないだろうし、疲労が溜まってるのも分かるけれど。

 それにしたって限度があるだろう。


「白雪姫なら、キスしたら起きてくれるのか?」

「朝からスイッチ入ったらどうするのよ」

「君はどんなのを想像してるんだ」

「むしろあなたの方がスイッチ入っちゃうかも? それからランニングで持て余したあれやこれやを朝から私にぶつけるのね。エロ同人みたいに」

「被害妄想甚だしいなおい」


 ため息を一つ吐いてカップを傾ける。口の中にブラックコーヒーの苦味が広がったと思った次の瞬間、とんでもない甘さが口内を蹂躙した。


「苦い……」

「甘い……」

「やっぱり全然目が冴えないわね……これだからブラックは……」

「急にキスしてきたと思ったらブラックコーヒーの悪口とはいい度胸だな。その喧嘩は高く買ってやるぜ?」

「スイッチ入っちゃった?」

「朝から盛るほど猿じゃないし、口の中に広がってる甘ったるさのせいでそれどころじゃない」

「恋人からの熱いベーゼを受け流すだけでなく私のカフェオレを馬鹿にするとはいい度胸ね。その喧嘩は高く買うわよ?」

「君、実は結構目が冴えてきてるだろ」

「それなりには」


 一旦メガネを外して目を擦る様は猫のようだ。そして猫というのは随分と気まぐれな生き物で。さっきまで喧嘩腰だったくせに、僕の膝に倒れこんできた。

 髪を優しく撫でてやれば、甘えるように目を細める。


「まさかまた寝るつもりじゃないだろうね」

「今寝てしまったら勿体ないじゃない。それよりもっと私を甘やかしなさい」

「はいはい」


 結局最初の話は上手いこと躱されている気がするけれど、まあ別にいいだろう。今でも既に日課となってしまっているし、どうせこれから先もそれは変わらないのだろうから。


「今日はどこか行く?」

「猫カフェに行こう」

「別にいいけれど、どうしたのよ急に」

「本物の猫と比べたくなった」

「なにと?」

「君と」

「にゃあ?」

「……もう一回」

「あなたにそんな趣味があったなんて驚きだわ……」


 なんだか盛大な勘違いをされた気がするが、桜の猫真似が聞けたから役得ってことにしておこう。

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